戦後日本を代表する国際的作家安部公房(あべ・こうぼう)は、2024年が生誕百年に当たる。ノーベル文学賞確実と言われながら、1993年に68歳で急死して以来30年以上が過ぎてしまった。今年は様々な企画もあるようだが、現在シネマヴェーラ渋谷で「生誕百年記念 シネアスト安部公房」という映画特集をやっている。この前高橋惠子、浅田美代子のトークを聞きに行ったところだが、今日は俳優座のベテラン女優岩崎加根子のトークショーがあるのでまた行ってきた。
(安部公房)
安部公房の本名は「きみふさ」と読ませるらしいが、大体皆「こーぼー」と発音していた。戦後文学の中でも独自の異端的な作風だったが、『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』などミステリアスな作品が世界的に評価された。僕は代表的な作品を高校時代に読んでしまい、大きな影響を受けた。主要作を収録した「新潮日本文学」の他に、文庫に入っていた『壁』『第四間氷期』などSF的作風の作品も面白かった。『箱男』『密会』『方船さくら丸』などは刊行当時にハードカバーで読んでいる。しかし、次第に作品を発表しなくなり気付いたら新聞に訃報が載っていた。
そんな安部公房が70年代には演劇に熱中していたことは、今ではあまり記憶されていないかもしれない。もともと60年代に主要作品が勅使河原宏監督によって映画化され、安部も脚本に参加している。それらの映画は前に勅使河原監督特集で見たときにまとめて書いた。(『砂の女』は別にそれだけで書いている。)それ以前にラジオドラマやテレビドラマの脚本を書くこともあった。そして50年代末からは新劇に向けて戯曲を書くようになった。そして1973年には、「安部公房スタジオ」を起ち上げた。井川比佐志、田中邦衛、仲代達矢、山口果林などが参加し、堤清二の支援を受けて西武劇場(現PARCO劇場)で上演した。
(岩崎加根子)
そのきっかけは今日聞いた岩崎加根子(1832~)によると、60年代末に俳優座で『どれい狩り』が上演された時の経験にある。上演はありがたいがどうしても千田是也の演出した世界になってしまう。「意味」をはく奪して肉体のみが演じる世界を演出したいということだろう。そのため紀伊國屋の企画として安部公房演出で『棒になった男』の上演が行われた。この戯曲は「鞄」「時の崖」「棒になった男」の三作品が集まったもので、岩崎加根子は市原悦子とともに「鞄」に出た。鞄に何が入っているか二人で延々と話し続けるような作品だったらしい。聞き手の鳥羽耕司氏によると、これは安部公房の見た夢の戯曲化らしい。
岩崎加根子は独特の安部演出に腰を痛めてしまったが、安部は東京帝大医学部卒(Wikipediaによれば国家試験を受けない条件付きで卒業単位を認定されたという)で東大病院にいた同級生のところに行かされたという。胸に一本注射を打たれたら腰痛が消えたという。安部公房は俳優座との関係が深く、俳優座養成所を桐朋学園短期大学(現・桐朋学園芸術短期大学)に移管するときも安部があっせんしたという。(1966年に桐朋短大に「芸術科(音楽専攻・演劇専攻)」を設置し、俳優座養成所を廃止した。安部公房や千田是也が教員として加わった。)安部公房スタジオに仲代、井川、田中など俳優座出身者が多いのもそれが理由だろう。
岩崎は安部公房スタジオには参加していないが、当時の体験者として非常に興味深い出来事を幾つも語った。例えば山口果林が朝ドラ『繭子ひとり』(1971)に選ばれたとき、岩崎に電話してきてNHKテレビに出たら演技がおかしくならないか、反対するべきかと相談したらしい。岩崎も困ってしまって、本人がしっかりしてれば良いんじゃないか、本人の希望次第などと答えたらしい。安部もそうか本人次第かなどと反応したらしい。朝ドラに出ることで知名度が高まるのは間違いない。60年代には樫山文枝、日色ともゑ、70年代だと大竹しのぶなどその後舞台で活躍を続けた女優も輩出しているから、確かに本人次第だ。
(『仔象は死んだ』)
ところで今日上映された『仔象は死んだ』は79年にアメリカで上演され大評判を呼んだ作品の映像化である。1980年に製作されたもので、安部公房が監督、脚本、音楽を担当している。音楽というのは自分でシンセサイザーを演奏しているのである。また美術を安部真知(夫人)を担当している。映画は舞台の記録かと思うと少し違って、カメラが動いて時には劇場外に出ていく。安部公房スタジオは当初は普通に演劇らしい、つまりセリフが意味を持つ不条理劇をやっていたが、次第にパフォーマンスというか「舞踏」のようなものになったという。『仔象は死んだ』にはセリフもあるが、ほぼ意味のつながりがない。一面の大きな白いシーツの下、または上で俳優が床運動みたいに動き回る。これが70年代の「前衛文化」だという感じ。
(『詩人の生涯』)
その前にアニメ『詩人の生涯』(1974)と『時の崖』(1971)も見た。『詩人の生涯』は安部公房脚本、川本喜八郎演出の切り絵風アニメで、シュールレアリズム的な描写と社会派的テーマが融合した作品。『時の崖』は先に書いた『棒になった男』の中の一編で、井川比佐志の一人芝居と言ってもよい。負けていくボクサーの心象風景をひたすら井川のシャドーボクシングと一人語りで描き出す。安部公房監督作品。映像作品として見た場合は、『仔象は死んだ』も『時の崖』も資料映像的な感じ。
だけどこれらの作品は70年代文化史に欠かせないピースだと思う。有名作家の中でここまで演劇に関わった人もいないだろう。またある種堤清二を中心にした「セゾン文化」を記録した意味もある。僕は高校生から大学の時期で、安部公房スタジオというのがあるのは知っていたが見たことはない。何だかよく判らないけれど、こういうものに観客が集まっていた時代があった。岩崎加根子は細かいことは忘れたといいながら今も元気で、今秋に『慟哭のリア』の主演公演が控えている。
(安部公房)
安部公房の本名は「きみふさ」と読ませるらしいが、大体皆「こーぼー」と発音していた。戦後文学の中でも独自の異端的な作風だったが、『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』などミステリアスな作品が世界的に評価された。僕は代表的な作品を高校時代に読んでしまい、大きな影響を受けた。主要作を収録した「新潮日本文学」の他に、文庫に入っていた『壁』『第四間氷期』などSF的作風の作品も面白かった。『箱男』『密会』『方船さくら丸』などは刊行当時にハードカバーで読んでいる。しかし、次第に作品を発表しなくなり気付いたら新聞に訃報が載っていた。
そんな安部公房が70年代には演劇に熱中していたことは、今ではあまり記憶されていないかもしれない。もともと60年代に主要作品が勅使河原宏監督によって映画化され、安部も脚本に参加している。それらの映画は前に勅使河原監督特集で見たときにまとめて書いた。(『砂の女』は別にそれだけで書いている。)それ以前にラジオドラマやテレビドラマの脚本を書くこともあった。そして50年代末からは新劇に向けて戯曲を書くようになった。そして1973年には、「安部公房スタジオ」を起ち上げた。井川比佐志、田中邦衛、仲代達矢、山口果林などが参加し、堤清二の支援を受けて西武劇場(現PARCO劇場)で上演した。
(岩崎加根子)
そのきっかけは今日聞いた岩崎加根子(1832~)によると、60年代末に俳優座で『どれい狩り』が上演された時の経験にある。上演はありがたいがどうしても千田是也の演出した世界になってしまう。「意味」をはく奪して肉体のみが演じる世界を演出したいということだろう。そのため紀伊國屋の企画として安部公房演出で『棒になった男』の上演が行われた。この戯曲は「鞄」「時の崖」「棒になった男」の三作品が集まったもので、岩崎加根子は市原悦子とともに「鞄」に出た。鞄に何が入っているか二人で延々と話し続けるような作品だったらしい。聞き手の鳥羽耕司氏によると、これは安部公房の見た夢の戯曲化らしい。
岩崎加根子は独特の安部演出に腰を痛めてしまったが、安部は東京帝大医学部卒(Wikipediaによれば国家試験を受けない条件付きで卒業単位を認定されたという)で東大病院にいた同級生のところに行かされたという。胸に一本注射を打たれたら腰痛が消えたという。安部公房は俳優座との関係が深く、俳優座養成所を桐朋学園短期大学(現・桐朋学園芸術短期大学)に移管するときも安部があっせんしたという。(1966年に桐朋短大に「芸術科(音楽専攻・演劇専攻)」を設置し、俳優座養成所を廃止した。安部公房や千田是也が教員として加わった。)安部公房スタジオに仲代、井川、田中など俳優座出身者が多いのもそれが理由だろう。
岩崎は安部公房スタジオには参加していないが、当時の体験者として非常に興味深い出来事を幾つも語った。例えば山口果林が朝ドラ『繭子ひとり』(1971)に選ばれたとき、岩崎に電話してきてNHKテレビに出たら演技がおかしくならないか、反対するべきかと相談したらしい。岩崎も困ってしまって、本人がしっかりしてれば良いんじゃないか、本人の希望次第などと答えたらしい。安部もそうか本人次第かなどと反応したらしい。朝ドラに出ることで知名度が高まるのは間違いない。60年代には樫山文枝、日色ともゑ、70年代だと大竹しのぶなどその後舞台で活躍を続けた女優も輩出しているから、確かに本人次第だ。
(『仔象は死んだ』)
ところで今日上映された『仔象は死んだ』は79年にアメリカで上演され大評判を呼んだ作品の映像化である。1980年に製作されたもので、安部公房が監督、脚本、音楽を担当している。音楽というのは自分でシンセサイザーを演奏しているのである。また美術を安部真知(夫人)を担当している。映画は舞台の記録かと思うと少し違って、カメラが動いて時には劇場外に出ていく。安部公房スタジオは当初は普通に演劇らしい、つまりセリフが意味を持つ不条理劇をやっていたが、次第にパフォーマンスというか「舞踏」のようなものになったという。『仔象は死んだ』にはセリフもあるが、ほぼ意味のつながりがない。一面の大きな白いシーツの下、または上で俳優が床運動みたいに動き回る。これが70年代の「前衛文化」だという感じ。
(『詩人の生涯』)
その前にアニメ『詩人の生涯』(1974)と『時の崖』(1971)も見た。『詩人の生涯』は安部公房脚本、川本喜八郎演出の切り絵風アニメで、シュールレアリズム的な描写と社会派的テーマが融合した作品。『時の崖』は先に書いた『棒になった男』の中の一編で、井川比佐志の一人芝居と言ってもよい。負けていくボクサーの心象風景をひたすら井川のシャドーボクシングと一人語りで描き出す。安部公房監督作品。映像作品として見た場合は、『仔象は死んだ』も『時の崖』も資料映像的な感じ。
だけどこれらの作品は70年代文化史に欠かせないピースだと思う。有名作家の中でここまで演劇に関わった人もいないだろう。またある種堤清二を中心にした「セゾン文化」を記録した意味もある。僕は高校生から大学の時期で、安部公房スタジオというのがあるのは知っていたが見たことはない。何だかよく判らないけれど、こういうものに観客が集まっていた時代があった。岩崎加根子は細かいことは忘れたといいながら今も元気で、今秋に『慟哭のリア』の主演公演が控えている。