尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「野球部員、演劇の舞台に立つ!」

2018年03月08日 21時29分11秒 | 映画 (新作日本映画)
 中山節夫監督による「野球部員、演劇の舞台に立つ!」という映画を見た。渋谷のユーロスペースでの上映は9日までなのだが、今後全国各地での上映も予定されている。その前に松居大悟監督「アイスと雨音」という映画も見た。どっちも「青春」を演劇表現の中に探る映画だけど、まずは素直に感動できる「野球部員、演劇の舞台に立つ!」を紹介。

 もう題名通りの映画で、実話をもとにしている。福岡県八女(やめ)市の高校で、女子の多い演劇部で男子でないとできない役に野球部員の応援を求める。甲子園を目指しポジション争いも激しい野球部員は誰も行きたがらない。だが、野球しか知らない人間になって欲しくない顧問は、ほとんど強制的にエースのピッチャーやキャッチャーを演劇部に送り出す。

 その前に野球部の大会シーンがあり、8回まで完全試合だったのに9回に2点取られて敗退した。見ていると、エースは自分ひとりで戦う気でいる。実際、味方のエラーで危機になるんだけど、ほとんどチームプレーの精神が感じられない。この試合を見れば、すぐに映画の展開が判る。やる気のない野球部員、特にエースピッチャーが、協力して作り上げていかねばならない演劇を通して、少しづつ変わっていく。まあ、そういうことなんだろうと予想するが、案の定そういう風に話が展開する。だけど、それが感動を呼ぶのである。

 台本はOBが書いたボクサーの話で、チャンピオンを目指しながら挫折した青年の話。その内容が野球部員の思いと共振してゆく。この演劇部は女子がほとんどで、キャスティングの都合上、屈強な運動部員が欠かせない。演劇部顧問の宮崎美子と野球部顧問宇梶剛士が昔の同級生だったという縁もあったけど、それ以上に野球部の負けた試合を見ていて、彼らには「演劇体験が役立つ」と直感したんだと思う。そして、宮崎美子演じる三上先生に狙われると逃げられないと部内で言われている。強制するんじゃなくて、いつの間にか乗せられていく。

 だが、エースは手ごわい。やる気のない野球部に腹を立てるメンバーもいる。女子なりにボクサー役ができないわけじゃなく、野球部員を呼んだことで裏に回らなくちゃいけない演劇部員だっている。美術や音響の仕事などの大切さ、異性との心の通い合い、定番的な展開ではあるが、そうやってだんだんエースも理解してゆく。もともと東京の中学大会で準優勝した経験がありつつ、高校では福岡にやって来た。そんな彼の思いも次第に判ってくる。

 本気を出してきたときに、またまた…という展開もお約束的だが、野球部員の活躍で素晴らしい舞台が実現する。まあ、野球部員は実際は若い俳優がやっているんだから、芝居の方がうまいのは当然だけど。八女の名産「八女茶」や今はこっちの方が有名なイチゴ「あまおう」も出てくる。そういう地方風景もいいが、やはり高校生役の皆がいい。いかにもいそうなメンバーばかりで、共感しやすい。エースの渡辺佑太朗、相手役の美緒の柴田杏花が良くて、素直な感動を呼ぶ映画だ。映画教室などで多くの高校生に見る機会が作られるといいなと思う。

 原作は西日本短大付高の教師だった竹島由美子の著書。校名は八女北高校と変えられていて、県立っぽい名前だが私立なのである。監督の中山節夫(1937~)は1970年に「あつい壁」で監督デビューを果たした。これは監督の故郷熊本で起こったハンセン病差別の黒髪小事件を描いて、深い衝撃を与える映画である。その後、ハンセン病問題との関わりも深く、記録映画の「見えない壁を越えて」(1998)や菊池事件の「無実の死刑囚」を描く「新・あつい壁」など差別を告発する映画を作って来た。

 と同時に、独立プロで数多くの青春映画、教育映画を作って来た。1975年の「青春狂詩曲」や1979年の「兎の目」などは感動的な映画だった。ドキュメントの「いま、できることー芦北学園の子供たち」という障がい児を扱った映画も良かった。もう全然忘れられているだろうが、僕はずいぶん中山節夫監督の映画を見ているわけだ。その後の「ブリキの勲章」「原野の子ら」「「あかね色の空を見たよ」などの教育映画は見ていない。自主的に教育を問う映画を作り続けてきた中山監督らしい映画で、こういう映画を若い時に見るのは大切なことだと思う。演劇の力もよく判る。
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