尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

樋田毅『彼は早稲田で死んだ』、非暴力抵抗運動の敗北まで

2023年06月14日 23時04分24秒 | 〃 (さまざまな本)
 樋田毅(1952~)氏の『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(2021、文藝春秋)を読んだ。『記者襲撃』『最後の社主』を書いた人の3冊目。前の2冊はものすごく面白かったし、今度の本もテーマ的に是非読みたかった。地元図書館で借りたんだけど、初めて行く図書館にあったので、借りに行くのが遅くなった。内容的に「面白かった」と評するのは不謹慎かもしれないが、実に興味深く一気読みしてしまった。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しただけのことはある力作である。

 3冊の本の中でも、僕はとりわけ「面白い」と思ったが、それは何故かと言えばまさに著者が当事者だからである。「赤報隊事件」を追うのも、社主付きのあれこれも、基本的には「仕事」である。しかし、この本では著者こそ当事者なのである。だから、この本の題名は少し不十分で、ホントのところは「彼は早稲田で死んだ」、『その後、われわれは何をしたのか』『そして、何故われわれは敗北したのか』が真の内容である。僕はこの本を半世紀前に早稲田大学で起きたリンチ殺人事件の記録だと思って読み始めて、もちろんその通りなのだが、それ以上に現代に突き刺さってくる重大テーマを論じた本だと気付くことになった。
(樋田毅氏)
 題名にある「彼」とは、1972年11月8日に早稲田大学構内で殺害された川口大三郎(20歳)という第一文学部2年生である。当時革共同(革命的共産主義者同盟)の革マル派中核派は血で血を洗う「内ゲバ」を繰り広げていた。早稲田大学は革マル派の「拠点校」となっていて、それ以前から大学を暴力的に支配していた。その実態はこの本でよく理解出来る。自治会の多数派を握ることによって、自治会費や早稲田祭パンフレット代などの「利権」を独占していた。

 「川口君」は革マル派に疑問を持ち、中核派の集会に行ったこともあるようである。しかし、中核派メンバーではなく、周囲には「革マルも中核も失望した」と語っていたらしい。しかし、早大内の革マル派メンバーからは中核派とみなされ、授業後にある教室に連れ込まれて集中的暴力を受けた。授業中の大学構内で、「拉致監禁」されたのである。そして全身を角材等で滅多打ちにされて、ショック死するに至った。「監禁」を心配して、クラスメートが教員に知らせたりしていたのに、何故か救出出来なかったのである。そして、死体は東大病院前に放置され発見された。
(川口君事件を報じる新聞)
 この事件に加わったメンバーは確定している。当初はシラを切ったものの、5人メンバーのうち一人が耐えきれずに「自白」し、逮捕・起訴された。その人物には著者が取材しているが、最後になってこの本への掲載を断ったということである。そのため、事件の詳細な経過は書かれていない。また「彼」がどのような青年だったのかも、ほとんど触れられていない。何故なら、著者自身がその後、激動の渦に呑み込まれたからである。著者は1年J組所属で、川口大三郎はちょうど一つ上の2年J組だった。個人的な知り合いではなかったというが、とても他人事とは思えなかったのである。

 革マル派は形式的には「謝罪」したが、川口君は中核派のスパイだったと決めつけ、(革命のための)やむを得ない出来事だったとした。そのことに多くの学生が反発を覚えて、一気に反革マル派運動が盛り上がることになった。学内で内ゲバ殺人が起きた例は他にもあるが、このように「一般学生」の大衆的盛り上がりを見せた大学はないようである。何百人、何千人もの学生が、革マル派自治会幹部を追求し、革マル派に代わる新しい自治会を作ろうとした。そして学生大会を開くまでになる。そのことは連日新聞で報道された。僕は当時高校生で、事件そのものの記憶はあるが、その後の展開に関しては全く記憶になく、手に汗握る知られざる現代史に一喜一憂して読んだ。
(学生大会を報じる新聞)
 その細かな経過は本書に譲るが、翌1973年度の新入生を迎える時期になったら、一時は猫を被っていた革マル派がその暴力的体質をむき出しにするようになった。新入生は最初は事情が判らず、そのような時期を狙って他大学からも暴力専門部隊を動員して、集中的に反革マル派学生の動きをつぶしていったのである。そして、それに対応して、反革マルの自治会を作ろうとしていた側も「武装やむなし」との傾向が生じた。この「武装」とはヘルメットとゲバ棒(角材、鉄パイプ等)のことである。しかし、本格的武装組織を訓練している革マル派に抵抗出来るはずもなかった。

 樋田氏は1年生にして臨時自治会の委員長を務めていた。自身の立場は「あくまでも非暴力を貫く」「不寛容に寛容で立ち向かう」と決めていた。これは渡辺一夫氏の影響である。しかし、著者自身も襲撃され、何とか命は取り留めたものの、数ヶ月の入院を余儀なくされる重傷を負った。襲撃時に周囲に学生たちもいたのだが、皆逃げてしまったという。著者自身も似たようなケースで、助けることが出来なかった。この襲撃時の体験は後々まで夢に見るほどの恐怖心となったのである。そして、2年次終了時に運動から撤退することを決意した。非暴力でまとまってきた仲間たちが続々とヘルメットを被って現れる時の孤立感には言葉もない。

 著者は当時の委員長や自治会メンバーに会いに行っている。その内容は非常に興味深く、人生の深淵をうかがわせる。ところで、多くの人は不思議に思うだろう。授業をやってる大学キャンパス内で、「自治会」が暴力を振るうというのはどういうことか。大学当局に施設管理権があるはずである。実は簡単な話で、大学当局が事実上革マル派自治会と癒着していたのである。一般学生に革マル派自治会幹部が追求されていると、大学当局が警察に救出を要請するのである。反革マル学生たちを警察が規制して、革マル派部隊が学内へ入れるのである。その理由は判らない。革マル派を追い出しても、中核派が支配して、両者の争奪戦になるぐらいなら、革マル派自治会を温存する方が良いと思ったのだろうか。

 この本は実に現代的なテーマを扱っている。例えば香港ミャンマーを思い出す。ひとたび権力機関が牙をむいた時の恐ろしさを日本からはなかなか感じ取れない。この本を読むと、その恐怖とはこんなものだったかと思った。もっとも早稲田では学外に出れば、そこには平和な市民生活があった。国家権力そのものが暴力支配をむき出しにした場合、もっと恐ろしいだろう。それに対して、「非暴力」は意味を持つのだろうか。しかし、重武装を進めることでしか、「敵」には対抗出来ないのだろうか。まさに今の日本で問われていることだ。
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