尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

金沢文庫と称名寺

2017年06月19日 21時39分27秒 | 東京関東散歩
 18日になるけど、神奈川県横浜市にある金沢文庫に行ってきた。梅雨時は日が長いから案外散歩日和だけど、この日は夕方から雨の予報が出ていた。まあ3時過ぎころまで持てばいいかと出かけたら、1時過ぎには降り始めてしまった。海の方まで歩いて野島公園まで行こうと思っていたけど、けっこう大雨なので帰ることにした。まあまたいずれ歩きたいと思う。

 金沢文庫というのは、中世武士の作った図書館だけど、その後も残り続けて貴重な文書が残った。今は神奈川県立の歴史博物館になっている。名前はもちろん昔から知っているけど、今は県立博物館になってるということは数年前まで知らなかった。残り続けた「金沢文庫文書」が2016年に一括して国宝に指定され、その記念の展示を18日までやっていたので見に行ったわけ。

 金沢文庫を作ったのは、北条実時(ほうじょう・さねとき 1224~1276)という人。北条義時の孫で、第5代執権の時頼、元寇時の第8代執権時宗などの側近として鎌倉幕府を支えた。金沢流北条氏と言われ、文化人として知られる。かつては野卑と思われた東国武士の中にも、教養を身に付ける人々が出てきたわけである。この文庫が北条氏滅亡以後もずっと続いたのは、実時が開基の称名寺があったからである。ここの境内にある浄土庭園は素晴らしく、国の史跡になっている。

 京浜急行の金沢文庫駅も初めてで(その次の金沢八景駅も行ったことがない)、京急の「快特」に乗ると案外近いのに驚いた。歩いて10分ちょっとで称名寺に出る。金沢文庫への近道もあったけど、まあお寺を見てから。池を中心にした庭園が素晴らしく、関東ではあまりないなあと思う。雨が降り始めていたので、それもいい情景なんだけど、だんだん激しくなった。
   
 その前に撮った門の写真。そこもなかなかいい感じ。
  
 金沢文庫は、昔は境内にあったらしい。1897年に伊藤博文らの力で再建されたものが、関東大震災で焼失。1930年に神奈川県立図書館、その後博物館になり、1990年に新築された。境内の隣にあって、トンネルで山を越えていく。トンネルの彼方に博物館が見えてくるのも面白い。
  
 そこでやってた展示を見ても、はっきり言って昔の仏典を見ても価値は判らない。古文書も読めない。実時をはじめとする金沢北条氏の肖像なんかの絵しか判らない感じなんだけど、まあほとんどが国宝という展示だった。ずいぶん貴重なものが、ここにしか残っていなかったという話。道元の漢文の「正法眼蔵」とか。日蓮の若いころの文書とか。世界にもここにしか残らなかったものがある。トンネルの近くに、中世から残る隧道が残っていた。
  
 さて、お寺に戻るが雨は止まない。鐘楼に猫がずっといるけど、僕はもういいやと思い、門から道路に出ると駅までのバスがちょうど来たので乗ってしまった。まあ海まで行くのは無理だなということで、快特に乗って都営地下鉄宝町で降りてフィルムセンターでフィンランド映画「オリ・マキの人生で一番幸せな日」というのを見た。これはなかなか面白かった。上映前にフィンランド大使館が作った公式ツイッターアカウントのマスコット「フィンたん」のアニメ動画をやった。これもなかなか面白い。
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