新宿末廣亭1月下席夜の部(落語芸術協会)で、浪曲師の玉川太福(たまがわ・だいふく)がトリを取って大評判。という話を聞いて、新宿の夜だと寒くて遠いけど、どうしても行きたいなと思った。先週は大相撲の優勝争いが佳境だったからそっち優先で、末廣亭は千秋楽(30日)に行くことにした。映画見て早めに食べて5時45分頃に行ったら、もうほぼ満員。2階席の一番上の方しか空いてなかった。昼夜入れ替えなしだったので、昼からずっと居続けの人も多いようだった。
「浪曲」はここ数年見直されてきているが、神田伯山がブームとなる講談ほどではないだろう。落語協会には浪曲師はいないが、落語芸術協会に玉川太福が入会して『男はつらいよ』など新作も手掛けて人気になっていた。近年玉川奈々福、国元はる乃、広沢菊春も入会し、寄席に浪曲があるのも違和感がなくなってきた。「浪曲」つまり「浪花節」と言えば、勧善懲悪、お涙頂戴の代名詞として「なにわぶし的」という言葉も存在したほどで、昔は「我々が否定するべき古くさい日本」の象徴だった。
それが今や若者も寄席に詰めかけて、浪曲を楽しみに聴いている。隔世の感があるが、自分にしたって全然知らないから新鮮なのである。千秋楽にやった『紺屋高雄』(こうやたかお)はマジメな奉公人が知人に吉原に連れて行かれ、花魁道中を見て高雄太夫に惚れ込んでしまう。しかし、お金がなくていけない。親方に3年働けと言われ、3年経ってようやく逢いに行く。また来たいが、3年後になると事情を明かすと、高雄太夫は来年年季が明けたら夫婦になろうという。「傾城(けいせい)に誠なしとは誰(た)が言うた」。浪曲の特徴である、名調子とうなりで盛り上げていく。大受けしていた。
それは見事だったが、林家つる子が最近言っているように、高雄太夫が何でもっと良い身請け話があるに決まってるのに貧しい奉公人と一緒になるのか、それも1回逢っただけなのに。ということが今となっては確かに謎である。まあ浪曲、落語、講談などの主な受容者は男性勤労者層だったろうから、「貧しい男性の夢」ということなんだろう。男性優位的社会構造を前提にして、貧しくても見られる夢を求める。古典歌舞伎なんかもっと受け容れがたい身分制賛美みたいな話が多い。今じゃ林家つる子が試みているように、古典も「脱構築」していく必要があるだろう。
新入会の3人が日替わりで浪曲をやっていて、30日はごひいき玉川奈々福を久しぶりに。自作の『金魚夢幻』という青い金魚を作り出した金魚屋とその青い金魚の「心の交流」を描く珍品。マクラも面白く、トリの盛り上げ方も指南した後で、突然いじめられている金魚の話。ものすごく面白いが、金魚がアラブ首長国連邦の富豪に買われたが、元の飼い主を慕って「チグリス川」(なんで?)に飛び込んで、インド洋、太平洋を渡って戻って来るって。淡水魚の金魚がねえという『少年と犬』みたいな展開に呆然。それにしても奈々福さんも絶好調だなあ。いつかトリを取って欲しいと思う。
落語は若手中心に番組が組まれていて、2月に7代目円楽を襲名する三遊亭王楽が好調。マクラが面白く、6代目円楽のエピソードがおかしかった。噺は『読書の時間』。父親が『竜馬がゆく』が見当たらないと探すけど見つからない。学校で読書の時間があるから息子が持っていったのではと妻が言う。それは困った、実は表紙は司馬遼太郎だが、中身はポルノ小説だったのである。そして学校でそれを読まされる瞬間が来る。これは桂文枝の新作の傑作。林家正蔵で聴いたことがあるが、抱腹絶倒の新作。
春風亭柳雀『鷺とり』、柳亭小痴楽『堪忍袋』、春風亭柳橋『金明竹』、春風亭昇々『妄想カントリー』(新作)など面白いが、滝川鯉八が面白かった。前日が休みでJAL落語会に行ってたという。JALの機内で聴く落語の収録だが、これが完全にすべったという。流さないで、あるいは「笑い声」を機械で合成してと言ったけど却下。演目は『蛙』というハンサムな男が蛙に変えられていたという鯉八流シュールな新作。バカバカしくて笑えた。ねづっちの謎かけも快調。桂小すみの音曲も絶好調。
全体通して、太福のトリを祝おうというムードが末廣亭を覆っていて、この前の鈴本より満腹した感じ。やはり客が満員というのは大きい。やる側も客側も熱が入る。今度は久しぶりに講談も聴きたくなってきた。いずれにせよ、日本の大衆芸能史の一コマに立ち会えたという満足感を持って帰って来た。まあ、10時半過ぎになるのは、今では遅いけど。
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