事前予約出来ないラピュタ阿佐ヶ谷というところに行ったら満員だった。どうしようかなとスマホで検索して、新宿に戻ってメキシコ映画『型破りな教室』というのを見ることにした。公開2日目で今日見る気はなかったんだけど、そのうち見たいと思っていた映画。この前見た日本の小学校の記録映画『小学校~それは小さな社会~』と比べてみるのも興味深い。
そこはメキシコとアメリカの国境地帯マタモロス。正直言って、日本がいかに恵まれているか身に沁みて考えさせられる。マタモロスを調べてみると、国境線の東端にあって人口52万ほど。よく報道されるように、国境地帯には麻薬カルテルの本部があって治安が悪いと出ている。殺人や誘拐も頻発し、車列の前後をパトカーが護衛するという話。映画でも銃声が聞こえるし、路上に死体が置かれていても、子どもたちは全然気にせず通り過ぎる。校長先生の車が通るときも麻薬探知犬が検査している。日本と比べるなんてレベルじゃなく、「教育」以前に生き抜くことも大変な状況ではないか。
そんな町の子どもたちはと言えば、学力全国最低レベル。そこに新任の教師がやってきた。産休の先生がいたようで、前任校で訳ありだったらしいセルヒオ・フアレスという中年教師である。希望してやって来たらしいが、この「底辺校」で子どもたちが自ら考える教育を実践したいと思っている。子どもたちが教室に入ると、机と椅子は片付けられていて、ここは教室じゃない、救命ボートだという。全員は乗れない、じゃあどうしたら良い、みんな考えてくれという。翌日になって、またあの授業をやりたいと子どもの方から言ってくる。子どもたちは自ら「浮力」とか「質量」について調べ始める。
そんなフアレス先生を心配して校長もよく見に来る。太った校長を見て、フアレス先生は校長先生は水に浮くかと問いかける。子どもたちは体積の量り方を考え出し、外の水槽に先生が入って水の増量を記録する。次に校長先生も入ってと強要して、人間の体積を比べてみる。しかし、学力テストこそ学校の直面する問題と信じる他の先生たちは、このような授業では困ると思っている。ENLACE(公立・私立ともに3,4,5,6,9,12年生の全生徒が受験する数学・科学・国語の国家試験)というのがあると映画館のホームページに出ている。そのテストで全国最低の地区で、半数の子どもが卒業が危ぶまれるという。
この教室には今まで全く気付かれなかったが、数学の天才児が存在した。数学史に残るガウスが7歳の時に解いた例の問題「1から100までの数字を全部足すといくつになるか」を自力で見つけて答えを出してしまう。しかし、パロマはゴミ捨て場近くのぼろ家に住んでいて、廃品回収をしている病気がちの父から「勉強は意味ない」「夢を見るな」と言われている。ゴミ捨て場の廃品から望遠鏡を作ってしまうパロマ。そんな彼女にいつの間にか「不良系」のニコの気持ちが動いていく。そこが興味深い。この映画は実話に基づく劇映画で、実際にパロマに当たる数学の特異児童が存在したということだ。
セルヒオ・フアレス先生を演じるのは、エウヘニオ・デルベスという人。そう言われても判らなかったが、『コーダ あいのうた』で合唱部顧問をやっていたメキシコ人俳優である。単に俳優というだけじゃなく、メキシコではテレビ司会者、コメディアン、映画監督など大活躍しているらしい。監督・脚本・製作のクリストファー・ザラはアメリカ人。この映画は2023年のメキシコ映画No.1の大ヒットになり、サンダンス映画祭で観客賞を得た。まったく退屈せずに見入る映画ではある。
子どもには自ら学んでいく大きな可能性があると言うのは、その通りだろう。でも、この映画のような授業は日本では難しいと思った。パロマのような子どもは滅多にいるもんじゃない。それにフアレス先生も独走型で、教育当局ににらまれている。日本の感覚ではあまりにも凄い環境だからこそ、フアレス先生も存在出来る。もっと「恵まれた」「組織化された」日本では、同一歩調を求められ一人だけ教育計画を離れて好きな授業をやることは許されないと思う。だけど「アクティブラーニング」とか言ってるんだから、この映画を子どもと一緒に見て討論するぐらいのことはやってもいいんじゃないか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます