尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

やはり野に置け、石破茂?ー石破首相の「政治献金禁止は違憲」説批判

2024年12月14日 22時33分38秒 | 政治

 2024年10月1日に成立した第1次石破茂政権。取り急ぎ衆議院を解散して、大きく与党議員を減らしながら、辛くも11月13日に第2次石破茂政権が発足した。選挙翌日に『しばらくは石破「少数与党内閣」で、2025衆参同日選挙か?』で書いた通りだが、予想外のこともあった。それは共産党が決選投票で「野田佳彦」と書いたことだが、まあ事細かく論じる必要もないだろう。なお、その他の野党が決選投票でも1回目と同じく自党党首の名を書いたとされるのも不思議。「決選投票」とは1位か2位の名を書く約束だから、どっちも支持しないなら白票を投じるか、棄権するべきだろう。

 その後、政治のあれこれを書いてないから、ここで幾つか書いておきたい。臨時国会が11月28日に開会し、何とか補正予算が衆議院を通過した。まあ「補正予算」というのは、災害対応の臨時費も入っているので通さざるを得ない性格のものだ。ただ近年は景気刺激を強調して「過去最大」などとうたって、結果的に予算を余らせたりしている。立憲民主党が削減を主張したのは理屈にあっている。結果的に国民民主党日本維新の会を賛成に引き込めて、石破政権として思った以上の成果だろう。

(補正予算通過)

 この間、石破首相にはやはり準備不足か、それとも荷が重いのかと思わせるもたつきぶりだった。党内非主流派だった時には歯切れが良かった石破氏も、結局権力の座に座って見れば「ただの自民党首相」だったのか。「手に取るなやはり野に置け蓮華草」という句があるが、石破茂もやはり「野に置け」だったのか。総裁当選から総選挙までは「石破氏を叩いてぶれる」感が強かった。「健康不安」説もあり、いつまで持つのかという不安(心配または期待?)もあったと思う。

 石破内閣は今日(12月14日)現在75日続いていて、取りあえず羽田孜(64日)、石橋湛山(65日)、宇野宗佑(69日)の短命内閣をいつの間にか越えていた。(なお、帝国憲法時代を含めると、敗戦直後の東久邇宮稔彦王内閣の54日が最短になっている。)「政治改革」法案の行方は見通せないが、何とか来年度予算案をまとめて越年はしそうである。通常国会が1月末には始まるが、本予算は果たして通せるのだろうか。国民民主党や日本維新の会の主張を丸呑みすれば、本予算にも賛成してくれるのかもしれない。だが、今度はそんなに譲歩するなという声が自民党内に挙って、倒閣運動になりかねない。

(企業献金禁止は憲法違反と述べる石破首相)

 そこら辺はまだ見通せないが、最近の石破首相は少し「らしさ」を取り戻して、自分なりの丁寧な説明をし始めたという話である。だがそうなると、今度は「企業献金全面禁止は憲法21条違反」などと言い過ぎ的な答弁を行った。言い過ぎたと思ったか、参議院の質疑で「違反するとまでは申しません。そこは言い方が足りなかった」と修正したものの、やはり憲法論議が必要という認識らしい。これはかつて最高裁で行われた「八幡製鉄所政治献金判決」が頭のあると思われる。

 この訴訟は1960年に八幡製鉄所(現・日本製鉄)の株主だった弁護士が「政治献金は定款を逸脱した商法違反」として損害賠償を求めた株主代表訴訟である。1審は原告勝訴(政治献金は違法)だったが、高裁で原告敗訴に変更され、1970年の最高裁大法廷判決で原告敗訴が確定した。この判決からすでに半世紀以上経っていて、また誰か新たな訴訟を起こす価値があると思っているけど、取りあえずはこの判決が「企業献金は合憲」というお墨付きになっている。

 論点はいろいろあるが、憲法関係に限ってみてみると、「1 会社は自然人同様、納税者たる立場において政治的意見を表明することを禁止する理由はない。」「2 憲法第三章「国民の権利及び義務」は性質上可能な限り内国の法人にも適用すべきであり、政治的行為の自由もまた同様である。」というものらしい。これはWikipediaに出ているものだが、法人たる株式会社が「自然人」と同様に「政治的意見を表明する自由」があるという認定は、まあその通りではあるだろう。

 だけど、70年段階と現代の会社は全く様相を異にしている。大会社はすべて諸外国にも進出して「多国籍企業」になっている。日本の株式市場でも外国人株主による取引の方が多いぐらいである。外国人が政治献金を出来ないのと同様に、外国人持ち株が半数以上を占める企業は政治献金が出来ない。だが国内企業でも経営者は外国人が務める大企業は多いだろう。「自然人」としては参政権を持っていない外国人が、トップとして政治献金を行うのは果たして合憲、合法なのか?

 1970年時点とは日本の会社の実情が全く変わっている。そのことを前提にすれば、企業という法人にも「自然人」と同じように参政権があって、政治献金を認めるべきというのは時代錯誤ではないか。株主にも、従業員にも、消費者にも、日本国民以外の人がいっぱいいる。そういう時代の企業は日本の政治に献金出来なくても当然じゃないか。日本人経営者という「自然人」なら、当然日本国民としての参政権があるから、個人で政治献金すれば良いだけのことじゃないか。


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