桜木紫乃を読むシリーズ3回目で最後。今回は主に『緋の河』(2019、新潮文庫)を取り上げるが、その前に読み終わったばかりの『霧』をちょっと。講談社文庫の桜木作品連続刊行の最後。これは桜木作品には珍しく、釧路ではなく根室を舞台にしている。釧路以上に寒い環境で展開される三姉妹の物語だが、途中であれよあれよと怒濤の展開でヤクザ小説、または政治小説になっていくのでビックリ。非常に面白かったが、冒頭で根室を代表する水産会社の次女がよりによって中学卒業後に芸者になってしまう。
長女は政界進出をめざす運輸会社の長男に嫁ぎ、次女が花街に行ってしまい、結果的に三女は自分が犠牲になって婿取りをして家を守ると決意する。最初が花街で始まるのでそういう話かと思うと、どんどん変容していくのが面白い。昭和30年代の根室では北方領土をめぐってきな臭い動きが絶えない。そこら辺も面白いが、もし読むなら解説は後にした方がよい。最後の展開がバラされているので。それは別にして、子どもが三人いれば一人は親の期待から外れて生きるものなのだ。
そのことが実話に基づきフィクション化されているのが、『緋の河』である。これは釧路に生まれたカルーセル麻紀(1942~)の人生にインスパイアされた小説である。刊行当時話題になったので、文庫になったら読みたいと思っていたが2022年に新潮文庫に入ったのに気付いていなかった。今回桜木作品をまとめ読みしようと思って調べたら、とっくに文庫になっていた。文庫で600頁を越える長い小説だが、それでも22歳までしか達せず、その後のことは『孤蝶の城』(2022)という続編があるがまだ読んでない。
カルーセル麻紀(作中では「カーニバル真子」)は元祖「性転換タレント」である。まだ子どもだった自分は、そういうことが可能なのかと驚いたものだ。その前にテレビ番組によく出ていたが、まだLGBTなんて概念もなく「男だけど女として生きる」という生き方があると示した人である。もっとも世間的にはどこか「怪しい」感じも匂っていたと思う。ともかく1970年代前半にはある程度の年齢の人は全員が知っていたと思う。当時は「ジェンダー・アイデンティティ」なんて考えはなく、世の中には生まれながらの「男」「女」しかないと僕も思っていた。
(カルーセル麻紀)
そのカルーセル麻紀は釧路に生まれたので、桜木紫乃はぜひ自分で小説に書きたいと思っていたという。戦時中の生まれで出生名が「徹男」と付けられたのは、厳格な父の「米英と徹底的に戦う男」という意味らしい。小説では「秀男」となっているが、幼いときから女児のように思っていた。周りは姉のお下がりを着せられたからで、いずれ「治る」と思っていたようだが、いつまで経っても体は華奢なままだった。自分のことも「あちし」(「わたし」と言えず)と呼ぶ弱々しい「少年」は、学校に上がると格好のいじめの標的である。そのためいつも強いものを見つけて守って貰った。親や教師も本人が弱いからだと思われていた。
そんな彼は中学では初めて「友人」を見つけた。何とか中学を卒業し高校へ行ったが、そこでは丸刈りが校則で「頭髪検査」があった。演劇部で女性役をするからと何とか目こぼしされていたが、ついに教頭が来て無理やりバリカンで刈られた。それをきっかけに教師に啖呵を叩きつけて退学した。そのまま家出して東京をめざすも無理と判って札幌で下りて、何とかゲイバーにたどり着く。そういう場所があると子ども時代に教えられていたのである。
(カルーセル麻紀の若い頃)
その後は「ショービジネス」の小説となっていく。札幌から東京へ出て行き、さらに大阪へ行く。その間に多くの男性遍歴もあるが、もともと客商売に向いていた。度胸もあるし、話もうまい。10代にして夜の世界で人気者となる。その後、単にゲイバーでショーをするだけではなく、本格的に舞台に出るチャンスがめぐってくる。しかし、そこでは女優のわがままが目に余る。ついに若輩の真子が啖呵を切る。このように2度の「啖呵」シーンがとても印象的だ。カルーセル麻紀に同じような場面もあったんだろうが、桜木紫乃の小説家としての力量が示されている。
(『霧』)
『緋の河』は今度テレビに出られるというところで終わっている。その後は続編で。誰にも認められないと思って生きる「秀男」だが、ただ姉だけが味方になってくれる。ずっと親の期待を背負って生きていた姉が、ラスト近くで大きく変わっていく。そこも読みどころだ。性別違和(性同一性障害)の子どもの心理をここまで書き込んだ小説はあまりないと思う。これは「釧路小説」とは言えないが、やはり釧路という町が背景にあって成立している。もっともこの時代、大阪では釧路の位置を知ってる人などほとんどいないのだが。とにかく桜木紫乃の小説は面白いのでお薦め。
長女は政界進出をめざす運輸会社の長男に嫁ぎ、次女が花街に行ってしまい、結果的に三女は自分が犠牲になって婿取りをして家を守ると決意する。最初が花街で始まるのでそういう話かと思うと、どんどん変容していくのが面白い。昭和30年代の根室では北方領土をめぐってきな臭い動きが絶えない。そこら辺も面白いが、もし読むなら解説は後にした方がよい。最後の展開がバラされているので。それは別にして、子どもが三人いれば一人は親の期待から外れて生きるものなのだ。
そのことが実話に基づきフィクション化されているのが、『緋の河』である。これは釧路に生まれたカルーセル麻紀(1942~)の人生にインスパイアされた小説である。刊行当時話題になったので、文庫になったら読みたいと思っていたが2022年に新潮文庫に入ったのに気付いていなかった。今回桜木作品をまとめ読みしようと思って調べたら、とっくに文庫になっていた。文庫で600頁を越える長い小説だが、それでも22歳までしか達せず、その後のことは『孤蝶の城』(2022)という続編があるがまだ読んでない。
カルーセル麻紀(作中では「カーニバル真子」)は元祖「性転換タレント」である。まだ子どもだった自分は、そういうことが可能なのかと驚いたものだ。その前にテレビ番組によく出ていたが、まだLGBTなんて概念もなく「男だけど女として生きる」という生き方があると示した人である。もっとも世間的にはどこか「怪しい」感じも匂っていたと思う。ともかく1970年代前半にはある程度の年齢の人は全員が知っていたと思う。当時は「ジェンダー・アイデンティティ」なんて考えはなく、世の中には生まれながらの「男」「女」しかないと僕も思っていた。
(カルーセル麻紀)
そのカルーセル麻紀は釧路に生まれたので、桜木紫乃はぜひ自分で小説に書きたいと思っていたという。戦時中の生まれで出生名が「徹男」と付けられたのは、厳格な父の「米英と徹底的に戦う男」という意味らしい。小説では「秀男」となっているが、幼いときから女児のように思っていた。周りは姉のお下がりを着せられたからで、いずれ「治る」と思っていたようだが、いつまで経っても体は華奢なままだった。自分のことも「あちし」(「わたし」と言えず)と呼ぶ弱々しい「少年」は、学校に上がると格好のいじめの標的である。そのためいつも強いものを見つけて守って貰った。親や教師も本人が弱いからだと思われていた。
そんな彼は中学では初めて「友人」を見つけた。何とか中学を卒業し高校へ行ったが、そこでは丸刈りが校則で「頭髪検査」があった。演劇部で女性役をするからと何とか目こぼしされていたが、ついに教頭が来て無理やりバリカンで刈られた。それをきっかけに教師に啖呵を叩きつけて退学した。そのまま家出して東京をめざすも無理と判って札幌で下りて、何とかゲイバーにたどり着く。そういう場所があると子ども時代に教えられていたのである。
(カルーセル麻紀の若い頃)
その後は「ショービジネス」の小説となっていく。札幌から東京へ出て行き、さらに大阪へ行く。その間に多くの男性遍歴もあるが、もともと客商売に向いていた。度胸もあるし、話もうまい。10代にして夜の世界で人気者となる。その後、単にゲイバーでショーをするだけではなく、本格的に舞台に出るチャンスがめぐってくる。しかし、そこでは女優のわがままが目に余る。ついに若輩の真子が啖呵を切る。このように2度の「啖呵」シーンがとても印象的だ。カルーセル麻紀に同じような場面もあったんだろうが、桜木紫乃の小説家としての力量が示されている。
(『霧』)
『緋の河』は今度テレビに出られるというところで終わっている。その後は続編で。誰にも認められないと思って生きる「秀男」だが、ただ姉だけが味方になってくれる。ずっと親の期待を背負って生きていた姉が、ラスト近くで大きく変わっていく。そこも読みどころだ。性別違和(性同一性障害)の子どもの心理をここまで書き込んだ小説はあまりないと思う。これは「釧路小説」とは言えないが、やはり釧路という町が背景にあって成立している。もっともこの時代、大阪では釧路の位置を知ってる人などほとんどいないのだが。とにかく桜木紫乃の小説は面白いのでお薦め。