アメリカ大統領選の民主党副大統領候補になったミネソタ州知事のティム・ウォルズはとても興味深い人物だ。そのことはまた別に書きたいと思うけど、この人は公立高校の社会科教員だった。演説では「公立学校の教師を甘く見るな」と語っていた。全くその通り。専門は地理だというが、社会の様々な問題について生徒に語る機会も多かっただろう。
日本では9月に与党第一党の自由民主党、野党第一党の立憲民主党でともにトップを選ぶ選挙が予定されている。そして、現職自民党総裁の岸田文雄首相は総裁選に立候補しないと明らかにした。そのこと自体は別に驚くことではなく誰でも判っていたわけだが、表明したのが8月14日だったのにはちょっと驚いた。翌日に「全国戦没者追悼式」を控えているので、その前日にもうすぐ辞めると言うのは(「英霊」や「天皇」に対して)「不敬」にあたるなどと「右翼」が反発するかもしれないじゃないか。
(岸田首相が不出馬表明)
しかし、自民党は「パンドラの箱」を開けたようになってしまい、そんな懸念をするまでもないようだ。困ったのは「不出馬表明」はお盆休み明けと予想して夏休みを予定していた政治部記者だろう。もしかしたらマスコミへの嫌がらせだったのかもしれない。まあ大部分の社は予定稿を準備していただろうが。そのマスコミは自民党総裁選に予想以上の候補が出そうということで「祭状態」になっている。そしてそれを批判する人もいつものようにいる。
だけど、自民党総裁選とは「事実上の次期首相選び」なんだから、マスコミ報道が過熱するのも当然だと思う。問題はそこではなく、その報道が「国民が真に知るべきこと」を伝えないことだ。候補者は全員自民党議員なんだから、もともと全国民の平均より右である。その中で競い合うから、「保守度アピール」になりやすい。そこで「全国民」を代表して、「選択的夫婦別姓制度」や「原発」への考え方などを記者こそが鋭く聞かなければいけない。
その総裁選の行方は次に考えるとして、「岸田首相は何で辞めるのか?」。そんなことは判りきっていると言わず、子どもたちに聞かれたら親や教師は何て答えればよいのか? 恐らくつい「支持率が低い」とか「裏金問題」、「物価高」とか、または「次の選挙が近いから」などと答えるだろう。しかし、それらは「現象」である。マスコミは現象ばかり追いかけるが、大事なのは「本質」である。それこそ教師が生徒に提示するべきものだろう。
(広島で配布された号外)
じゃあ、その「本質」とは何だろうか。日本の政治制度は日本国憲法によって「議会制民主主義」と決まっている。また「三権分立」の原則で、立法と行政は別になる。総理大臣は国会で指名されるので、支持率が低いとは「次の選挙で党の候補者が減って総理大臣指名選挙で負ける」恐れがある。様々な問題があったとしても、それでも国民の支持率が高い政権なら倒れない。そんなことは当たり前のことだけど、突然聞かれたら、「日本は民主主義の国だから」と答えられるだろうか。
今年は世界のいろいろな国で選挙が行われた。イギリスでは政権交代が起こったし、インドや南アフリカでは政権は変わらないものの予想外に苦戦した。フランスは大統領制だから議会の権限は限定的だが、大統領派の与党が敗北した。韓国も同様である。それぞれ固有の事情があるが、ウクライナ、ガザ以後の世界的な物価高によって、どこの国のトップも厳しい状況にある。
日本でも今後一年間に衆院選、参院選が相次ぐ。支持率が低い首相では困ると自民党議員は考える。それは日本が「普通選挙」を行っているからだ。ロシアの大統領選も今年行われたが、候補者は自由に立候補出来なかった。中国は一党独裁だから、中国共産党大会で選ばれた総書記が国家のトップを兼ねる。国民全員が参加する「普通選挙」は行われない。サウジアラビアでは国会そのものがなく、国王が権力を握っている。(事実上は高齢の国王に代わって皇太子が実権を振るっている。)
世界には様々な政治制度があるが、「議会制民主主義」は絶対のものだろうか。それは「価値観」の範囲になるので、いろいろな考えがあり得る。国会議員が選挙を気にして政権支持率に一喜一憂するため、人気取りに走ったり長い目で政治を行えなくなる欠陥があるとよく言われる。「独裁」的な国の方が国民の人気を気にせず思い切った政治が出来るという考えは大昔から存在した。だけど、民主主義を取っているからこそ、政治家が国民の声を気にするのである。
選挙で当選するには知名度の高い候補の方が圧倒的に有利だから、「世襲政治家」が多くなる。自民党総裁選には10人以上が立候補意欲を見せているというが、その中で親や祖父が政治家じゃなかった人は2、3人しかいない。そういうような弊害も出てくるけれど、今のところ「議会制民主主義」以外の政治制度は考えられない。その良い部分を国民が認識していないと制度を生かすことが出来ない。そうなると「民主主義はマイナスが多い」というような意見が出て来る。国民は自民党、立憲民主党のトップがどう選ばれるか、注視する必要がある。と、まずはタテマエから。
日本では9月に与党第一党の自由民主党、野党第一党の立憲民主党でともにトップを選ぶ選挙が予定されている。そして、現職自民党総裁の岸田文雄首相は総裁選に立候補しないと明らかにした。そのこと自体は別に驚くことではなく誰でも判っていたわけだが、表明したのが8月14日だったのにはちょっと驚いた。翌日に「全国戦没者追悼式」を控えているので、その前日にもうすぐ辞めると言うのは(「英霊」や「天皇」に対して)「不敬」にあたるなどと「右翼」が反発するかもしれないじゃないか。
(岸田首相が不出馬表明)
しかし、自民党は「パンドラの箱」を開けたようになってしまい、そんな懸念をするまでもないようだ。困ったのは「不出馬表明」はお盆休み明けと予想して夏休みを予定していた政治部記者だろう。もしかしたらマスコミへの嫌がらせだったのかもしれない。まあ大部分の社は予定稿を準備していただろうが。そのマスコミは自民党総裁選に予想以上の候補が出そうということで「祭状態」になっている。そしてそれを批判する人もいつものようにいる。
だけど、自民党総裁選とは「事実上の次期首相選び」なんだから、マスコミ報道が過熱するのも当然だと思う。問題はそこではなく、その報道が「国民が真に知るべきこと」を伝えないことだ。候補者は全員自民党議員なんだから、もともと全国民の平均より右である。その中で競い合うから、「保守度アピール」になりやすい。そこで「全国民」を代表して、「選択的夫婦別姓制度」や「原発」への考え方などを記者こそが鋭く聞かなければいけない。
その総裁選の行方は次に考えるとして、「岸田首相は何で辞めるのか?」。そんなことは判りきっていると言わず、子どもたちに聞かれたら親や教師は何て答えればよいのか? 恐らくつい「支持率が低い」とか「裏金問題」、「物価高」とか、または「次の選挙が近いから」などと答えるだろう。しかし、それらは「現象」である。マスコミは現象ばかり追いかけるが、大事なのは「本質」である。それこそ教師が生徒に提示するべきものだろう。
(広島で配布された号外)
じゃあ、その「本質」とは何だろうか。日本の政治制度は日本国憲法によって「議会制民主主義」と決まっている。また「三権分立」の原則で、立法と行政は別になる。総理大臣は国会で指名されるので、支持率が低いとは「次の選挙で党の候補者が減って総理大臣指名選挙で負ける」恐れがある。様々な問題があったとしても、それでも国民の支持率が高い政権なら倒れない。そんなことは当たり前のことだけど、突然聞かれたら、「日本は民主主義の国だから」と答えられるだろうか。
今年は世界のいろいろな国で選挙が行われた。イギリスでは政権交代が起こったし、インドや南アフリカでは政権は変わらないものの予想外に苦戦した。フランスは大統領制だから議会の権限は限定的だが、大統領派の与党が敗北した。韓国も同様である。それぞれ固有の事情があるが、ウクライナ、ガザ以後の世界的な物価高によって、どこの国のトップも厳しい状況にある。
日本でも今後一年間に衆院選、参院選が相次ぐ。支持率が低い首相では困ると自民党議員は考える。それは日本が「普通選挙」を行っているからだ。ロシアの大統領選も今年行われたが、候補者は自由に立候補出来なかった。中国は一党独裁だから、中国共産党大会で選ばれた総書記が国家のトップを兼ねる。国民全員が参加する「普通選挙」は行われない。サウジアラビアでは国会そのものがなく、国王が権力を握っている。(事実上は高齢の国王に代わって皇太子が実権を振るっている。)
世界には様々な政治制度があるが、「議会制民主主義」は絶対のものだろうか。それは「価値観」の範囲になるので、いろいろな考えがあり得る。国会議員が選挙を気にして政権支持率に一喜一憂するため、人気取りに走ったり長い目で政治を行えなくなる欠陥があるとよく言われる。「独裁」的な国の方が国民の人気を気にせず思い切った政治が出来るという考えは大昔から存在した。だけど、民主主義を取っているからこそ、政治家が国民の声を気にするのである。
選挙で当選するには知名度の高い候補の方が圧倒的に有利だから、「世襲政治家」が多くなる。自民党総裁選には10人以上が立候補意欲を見せているというが、その中で親や祖父が政治家じゃなかった人は2、3人しかいない。そういうような弊害も出てくるけれど、今のところ「議会制民主主義」以外の政治制度は考えられない。その良い部分を国民が認識していないと制度を生かすことが出来ない。そうなると「民主主義はマイナスが多い」というような意見が出て来る。国民は自民党、立憲民主党のトップがどう選ばれるか、注視する必要がある。と、まずはタテマエから。