10月になって公表された8月の訃報が2件あった。それぞれ書くべきことがあるので、2回に分けて書くことにする。その一つが今村核弁護士の訃報で、まだ59歳だったから、本当に驚いた。掲載されてない新聞が多く、知らない人も多いのではないか。非常に大きな損失というしかなく、何と言っていいのか言葉を失う思いだ。
事情はよく判らないながら、10月27日に旬報法律事務所のホームページに以下のような訃報が掲載された。「この間、都合により公表を控えておりましたが、当事務所の今村核弁護士が2022年8月20日頃死去いたしました(享年59歳)。謹んでお知らせいたします。なお、通夜ならびに葬儀につきましては、ご家族のご希望により、ご家族とご親族のみで執り行われる予定です。」
(今村核弁護士)
僕は今村弁護士を個人的に知っているわけではない。ただ2冊の本で知っているだけである。そして、その一冊に関して、ここに書いた。「「冤罪弁護士」今村核を見よ!ー佐々木健一「雪ぐ人」を読む」(2021.7.31)である。新潮文庫から出た、佐々木健一「雪(そそ)ぐ人 「冤罪弁護士」今村核の挑戦」という本の紹介である。僕はその本を読む前に、今村核『冤罪と裁判 冤罪弁護士が語る真実』(講談社現代新書)を読んでいたので、この人がとてつもない人だと知っていた。
日本の数多くの著名冤罪事件では、無罪を獲得するまで長年の苦労をする著名弁護士が存在する。しかし、今村核氏はそういう弁護士ではなかった。死刑・無期などの重刑事件では、ある程度大きな「支援会」が作られることも多い。そういう事件で無罪判決が出ると、新聞やテレビで大きく報道される。だが今村弁護士が担当したのは、新聞にも載らないような「小さな事件」ばかりだった。そのため、僕は今村核弁護士の名前を先の講談社現代新書を読むまで知らなかったのである。
(『雪ぐ人』新潮文庫)
以下、基本的に先の記事をもとに書くことにするが、改めて読んで貰いたいことが多いのである。先の新潮文庫を読むと、「冤罪弁護士は儲からない」ことを痛感する。所属する弁護士事務所の経費を負担するのも大変なぐらいに。今村核という人は当然ながら冤罪事件だけを担当する弁護士ではない。そういう弁護士になりたかったわけでもない。ただ弁護士の使命感として、冤罪事件に本気で取り組んできたうちに、他の事件が手に付かないぐらいになってしまった。「疑わしきは被告人の利益に」の原則が貫かれていれば、今村弁護士はここまで苦労しない。
しかし、「有罪率99.9%」を法務大臣自らが誇る国である。(ゴーン逃亡事件の後に森雅子法相がそう述べた。)常識があれば無罪だと思う裁判でも、日本では有罪となる。そういう判決を今村弁護士も経験してきたから、「そこまでやるか」的な弁護活動を行わないと日本の裁判では無罪を勝ち取れないと今村弁護士は覚悟したのである。そんな日本の裁判で今村弁護士は14件の無罪判決を得た。それもほとんど新聞にも報道されないような小さな冤罪事件ばかりでだ。多くの弁護士は刑事事件はあまり担当しないし、担当しても無罪判決の事件は生涯で一回あるかどうかである。
(「冤罪と裁判」)
そういう事件が持ち込まれても、大体は貧しい庶民が巻き込まれたケースばかりである。全然「成功報酬」につながらないだけでなく、トコトンやるから精神的にも物質的にも負担が多い。そのことは『雪ぐ人』で紹介される「放火冤罪」や「痴漢冤罪」を読めばよく判る。「放火」事件では現場を再現して実際に燃やしてみる実験を行う。「痴漢」事件ではバスの車載映像を一コマごとに解析して、痴漢行為がなかったことを証明する。それでも一審は有罪判決だった。
被害者は右手で触られたと証言し、被告人は携帯電話でメールしていたと反論した。だから右手の映像を分析したところ、裁判長は「左手で痴漢をした可能性もある」というのである。左手はずっとつり革をつかんでいたのだが、バスが揺れて一瞬映像が判りにくいところがある。映像を何百回も見ているうちに判ってくることがある。今度は左手も解析した鑑定を提出し、控訴審では無罪判決を得られた。心理学鑑定なども行ったのだが、それは裁判長に却下された。
今村弁護士のモットーは、科学的な真実を求めることである。無罪判決を得るというより、事件の真相(例えば火事がどのように起こったのか)を明らかにすれば、それが無罪を明らかにするのである。もっともいかに科学的な真実を証明しても、それを受け入れない裁判官もいるのである。何でだろうかというのが、次の問題になる。先の痴漢事件で一審有罪判決を出した裁判官は、若い時は青法協や裁判官懇話会(どちらも最高裁からにらまれている団体)に関わっていたという。それが「変節」していったのは何故だろうか。それは判らないけれど、最高裁の人事のあり方にあると今村弁護士は指摘する。
今村核という人の人生には考えさせられることが多い。この本から見えてくる日本のあり方はなんとも怖い。今村氏は怒っているが、それを佐々木氏を通して読むから、より深く怒りと絶望が伝わってくる。さすがに何度も取材を重ねた佐々木氏の文章は判りやすい。改めて多くの人に日本の冤罪問題を考えて欲しいから、特に入手しやすい新潮文庫の『雪ぐ人』は是非読んで見て欲しい。しかし、今村弁護士のように生きることはなかなか出来ないと思う。人生を振り返って思い返すことの多い本でもある。そのような今村核弁護士の訃報には非常に残念な思いが募る。
事情はよく判らないながら、10月27日に旬報法律事務所のホームページに以下のような訃報が掲載された。「この間、都合により公表を控えておりましたが、当事務所の今村核弁護士が2022年8月20日頃死去いたしました(享年59歳)。謹んでお知らせいたします。なお、通夜ならびに葬儀につきましては、ご家族のご希望により、ご家族とご親族のみで執り行われる予定です。」
(今村核弁護士)
僕は今村弁護士を個人的に知っているわけではない。ただ2冊の本で知っているだけである。そして、その一冊に関して、ここに書いた。「「冤罪弁護士」今村核を見よ!ー佐々木健一「雪ぐ人」を読む」(2021.7.31)である。新潮文庫から出た、佐々木健一「雪(そそ)ぐ人 「冤罪弁護士」今村核の挑戦」という本の紹介である。僕はその本を読む前に、今村核『冤罪と裁判 冤罪弁護士が語る真実』(講談社現代新書)を読んでいたので、この人がとてつもない人だと知っていた。
日本の数多くの著名冤罪事件では、無罪を獲得するまで長年の苦労をする著名弁護士が存在する。しかし、今村核氏はそういう弁護士ではなかった。死刑・無期などの重刑事件では、ある程度大きな「支援会」が作られることも多い。そういう事件で無罪判決が出ると、新聞やテレビで大きく報道される。だが今村弁護士が担当したのは、新聞にも載らないような「小さな事件」ばかりだった。そのため、僕は今村核弁護士の名前を先の講談社現代新書を読むまで知らなかったのである。
(『雪ぐ人』新潮文庫)
以下、基本的に先の記事をもとに書くことにするが、改めて読んで貰いたいことが多いのである。先の新潮文庫を読むと、「冤罪弁護士は儲からない」ことを痛感する。所属する弁護士事務所の経費を負担するのも大変なぐらいに。今村核という人は当然ながら冤罪事件だけを担当する弁護士ではない。そういう弁護士になりたかったわけでもない。ただ弁護士の使命感として、冤罪事件に本気で取り組んできたうちに、他の事件が手に付かないぐらいになってしまった。「疑わしきは被告人の利益に」の原則が貫かれていれば、今村弁護士はここまで苦労しない。
しかし、「有罪率99.9%」を法務大臣自らが誇る国である。(ゴーン逃亡事件の後に森雅子法相がそう述べた。)常識があれば無罪だと思う裁判でも、日本では有罪となる。そういう判決を今村弁護士も経験してきたから、「そこまでやるか」的な弁護活動を行わないと日本の裁判では無罪を勝ち取れないと今村弁護士は覚悟したのである。そんな日本の裁判で今村弁護士は14件の無罪判決を得た。それもほとんど新聞にも報道されないような小さな冤罪事件ばかりでだ。多くの弁護士は刑事事件はあまり担当しないし、担当しても無罪判決の事件は生涯で一回あるかどうかである。
(「冤罪と裁判」)
そういう事件が持ち込まれても、大体は貧しい庶民が巻き込まれたケースばかりである。全然「成功報酬」につながらないだけでなく、トコトンやるから精神的にも物質的にも負担が多い。そのことは『雪ぐ人』で紹介される「放火冤罪」や「痴漢冤罪」を読めばよく判る。「放火」事件では現場を再現して実際に燃やしてみる実験を行う。「痴漢」事件ではバスの車載映像を一コマごとに解析して、痴漢行為がなかったことを証明する。それでも一審は有罪判決だった。
被害者は右手で触られたと証言し、被告人は携帯電話でメールしていたと反論した。だから右手の映像を分析したところ、裁判長は「左手で痴漢をした可能性もある」というのである。左手はずっとつり革をつかんでいたのだが、バスが揺れて一瞬映像が判りにくいところがある。映像を何百回も見ているうちに判ってくることがある。今度は左手も解析した鑑定を提出し、控訴審では無罪判決を得られた。心理学鑑定なども行ったのだが、それは裁判長に却下された。
今村弁護士のモットーは、科学的な真実を求めることである。無罪判決を得るというより、事件の真相(例えば火事がどのように起こったのか)を明らかにすれば、それが無罪を明らかにするのである。もっともいかに科学的な真実を証明しても、それを受け入れない裁判官もいるのである。何でだろうかというのが、次の問題になる。先の痴漢事件で一審有罪判決を出した裁判官は、若い時は青法協や裁判官懇話会(どちらも最高裁からにらまれている団体)に関わっていたという。それが「変節」していったのは何故だろうか。それは判らないけれど、最高裁の人事のあり方にあると今村弁護士は指摘する。
今村核という人の人生には考えさせられることが多い。この本から見えてくる日本のあり方はなんとも怖い。今村氏は怒っているが、それを佐々木氏を通して読むから、より深く怒りと絶望が伝わってくる。さすがに何度も取材を重ねた佐々木氏の文章は判りやすい。改めて多くの人に日本の冤罪問題を考えて欲しいから、特に入手しやすい新潮文庫の『雪ぐ人』は是非読んで見て欲しい。しかし、今村弁護士のように生きることはなかなか出来ないと思う。人生を振り返って思い返すことの多い本でもある。そのような今村核弁護士の訃報には非常に残念な思いが募る。
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