尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

神戸の詩人、安水稔和の逝去を悼むー2022年8月の訃報⑤

2022年11月10日 23時00分17秒 | 追悼
 詩人の安水稔和(やすみず・としかず)が2022年8月16日に死去、90歳。訃報が公にされたのは10月になってからだった。僕は新聞で知って、そう言えば昔この人の詩集を読んだなあと思いだした。それは素晴らしく瑞々しい青春の詩だったけれど、新聞記事では神戸に住んでいて阪神淡路大震災で被災したこと、その震災体験を執筆し続けたことが大きく取り上げられていた。いや、それは知らなかった。どこかで聞いたかもしれないが、東京ではあまり大きく取り上げられなかったと思う。震災関係の詩集やエッセイは関西の出版社から出されたが、地元の図書館に収蔵されていた。それを読んでみて、この記事を書いている。
(安水稔和)
 日本では現代詩はあまり読まれていないと思う。詩人の名も谷川俊太郎、大岡信、茨木のり子など少数を除いて思い浮かばないだろう。でも僕は若い頃にずいぶん読んでいた。それは角川文庫に確か全5巻の現代詩選集が入っていたからである。その本はどこかにあるはずだが、今はすぐには出て来ない。僕はその文庫本で多くの現代詩人の名前と作品を知ったのである。そして思潮社から出ている「現代詩文庫」を沢山買った。多分10数冊あると思う。そして、その一冊に「安水稔和詩集」があった。
 (現代詩文庫『安水稔和詩集』)
 その頃好きだったのは以下のような詩だった。(行分けは「/」で著す。)
 「君はかわいいと
 君はかわいいと/どうしていっていけないわけがあろう。/ただ言葉は変にいこじで妬み深く/君とぼくとのなかを/心よからずおもいがちで/君とぼくとのあいだを/ゆききしたがらない。/だから君/ちょっとお耳を。/どうだろう/言葉にいっぱい/くわせてやっては。/かわいいという言葉を/君のかわいい口にほうりこみ/君のかわいい唇のうえから/しっかりと封印しよう/ぼくの唇で。/奴めきっと憤然と/君の口のなかで悶死するにちがいない。/言葉の死んだあとに/愛が残るとすれば。/だから君/どうだろう
 「愛するとは
 愛するとは/どうひいきめにみても/あわれっぽいものだ。/雀の秘め事。/いつも離れていて/いつも離れられぬとおもいこむ。/おもいあまった意思が/身を投げる(以下、略)

 これらは25歳の時に刊行された詩集『愛について』(1956)に収録された詩である。全部引用したいぐらい、僕にとって魅力的だった。それは言うまでもなく、「男の子」が日常的に感じていることが書かれていたからだ。次の『』(1958)も良い詩がいっぱいある。
 「鳥よ
 鳥よ。/まっすぐに落ちてくる鳥よ。/落ちて落ちてもはや/おまえがおまえでなくなるとき、/なんと自由に/身をひるがえし/大地を横目に/おまえは新しいおまえとなることか。/おまえであったものが/土に頭を打ちつけ/あっけなく死んだその時に。(以下、略)

 ところで、その後僕は安水稔和を読まずに来た。というか、最近は詩を読むことも少ない。今回知ったけれど、安水稔和は1931年に神戸で生まれ、神戸の大空襲に遭遇した。その後に母親の実家の龍野(兵庫県)に5年間疎開したが、その後神戸市に戻り長田区に住んだ。大震災で一番大きな被害を受けた地区である。神戸大学に進学し、その後は神戸松蔭女子学院大学教授となった。ずっと神戸に住み続けた人生だったのである。大学在学中から詩作を続け「歴程」同人となり、いくつもの賞を受けた。

 1995年1月17日、そんな安水稔和が住む神戸市を大地震が襲った。今地震そのものに関しては書かないが、日本でこのようなことが起きるのかと大きな衝撃を受けた。東京では3月に起こった地下鉄サリン事件の衝撃によって「記憶の上書き」現象が起きた部分がある。しかし、僕は日帰りだけど現地を見ているので、その驚きを今も鮮明に覚えている。

 安水氏はからくも難を逃れた。数年前に建て直した家は倒壊しなかった。テレビが飛んで妻の寝ていた場所に落ちたが、起きていたので助かった。一家全員が助かったが、家の中はメチャクチャになった。通りを隔てた家まで火災で焼けた。電気も水もガスも止まったから、テレビも見られず情報が途絶えた。一週間後に朝日新聞から詩の依頼があり、それを読んで無事の消息が伝わった知人が多かったという。その時の詩が「神戸 五十年目の戦争」というものである。

 目のなかを燃え続ける炎。/とどめようもなく広がる炎。/炎炎炎炎炎炎炎。/またさらに炎さらに炎/
 目のまえに広がる焼け跡。/ときどき噴きあがる火柱。/くすぶる。/異臭漂う。/
 瓦礫に立つ段ボール片。/崩れた門柱の張り紙。/倒れた壁のマジックの文字。/みな無事です 連絡先は...。/
 木片の墓標。/この下にいます。/墓標もなく/この下にいます。/
 これが神戸なのか/これが長田のまちなのかこれが。/これはいつか見たまちではないか/一度見て見捨てたまちではないか。/
 (あれからわたしたちは/なにをしてきたのか。/信じたものはなにか。/なにをわたしたちはつくりだそうとしてきたのか。)/
 一九九五年年一月十七日。/午前五時四十六分。/わたしたちのまちを襲った/五十年目の戦争。/(以下、略)

 一読、忘れられない詩だ。どうしてこの詩を知らなかったのだろうか。その後、中越地震が、東日本大震災が、熊本地震が、その他多くの地震や集中豪雨などの災害が日本で起こった。この後に続く安水氏の詩がもっと多くの人に読まれていたならば、「何か」が違ったのではないか。「防災教育」などの場で、国民全員が読むべき詩ではなかったか。
(詩集『生きているということ』)
 今の詩を冒頭におき、4年目になるまで書き続けた詩を集めたのが「詩集『生きているということ』」(編集工房ノア)として刊行された。(第40回晩翠賞受賞。)今も入手できるようだが、まず地元の図書館で探してみてはどうか。是非一度読んで見て欲しいのである。先に書いた若い頃から、ずっと安水氏の詩は判りやすい言葉で書かれてきた。現代詩には言葉のアクロバットのような難解なものも多いが、特にこの詩集は表現的には誰でもすぐに通じると思う。それでも中に込められた重みは計りがたいぐらいだ。
(『神戸 これから 激震地の詩人の一年』)
 そして、震災後1年間に書かれた(話された)文章をまとめたものが「『神戸 これから 激震地の詩人の一年』(神戸新聞総合出版センター)である。ここには震災そのものではない文章(江戸時代の菅江真澄に関した文などだが、それらも震災に関連している)も入っているが、震災後に人がどのように生きていくか克明に記録されている。非常に貴重な文章で、これほどのものを知らなかったことにショックを受けた。東京では訃報に関しても追悼記事などは出ていないと思う。でも是非多くの人に読んで欲しいと思って、ここに紹介した。出来れば岩波文庫で『安水稔和詩集』を刊行して欲しいと願う。
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