尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

コロンビアの傑作映画「彷徨える河」

2016年12月03日 21時45分19秒 |  〃  (新作外国映画)
 今年は南米コロンビアに関する話題が多い。サントス大統領が進めてきた左翼ゲリラとの和平は、いったん国民投票で否決されたものの、どうやらその後の再交渉が国会でまとまった。これで半世紀以上続いてきた内戦に終止符が打たれる。サントス大統領にはノーベル平和賞が与えられた。一方、一昔前には麻薬組織の中心として知られたメデジンで、日本人大学生が強盗に殺害される事件も起こった。またブラジルのサッカーチームを乗せた飛行機が墜落したのもメデジンの近く。

 そんなニュースもある中、コロンビア映画が初めて米国アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたという出来事もあった。受賞はならなかったが、最近コロンビア映画は元気なんだという。(ちなみに、受賞は「サウルの息子」で、他のノミネートに「裸足の季節」や「ある戦争」がある。もう一本ヨルダン映画があるが未公開。)さて、その「彷徨える河」が渋谷のシアター・イメージフォーラムで公開中。見るのが遅れて、12月9日まで。題名は「さまよえる」と読ませる。ちょっと無理かな。

 1981年生まれのシーロ・ゲーラという若手監督が作ったモノクロ映画で、ちょっとビックリするほど精神性の高い「探検映画」「ロード・ムービー」である。20世紀初頭、コロンビア奥地のアマゾン川上流域を調査するドイツ人探検家テオがいた。彼はいま重い病気にかかっていて、連れの先住民マンドゥカとともに、カラマカテという呪術師を訪ねる。カラマカテは白人に虐殺された部族の唯一の生き残りだった。からだけが知る「幻の聖なる植物」ヤクルナを教えて欲しいと頼み、何とか一緒にカヌーを漕ぎだす。

 そういう話かと思うと、途中で時間40年ぐらい飛んで、そのドイツ人学者の跡を訪ねるアメリカ人学者が出てくる。彼は年とったカラマンテを訪ねて、同じく聖なる薬草を教えて欲しいという。両方の時間を超えた川の旅が延々と続く。最初の旅では、スペイン人司祭が子どもたちに厳格なキリスト教を教え込んでいる(母語は「悪魔の言葉」として禁止されている。)その地と同じ場所と思われる地を、アメリカ人学者も訪ねるが、そこは恐るべき宗教集団が支配していた。「救世主」を名乗る男の妻を、カラマンテが治して信用されるが…。このあたりは、どう見てもコンラッドの「闇の奥」、映画ではコッポラの「地獄の黙示録」を思わせる筋書きで、ちょっと困ったなという感じもした。

 アマゾン川を舞台に映像マジックを繰り広げた映画と言えば、ヘルツォークの「アギーレ 神の怒り」や「フィツカラルド」を思い出す。でも、「アギーレ」はスペイン人征服者の視点で描いた悲劇、「フィツカラルド」はオペラに取りつかれた男の壮大な夢を描いていた。この映画は、先住民の視点にたって、白人学者を相対化し、ゴムを求めて侵略してきたヨーロッパ人を批判している。しかし、政治的な批判ではなくて、先住民のマジカルな世界、呪術的な精神性を主張している。どこか懐かしい気もするし、そこがちょっと作り物っぽい気もしたが、こういう感じの映画は久しぶりだったような気がする。

 僕にはよく判らない点も多くて、他に書いている人の記事を読んで教えられた。カラマンテの老若を演じる二人が素晴らしい。映画の中心になっている二人の白人学者は実在人物だという話である。冒頭で蛇の映像が出てきて、これがかなり気持ち悪い。でも、「蛇」が先住民の神話世界では大きな意味を持つらしい。モノクロ映像の河の風景が、印象的。判らないところ、図式的なところも多くありつつ、どうも気になる映画だなという感じ。注目すべき新鋭のシャープな作品である。
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