尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

増田義郎、竹内芳郎、りりィ、藤原てい等ー2016年11月の訃報

2016年12月04日 20時54分02秒 | 追悼
 11月の追悼特集。独自記事を書いたのは、映画監督・プロデューサーの荒戸源次郎フィデル・カストロ。まず文化人類学者・歴史学者の増田義郎(よしお)氏の訃報から。(11.5没、88歳) 日本における中南米研究の先駆者であり、一般向けの本もいっぱい書いた。僕もずいぶん読んで、インカ帝国なんかの謎に満ちた歴史に憧れたものだ。「太陽と月の神殿」(1969)は、中学生で読んだと思う。他にもメキシコ革命や大航海時代の本を読んでる。教科書に載る歴史用語「大航海時代」も、増田氏が発案したんだそうだ。専門書以外の翻訳もいっぱいあって、中公文庫のマクニール「世界史」や「宝島」「ロビンソン・クルーソー」なんかも訳している。

 続いて、哲学者の竹内芳郎氏。11.19没、92歳。サルトルメルロ=ポンティなどを紹介し、マルクス主義の立場から論壇で発言も続けた。70年代頃の知的世界では知られていたと思う。紀伊国屋新書で出ていた「サルトルとマルクス主義」という本を、高校の倫社の授業で思想家ごとのグループ発表で取り上げた思い出がある。もちろんちゃんと判っているはずはない。だけど、一応そういう授業があり、それなりに何かをしゃべったわけだ。他に「国家と文明」という岩波から出た本は、持ってると思う。80年代以降もポストモダン思想を批判し続けて本も出しているが、僕ももう知らない。
 
 歌手のりりィが死去。11.11没、64歳。74年に出た「私は泣いています」が、独特のハスキーヴォイスで大ヒットした。でも、その前の1972年に、大島渚が復帰直後の沖縄で撮った「夏の妹」という映画に準主演していた。僕にはそっちの方が印象深い。決して傑作だとは思えないし、りりィも名演というほどではないけど、印象には深く刻まれたわけ。その後も歌手としても俳優としても、断続的に長く活躍している。今年公開された「リップヴァンウィンクルの花嫁」でも、怪演を披露していた。
  (右は若いころに出したレコードのジャケット)
 藤原ていが98歳の長命で亡くなった。11月15日。旧満州国から朝鮮北部へ、そして日本へなんとか逃げ延びた手記「流れる星は生きている」(1949)が大ベストセラーになったことで知られる。夫は後に有名作家となる新田次郎で、次男は数学者でエッセイストの藤原正彦だけど、この一家で最初に世間に知られたのは藤原てい夫人だったのである。新田次郎は、中央気象台勤務だった人で、1943年から満州国の気象台に課長として行っていたのである。

 戦後の自民党内、保守政界で重きをなした奥野誠亮(せいすけ、11.16没、103歳)が死去。ずいぶん長生きしたものだが、2003年に政界を引退した。90歳まで議員をしていたことになる。田中内閣の文相、鈴木内閣の法相、竹下内閣の国土庁長官を務め、最後は歴史問題発言で辞任した。1938年に旧内務省に入省し、敗戦時に公文書の焼却を発案した人で、戦前の価値観をそのままにずっと生きてきた。


 僕のよく判らない分野の訃報。将棋連盟元会長の二上達也(ふたかみ・たつや、11.1没、84歳)は、羽生義治の師匠。大山康晴名人に3度挑み、敗れたが、王将、棋聖は奪取した。戦後初のプロテニス選手として知られる石黒修(11.9,80歳)は、30代でプロに転向したというから、すごいことだ。新派の女形として活躍した英太郎(はなぶさ・たろう、11.11没、81歳)は、初代に弟子入りして、72年に2代目を襲名した。山田洋次が演出した「東京物語」に出てたというから、一度は見てるはず…。
 長瀧重信(11.12没、84歳)は、長崎大で被爆者の調査を行い、その経験踏まえてチェルノブイリ原発事故の健康被害調査や支援に取り組んだ。漫画家で「山口六平太」を連載していた高井研一郎(11.14没、79歳)。ライターの雨宮まみ(11.17没、40歳)は、「こじらせ女子」という言葉を流行らせたというけど、僕はこの人を知らなかった。島田章三(11.26没、83歳)は、洋画家で文化功労者。「キュービズム的構成の中に抒情性の漂う」作風で、独自の具象画を書いた。

 名前だけ並べたけど、こうしてみると、改めて自分の知らない世界は広いなあと思う。日本人の最後に、吉永春子(11.4没、85歳)。元TBSテレビのディレクターで、ドキュメンタリー「魔の731部隊」を作った。多くの社会派ドキュメンタリーを作り、著作も多い。ウィキペディアを見ると、60年安保当時の全学連委員長、唐牛健太郎らが右翼の大物・田中清玄から資金を貰っていたという有名な話は、この人の「ゆがんだ青春 全学連闘士のその後」という1963年のラジオ・ルポルタージュが暴露したという。

 外国人では、まずカナダ出身のシンガーソングライター、詩人、小説家のレナード・コーエン。11月7日没、82歳。カナダのモントリオール生まれのカナダ人だけど、アメリカで禅の修行をして臨済宗の和尚だという。シンガーソングライターとして世界的に知られているが、同時にというか、むしろ最初は詩人として認められた。非常に多くの詩集があるが、小説も書いている。そういう興味深い人物で、ファンも多いということも知っていたけど、僕自身はほとんど知らない。

 ロバート・ボーンは、アメリカの映画、テレビ俳優。11.11没、83歳。この人は、「ナポレオン・ソロ」の主役ということになる。「ナポレオン・ソロ」は、2015年にガイ・リッチー監督がリメイクした「コードネーム U.N.C.L.E.」のもとになったテレビシリーズである。ロバート・ボーンは、確かに「荒野の七人」の七人目で出ていた。(「七人の侍」に相当役がないオリジナルの脇役だという。)「タワーリング・インフェルノ」や深作欣二の「復活の日」などに出てるけど、なんといっても「ナポレオン・ソロ」しか思い浮かばない。

 写真家、映画監督のデビッド・ハミルトン。11.25没、83歳。ソフトフォーカスの美少女写真集をいっぱい出している写真家で、日本でも何冊も作っている。画像はいっぱい出てくるけど、まあ、芸術というか、エロティシズムというか、少女趣味というか、僕にはよく判らない。映画も「ビリティス」などを作っているけど、やっぱりポルノアートみたいなのが多いようだ。

 最後に、フランス映画の撮影監督として、ヌーヴェルヴァーグ映画を支えたラウル・クタール(11.8没、92歳)。徴兵されてインドシナに赴き、ベトナムで11年暮らして報道写真家になった。その後、映画に誘われ、新人監督の撮影を手掛けた。それらの映画が今映画史上に輝いているのは、ラウル・クタールの撮影が大きな貢献をしている。ジャン=リュック・ゴダールの「勝手にしゃがれ」に始まり、ゴダールの「女と男のいる舗道」や「気狂いピエロ」、「軽蔑」や「はなればなれに」など。さらにフランソワ・トリュフォーの「ピアニストを撃て!」や「突然炎のごとく」、「やわらかい肌」など。そしてコスタ=がブラスの「Z」や「告白」。大島渚の「マックス・モン・アムール」もあった。「気狂いピエロ」や「突然炎のごとく」は、僕にとってオールタイムベストテンに入る映画だから、ラウル・クタールという人は、僕の人生に大きな影響を与えたというべきだろう。監督もしているけど、それは見ていない。
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