上野の東京都美術館で開かれている「デ・キリコ展」を見に行った。(8月29日まで。)最近めっきり美術館や博物館に行かなくなったが、なかなか値段が高いのである。もうじっくり見るのが面倒で、映画や演劇なら座っていればいいわけだが、自分で見て歩くとなると細かい字の説明を読むのが大変。上野では他に面白い展覧会がいっぱいあるのだが、これを見たのは一つには「シニア割り」があるからだ。そして、もう一つデ・キリコは子どもの頃から大好きで気になっているのである。
ジョルジョ・デ・キリコ(1888~1978)は長命だったので、僕の学生時代まで存命だった。ただダリなどとは違って、晩年には「古典回帰」したと言われて、とっくの昔に終わった画家という扱いになっていた。しかし今回の展示を見ると、最晩年に「新形而上絵画」を描いていた。もっとも大分力は落ちている感じだが。今年は1924年にアンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表してから100年になる。シュルレアリスム再評価の試みがあちこちで行われるようだ。
(ジョルジョ・デ・キリコ)
僕がデ・キリコを知った時はシュルレアリスムの画家と言われていた。その頃はただの「キリコ」と言うことが多く、さらに名前を全部呼ぶ時もフランス読みで「ジョルジュ・デ・キリコ」と言うことが多かったと思う。多分百科事典かなんかで知ったと思うのだが、あまり本物を見た記憶がない。ルネ・マグリットやポール・デルヴォーなんかの方が本物の絵を見てると思う。だから、これほどまとまって見たのは初めてで充実感があった。それはいいんだけど、僕が昔「キリコ」として名付けようもない魅力を感じた、「不思議な広場」「不思議な塔」の絵は第一次大戦以前の1910年代には書かれていたのである。
《バラ色の塔のあるイタリア広場》1934年
こういう絵を見ると、僕は昔から何故か心惹かれてしまう。それは僕の夢の世界と似ている。自分の家に帰ろうと身近な道を歩いていると(あるいは学校へ向かっていると)、いつの間にか知らない町へ入っている。そこには「誰もいない」ことが多い。そこが萩原朔太郎『猫町』と違うところなんだけど、どこか孤独で、しかし懐かしい。デ・キリコの絵では「影」が印象的に表現されているが、僕の夢には光と影は出て来ない。だけど誰もいない町並み、不思議な塔などはよく似ている。もちろんデ・キリコの影響でそうなったのかも知れないが、見たときから魅惑されたのだから僕の本質とつながりもあると思う。
《塔》1913年
その後デ・キリコの絵には「マヌカン」(マネキン)がよく登場するようになる。ギリシャ神話に出て来る「ヘクトルとアンドロマケ」と題されることが多い。どうもギリシャ神話なんて言われるとよく判らないんだけど、表情のない人物像には謎めいた魅力がある。下の絵は1970年のもので、晩年になってもこういう絵を描いていたのである。
《ヘクトルとアンドロマケ》1970年
いろいろと画像を載せていても仕方ないけど、やはりデ・キリコの魅力は下のような「不思議系」だと思う。第一次大戦以前にパリで作品を発表して、全然認められなかった。それを見出したのは詩人ギヨーム・アポリネールだった。そして大戦後にシュルレアリスムの画家たちにも大きな影響を及ぼした。ということで、デ・キリコはシュルレアリスムというより、それ以前の画家と言うべきだろう。そしてシュルレアリストたちとの蜜月は短く、20年代後半に入ると古典回帰したデ・キリコとシュルレアリスム運動は絶縁するようになった。
《不安を与えるミューズたち》1950頃
だけど案外その古典風の、馬がテーマの神話風の絵なんかも魅力があるのだ。今回は彫刻や舞台美術なども出ているし、本当はもっとじっくり見たいところ。また短いけれど(2分)、生涯を展望するビデオが流されている。それを見ると、イタリアの風景、トリノ、ミラノ、フェラーラなんかの町の風景がデ・キリコの絵画に大きな影響を与えているのが明らかに見て取れる。
《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》1959
今回は平日限定65歳以上前売り券というのを買っていたので、さっさと見てきたわけ。デ・キリコの住んでいたローマの邸宅は今は美術館として公開されているという。まあ見に行くことはないだろうなあ。スマホもコインロッカーに入れて見てたから写真は撮らなかった。展示物は撮れないけど、最後に撮影スポットが用意されていた。
ジョルジョ・デ・キリコ(1888~1978)は長命だったので、僕の学生時代まで存命だった。ただダリなどとは違って、晩年には「古典回帰」したと言われて、とっくの昔に終わった画家という扱いになっていた。しかし今回の展示を見ると、最晩年に「新形而上絵画」を描いていた。もっとも大分力は落ちている感じだが。今年は1924年にアンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表してから100年になる。シュルレアリスム再評価の試みがあちこちで行われるようだ。
(ジョルジョ・デ・キリコ)
僕がデ・キリコを知った時はシュルレアリスムの画家と言われていた。その頃はただの「キリコ」と言うことが多く、さらに名前を全部呼ぶ時もフランス読みで「ジョルジュ・デ・キリコ」と言うことが多かったと思う。多分百科事典かなんかで知ったと思うのだが、あまり本物を見た記憶がない。ルネ・マグリットやポール・デルヴォーなんかの方が本物の絵を見てると思う。だから、これほどまとまって見たのは初めてで充実感があった。それはいいんだけど、僕が昔「キリコ」として名付けようもない魅力を感じた、「不思議な広場」「不思議な塔」の絵は第一次大戦以前の1910年代には書かれていたのである。
《バラ色の塔のあるイタリア広場》1934年
こういう絵を見ると、僕は昔から何故か心惹かれてしまう。それは僕の夢の世界と似ている。自分の家に帰ろうと身近な道を歩いていると(あるいは学校へ向かっていると)、いつの間にか知らない町へ入っている。そこには「誰もいない」ことが多い。そこが萩原朔太郎『猫町』と違うところなんだけど、どこか孤独で、しかし懐かしい。デ・キリコの絵では「影」が印象的に表現されているが、僕の夢には光と影は出て来ない。だけど誰もいない町並み、不思議な塔などはよく似ている。もちろんデ・キリコの影響でそうなったのかも知れないが、見たときから魅惑されたのだから僕の本質とつながりもあると思う。
《塔》1913年
その後デ・キリコの絵には「マヌカン」(マネキン)がよく登場するようになる。ギリシャ神話に出て来る「ヘクトルとアンドロマケ」と題されることが多い。どうもギリシャ神話なんて言われるとよく判らないんだけど、表情のない人物像には謎めいた魅力がある。下の絵は1970年のもので、晩年になってもこういう絵を描いていたのである。
《ヘクトルとアンドロマケ》1970年
いろいろと画像を載せていても仕方ないけど、やはりデ・キリコの魅力は下のような「不思議系」だと思う。第一次大戦以前にパリで作品を発表して、全然認められなかった。それを見出したのは詩人ギヨーム・アポリネールだった。そして大戦後にシュルレアリスムの画家たちにも大きな影響を及ぼした。ということで、デ・キリコはシュルレアリスムというより、それ以前の画家と言うべきだろう。そしてシュルレアリストたちとの蜜月は短く、20年代後半に入ると古典回帰したデ・キリコとシュルレアリスム運動は絶縁するようになった。
《不安を与えるミューズたち》1950頃
だけど案外その古典風の、馬がテーマの神話風の絵なんかも魅力があるのだ。今回は彫刻や舞台美術なども出ているし、本当はもっとじっくり見たいところ。また短いけれど(2分)、生涯を展望するビデオが流されている。それを見ると、イタリアの風景、トリノ、ミラノ、フェラーラなんかの町の風景がデ・キリコの絵画に大きな影響を与えているのが明らかに見て取れる。
《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》1959
今回は平日限定65歳以上前売り券というのを買っていたので、さっさと見てきたわけ。デ・キリコの住んでいたローマの邸宅は今は美術館として公開されているという。まあ見に行くことはないだろうなあ。スマホもコインロッカーに入れて見てたから写真は撮らなかった。展示物は撮れないけど、最後に撮影スポットが用意されていた。