尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

大杉漣、川地民夫、左とん平等-2018年2月の訃報①

2018年03月07日 22時27分44秒 | 追悼
 2018年2月は厳寒だったからか、日本では多くの訃報が伝えられた。何だか毎日長いのも疲れるので、2回に分けてまず俳優の訃報から。多くの人がビックリしたのが、俳優の大杉漣の訃報だろう。テレビ番組撮影後に急に体調不良を訴えて、そのまま入院してすぐに亡くなった。2.21日没、66歳。これは今の日本ではまだまだ現役の年齢だ。

 僕は大杉漣の歌を聞いたことがある。そもそも「漣」という芸名は、フォーク歌手高田渡の息子、やはり音楽をやっている高田漣から付けられた。その高田渡のドキュメント映画「タカダワタル的」が上映されたとき、ある日大杉漣もゲストに呼ばれていた。そして加川良の「教訓1」を歌った。イラク戦争さなかで、自衛隊がイラクに派遣されようとする時期だった。この歌が今もなお必要とされていることに気づかされ暗然としたものだ。

 転形劇場が出発だというから見ていたかもしれないが、記憶にはない。やはり北野武監督作品「ソナチネ」で最初に認識したんじゃないかと思う。以後様々な役柄を見てきたが、最近だったら「シン・ゴジラ」の総理大臣、「アウトレイジ最終章」の新会長とか、実力以上の事態に直面してあたふたする役が絶品だった。「蜜のあわれ」の老作家役も近年の名演だった。

 俳優の訃報が多い。川地民夫が亡くなった。2月10日没、79歳。日活や東映映画で活躍した。日活の特集上映があると時々トークをしていたが、僕は聞いたことはなかった。逗子で石原裕次郎の隣に住んでたのが、俳優のきっかけというからビックリ。「陽のあたる坂道」でデビューした頃は、芦川いづみの相手役の青春スターだった。それも驚きで、僕はどっちかというと「凶」とか「狂」的な役柄が多くなる時期の印象が強い。「狂熱の季節」や「東京流れ者」などだ。特に鈴木清順映画で忘れがたい役をいっぱい演じた。一つ上げれば「春婦伝」だと思う。
 (川地民夫)  (左とん平) 
 テレビや舞台で活躍した左とん平が、24日没、80歳。とぼけた味の名脇役で、何を見たのかよく覚えてないけど印象が強いという俳優だった。この人の話も、「天切り松 人情闇がたり」に関するトークを聞いたことがある。あまり覚えてないんだけど。

 外国の俳優では、インドの女優シュリデビィがドバイで亡くなったという報道があった。54歳。心不全と伝えられたが、浴槽で倒れて溺死したらしい。「マダム・イン・ニューヨーク」の主演である。タミル映画の子役でスターとなり、その後「ボリウッド」のトップ女優となったが、1997年に結婚を機に引退。久しぶりの復帰作が、2012年の「マダム・イン・ニューヨーク」だった。

 イギリスの映画監督ルイス・ギルバートが死去、23日、97歳。007シリーズを3本撮っている。日本を舞台にした「007は二度死ぬ」箱の人である。アクション映画を中心に安定した娯楽映画を量産した監督だった。作品的には「アルフィー」ではないか。僕らの世代には「フレンズ」が有名である。15歳ぐらいの少年少女が恋をして、家出しながら妊娠出産するという話で、これは当時ではかなりショッキングだった。続編も作られた。
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