今日も暑い。行きたいところがあっちこっちあるけれど、なんだか朝の体調がいま一つだな。勤務があったら休まない程度だと思うけど、今はフリーだから今日は家で休むかなあ。昼過ぎには元気になったので、パソコンとテレビを見ようか、と思ってテレビを付けたら安倍晋三の顔が…自民党総裁選の告示である。少ししたら大相撲になってこれを見る。大関3人休場か…。
男子サッカーのワールドカップ予選、イラク戦はお芝居を見ていたから見れなかった。サッカーは今、見る競技としてプロ野球より僕には面白い。ただ、サッカーは点が入らない競技だから、しばらくこう着状態だとその間パソコン画面なんかをよそ見してしまう。そういう時に大体ゴールか、でなくてもシュートになるのである。テレビの歓声を聞いてから見ても決まってもう遅い。これは「マーフィーの法則」とでも言うか。でもちゃんと見ると(五輪女子のカナダ戦とか)、とても面白い。相撲は、仕切りの時はよそ見していて制限時間になってから見ることが可能である。それじゃいけないのかもしれないけど。だからその点を利用して、今日知った事実を報告。
旭国という大関が昔いて僕は好きだった。北の湖全盛期にあたってしまい優勝できなかったけど。引退して大島部屋を開いて横綱旭富士を育てた。そしてモンゴル力士を最初に入れたことで有名である。現役力士から96年衆院選に出た旭道山(新進党)という人もいたね。大島親方はもう定年で、力士は旭富士の伊勢ヶ浜部屋に移っている。さて、その最初に来たモンゴル力士が旭鷲山と旭天鵬であるわけだが、この旭天鵬が元気で先々場所は何と優勝、今場所も6連勝している。まあ、先場所は13連敗したけれど。この旭天鵬の通算勝星がいくつなのか、相撲協会のHPでは見つけられない。そこで仕切り中に探してみると、「昭和以降の大相撲の記録」というサイトを見つけた。720項目の記録を載せているという。およそ考えられるあらゆる記録が載せられている。奇特な人がいるものである。
それで見ると、通算勝利1位は魁皇の1047で、それは知ってるけど、旭天鵬は10位以内の唯一の現役力士で、先場所段階で10位の804。9位だった水戸泉(807)を6勝したから抜いて、今日現在810で9位ある。上に高見山(812)、安芸乃島(822)、寺尾(860)といる。寺尾が7位でこれを抜くのは大変ですね。今まで書いたのは前置きで、僕は別に旭天鵬のファンでもなんでもなく、ただデータを知りたかっただけである。そして調べていて、いやあ、ビックリすような事実を見つけてしまった。もう平成も24年だというのに、昭和から相撲を取っている力士が4人もいるではないか。
通算在位という記録である。この1位は栃天晃(とちてんこう)という力士で、175場所だと言う。年6場所だから10年で60場所。ほとんど30年もいたのか。最高位は十両4枚目で、ついに幕内には届かなかった。昭和57年夏場所から始まって、去年の5月場所で引退。えっ、去年の話か。1967年生まれというから、44歳まで現役で取っていた。野球やサッカーと違い、相撲は会社と契約を交わすわけではなく、クビになったり定年はない。いや相撲協会の定年は65歳だけど、還暦過ぎた現役力士は考えられない。というか、十両になる前は「丁稚奉公」みたいなもんであって、給料も出ない。食住は保証されるんだろうけど、出世を目指して稽古にはげむ若い時期である。40にもなって、下の方で取り続けるというのは、偉大なのか、修行というべきか、辞め際を間違えたのか、僕には判らない。この栃天晃という力士は、蔵前にあった旧国技館の土俵を知る最後の力士だったという。
そして、在位2位が何と3人もいて、158場所で「昭和61年3月~」とある。「~」とあるから現役なのである。1986年から取りつづけているのか。その3人は、というと…。
華吹(はなかぜ)42歳 立浪部屋 最高位三段目18 今場所は序二段45
北斗龍(ほくとりゅう)41歳 北の湖部屋 最高位三段目53 今場所は序二段52
笠力(かさちから)42歳 二所ノ関部屋 最高位序二段67 今場所は序の口11
いやあ、誰も知らないですよねえ、こういう人が世の中にいたなんて。笠力さんなんか、最高位が序二段で、それは何と去年の7月場所である。40超えて最高位で、それが序二段で、その後また落ちて序の口で取っている…哀愁ある人生ですなあ。北斗龍という人の最高位は、平成7年だからもう17年も前になる。華吹という人は、最高位が平成15年。足立区出身とある。相撲は序の口、序二段、三段目、幕下、十両、前頭という風に出世していくわけだが、20年以上もやっていて幕下にもなれないんだから、まあ親戚にいたらもう辞めたらという感じなんだけど。
続いて、出羽の郷(でわのさと)という力士が、同い年なんだけど一場所遅い5月デビューでまだやっている。この人は十両14枚目まで行って、今は三段目46。そう言えば、「一ノ矢」という、琉球大を出て昭和58年から平成19年11月までやってた力士もいた。なんと引退時46歳だった。最高位は三段目6。いつまで元気のようでも、金本も引退するし、皆辞めていく。(松井秀喜はどうするんだろう?野球は雇ってくれないと始まらないからねえ。)辞め際はむずかしいですね。40過ぎて下の方で相撲取ってるのは、どうなんだろうと思わないではないけど、偉大と言えば偉大。1970年度の学年で、同い年で4人が中卒で入って158場所目と156場所目。
C'est la vie(セ・ラ・ヴィ)
男子サッカーのワールドカップ予選、イラク戦はお芝居を見ていたから見れなかった。サッカーは今、見る競技としてプロ野球より僕には面白い。ただ、サッカーは点が入らない競技だから、しばらくこう着状態だとその間パソコン画面なんかをよそ見してしまう。そういう時に大体ゴールか、でなくてもシュートになるのである。テレビの歓声を聞いてから見ても決まってもう遅い。これは「マーフィーの法則」とでも言うか。でもちゃんと見ると(五輪女子のカナダ戦とか)、とても面白い。相撲は、仕切りの時はよそ見していて制限時間になってから見ることが可能である。それじゃいけないのかもしれないけど。だからその点を利用して、今日知った事実を報告。
旭国という大関が昔いて僕は好きだった。北の湖全盛期にあたってしまい優勝できなかったけど。引退して大島部屋を開いて横綱旭富士を育てた。そしてモンゴル力士を最初に入れたことで有名である。現役力士から96年衆院選に出た旭道山(新進党)という人もいたね。大島親方はもう定年で、力士は旭富士の伊勢ヶ浜部屋に移っている。さて、その最初に来たモンゴル力士が旭鷲山と旭天鵬であるわけだが、この旭天鵬が元気で先々場所は何と優勝、今場所も6連勝している。まあ、先場所は13連敗したけれど。この旭天鵬の通算勝星がいくつなのか、相撲協会のHPでは見つけられない。そこで仕切り中に探してみると、「昭和以降の大相撲の記録」というサイトを見つけた。720項目の記録を載せているという。およそ考えられるあらゆる記録が載せられている。奇特な人がいるものである。
それで見ると、通算勝利1位は魁皇の1047で、それは知ってるけど、旭天鵬は10位以内の唯一の現役力士で、先場所段階で10位の804。9位だった水戸泉(807)を6勝したから抜いて、今日現在810で9位ある。上に高見山(812)、安芸乃島(822)、寺尾(860)といる。寺尾が7位でこれを抜くのは大変ですね。今まで書いたのは前置きで、僕は別に旭天鵬のファンでもなんでもなく、ただデータを知りたかっただけである。そして調べていて、いやあ、ビックリすような事実を見つけてしまった。もう平成も24年だというのに、昭和から相撲を取っている力士が4人もいるではないか。
通算在位という記録である。この1位は栃天晃(とちてんこう)という力士で、175場所だと言う。年6場所だから10年で60場所。ほとんど30年もいたのか。最高位は十両4枚目で、ついに幕内には届かなかった。昭和57年夏場所から始まって、去年の5月場所で引退。えっ、去年の話か。1967年生まれというから、44歳まで現役で取っていた。野球やサッカーと違い、相撲は会社と契約を交わすわけではなく、クビになったり定年はない。いや相撲協会の定年は65歳だけど、還暦過ぎた現役力士は考えられない。というか、十両になる前は「丁稚奉公」みたいなもんであって、給料も出ない。食住は保証されるんだろうけど、出世を目指して稽古にはげむ若い時期である。40にもなって、下の方で取り続けるというのは、偉大なのか、修行というべきか、辞め際を間違えたのか、僕には判らない。この栃天晃という力士は、蔵前にあった旧国技館の土俵を知る最後の力士だったという。
そして、在位2位が何と3人もいて、158場所で「昭和61年3月~」とある。「~」とあるから現役なのである。1986年から取りつづけているのか。その3人は、というと…。
華吹(はなかぜ)42歳 立浪部屋 最高位三段目18 今場所は序二段45
北斗龍(ほくとりゅう)41歳 北の湖部屋 最高位三段目53 今場所は序二段52
笠力(かさちから)42歳 二所ノ関部屋 最高位序二段67 今場所は序の口11
いやあ、誰も知らないですよねえ、こういう人が世の中にいたなんて。笠力さんなんか、最高位が序二段で、それは何と去年の7月場所である。40超えて最高位で、それが序二段で、その後また落ちて序の口で取っている…哀愁ある人生ですなあ。北斗龍という人の最高位は、平成7年だからもう17年も前になる。華吹という人は、最高位が平成15年。足立区出身とある。相撲は序の口、序二段、三段目、幕下、十両、前頭という風に出世していくわけだが、20年以上もやっていて幕下にもなれないんだから、まあ親戚にいたらもう辞めたらという感じなんだけど。
続いて、出羽の郷(でわのさと)という力士が、同い年なんだけど一場所遅い5月デビューでまだやっている。この人は十両14枚目まで行って、今は三段目46。そう言えば、「一ノ矢」という、琉球大を出て昭和58年から平成19年11月までやってた力士もいた。なんと引退時46歳だった。最高位は三段目6。いつまで元気のようでも、金本も引退するし、皆辞めていく。(松井秀喜はどうするんだろう?野球は雇ってくれないと始まらないからねえ。)辞め際はむずかしいですね。40過ぎて下の方で相撲取ってるのは、どうなんだろうと思わないではないけど、偉大と言えば偉大。1970年度の学年で、同い年で4人が中卒で入って158場所目と156場所目。
C'est la vie(セ・ラ・ヴィ)