2023年米国アカデミー賞の脚色賞を受賞した(作品賞にもノミネート)、『ウーマン・トーキング 私たちの選択』が公開された。2週目にして上映時間が少なくなったので、早めに見に行ったのだが…。いや、なかなか難しかったのである。方法的に難解だというのではない。設定を理解するのが難しく、自分との接点が見つけにくい。しかし、その設定のぶっ飛びぶりを紹介しておく意味もあるかと思って書くことにした。題名だけ見ると、セクハラ企業の話かなんかと思うかと思うが、そうではない。
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そのことは事前に知ってはいたんだけど…。一般論として、事前にどこまで調べてから行くか。旅行だと一応調べて行くことにしているが、現地に行くとまた知られざる名所がある。映画や演劇の場合、何か情報があって見に行くんだけど、あまり細かな筋書きを調べていくとつまらない。展開に驚きたい気持ちもある。原作ものは別である。原作をいかに生かしているか、または変更しているかを見たい時もあって、原作を読み直して行く時もある。今回はあまり細かな筋は読んでなかったけど、現代の会社の話なんかではなく、昔ながらの暮らしをしているキリスト教系教団のコミュニティで起こった出来事だという程度の情報で見たのである。
(話し合う女たち)
そのため、時代や場所をよく知らないまま、何か古い時代っぱいから、19世紀か20世紀初頭頃のアメリカの田舎で起きた事件かと思ってしまった。ところが途中で、これは現代の話かと気付く出来事がある。そして登場人物が「南十字星」って言葉が出て来る。家に帰ってから調べてみると、こんなことだった。カナダの女性作家ミリアム・トウズが2018年に出した『Women Talking』という小説があり、その映画化権を3度アカデミー主演女優賞を受賞したフランシス・マクドーマンドが獲得し、ブラッド・ピット率いる映画会社PLAN Bに企画を持ち込み、自ら製作にも加わった。そして、『アウェイ・フロム・ハー君を想う』などを作ったサラ・ポーリーが脚色、監督を担当したわけである。
(サラ・ポーリー監督)
農場で奇怪な事件が相次ぐ。少女たちが朝起きてみると、記憶にない傷が付いている。中にはレイプされた大人の女性もいる。前からあったらしいが、キリスト教団体なので、悪魔の仕業などと決めつけられてきた。ところが少女が犯人を見ていて、ついに捕まることになった。地元警察が乗り出し、自供に基づき男たちが軒並み拘束されたのである。その男たちが保釈されて戻って来るらしい。そこで農場の女たちは、決断を迫られる。「許すか」「残って闘うか」「出ていくか」である。出ていくと、破門され天国に行けないという意見もあるが、最初の「許す」はあり得ないとなる。では残った二つのどちらを選ぶか。
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それを納屋に集まって延々と論じるのが、この映画である。女だけのところに、読み書きが出来る男性オーガスト(ベン・ウィショー)だけが書記として話合いを聞いている。彼は一度教団を出た経験があり、特別な位置を占めていた。彼が思いを寄せているオーナ(ルーニー・マーラ)初め、彼女たちはどのような選択をするのか。非常に緊迫したセリフと映像で進んで行くが、どうにも話に現実感がない。セクハラ企業で「労働組合を作って闘うか」「全員で退社するか」という論争なら、身近に引きつけて考えることも出来るだろうけど…。
これは実話だというし、原作もベストセラーになったらしい。だからアメリカではおおよそ事前に情報を知って見ているのかもしれない。2009年から2年間に48人の女性が睡眠中にレイプされた事件が起こった。動物麻酔剤を使用して眠らせていたらしい。場所はボリビア東部にあったキリスト教系コロニーである。「メノナイト」という一派で、中にはいろいろ違いがあるようだが、現代的な生活を拒否して昔ながらの農業共同体を海外にいくつも作っているらしい。外国へ行って、閉鎖的な「植民地」を築くということ自体に問題があっただろう。そのような実話があって、それが小説になり、映画になった。
映画の完成度は立派なものだが、まさか21世紀に起きた出来事とは思えず、どうも自分の身に迫って来ない恨みがある。テーマは重要なものだが、いくら何でも、こんなことがずっと続いたということが理解出来ないのである。ところで、女たちが話し合うわけだから、原題は『Women Talking』である。独り言じゃないんだから、当然複数形である。それを「ウーマン・トーキング」と単数形の邦題にするのはどうなんだろうか。日本で公開するんだから、日本風で良いとも言える。でも「ウィメン」でも、みんな判るのではないか。また(モンキーズが歌った)「デイドリーム・ビリーバー」が思わぬ形で映画に出て来たので驚いた。
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そのことは事前に知ってはいたんだけど…。一般論として、事前にどこまで調べてから行くか。旅行だと一応調べて行くことにしているが、現地に行くとまた知られざる名所がある。映画や演劇の場合、何か情報があって見に行くんだけど、あまり細かな筋書きを調べていくとつまらない。展開に驚きたい気持ちもある。原作ものは別である。原作をいかに生かしているか、または変更しているかを見たい時もあって、原作を読み直して行く時もある。今回はあまり細かな筋は読んでなかったけど、現代の会社の話なんかではなく、昔ながらの暮らしをしているキリスト教系教団のコミュニティで起こった出来事だという程度の情報で見たのである。
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そのため、時代や場所をよく知らないまま、何か古い時代っぱいから、19世紀か20世紀初頭頃のアメリカの田舎で起きた事件かと思ってしまった。ところが途中で、これは現代の話かと気付く出来事がある。そして登場人物が「南十字星」って言葉が出て来る。家に帰ってから調べてみると、こんなことだった。カナダの女性作家ミリアム・トウズが2018年に出した『Women Talking』という小説があり、その映画化権を3度アカデミー主演女優賞を受賞したフランシス・マクドーマンドが獲得し、ブラッド・ピット率いる映画会社PLAN Bに企画を持ち込み、自ら製作にも加わった。そして、『アウェイ・フロム・ハー君を想う』などを作ったサラ・ポーリーが脚色、監督を担当したわけである。
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農場で奇怪な事件が相次ぐ。少女たちが朝起きてみると、記憶にない傷が付いている。中にはレイプされた大人の女性もいる。前からあったらしいが、キリスト教団体なので、悪魔の仕業などと決めつけられてきた。ところが少女が犯人を見ていて、ついに捕まることになった。地元警察が乗り出し、自供に基づき男たちが軒並み拘束されたのである。その男たちが保釈されて戻って来るらしい。そこで農場の女たちは、決断を迫られる。「許すか」「残って闘うか」「出ていくか」である。出ていくと、破門され天国に行けないという意見もあるが、最初の「許す」はあり得ないとなる。では残った二つのどちらを選ぶか。
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それを納屋に集まって延々と論じるのが、この映画である。女だけのところに、読み書きが出来る男性オーガスト(ベン・ウィショー)だけが書記として話合いを聞いている。彼は一度教団を出た経験があり、特別な位置を占めていた。彼が思いを寄せているオーナ(ルーニー・マーラ)初め、彼女たちはどのような選択をするのか。非常に緊迫したセリフと映像で進んで行くが、どうにも話に現実感がない。セクハラ企業で「労働組合を作って闘うか」「全員で退社するか」という論争なら、身近に引きつけて考えることも出来るだろうけど…。
これは実話だというし、原作もベストセラーになったらしい。だからアメリカではおおよそ事前に情報を知って見ているのかもしれない。2009年から2年間に48人の女性が睡眠中にレイプされた事件が起こった。動物麻酔剤を使用して眠らせていたらしい。場所はボリビア東部にあったキリスト教系コロニーである。「メノナイト」という一派で、中にはいろいろ違いがあるようだが、現代的な生活を拒否して昔ながらの農業共同体を海外にいくつも作っているらしい。外国へ行って、閉鎖的な「植民地」を築くということ自体に問題があっただろう。そのような実話があって、それが小説になり、映画になった。
映画の完成度は立派なものだが、まさか21世紀に起きた出来事とは思えず、どうも自分の身に迫って来ない恨みがある。テーマは重要なものだが、いくら何でも、こんなことがずっと続いたということが理解出来ないのである。ところで、女たちが話し合うわけだから、原題は『Women Talking』である。独り言じゃないんだから、当然複数形である。それを「ウーマン・トーキング」と単数形の邦題にするのはどうなんだろうか。日本で公開するんだから、日本風で良いとも言える。でも「ウィメン」でも、みんな判るのではないか。また(モンキーズが歌った)「デイドリーム・ビリーバー」が思わぬ形で映画に出て来たので驚いた。