尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中学英語「広がる学力差」の背景にある教育政策

2024年03月20日 22時02分12秒 |  〃 (教育問題一般)
 『中学英語「難しい」 広がる学力差 新指導要領導入から3年」という記事が朝日新聞(3月19日)に掲載されていた。その記事によると、「2021年度に始まった中学校の新指導要領で、英語が格段に難しくなり、生徒に英語嫌いが増え、学力格差も広がっているー。教育現場で、そんな見方が定着しているという。」さらに記事を引用すれば、「都内の公立中の英語教諭は『生徒のできる、できないの差が際立つようになった。』都内の別の公立中の英語講師は『一部の子は英会話教室や塾で学ぶことでカバーしているが、それができない家庭もある。クラスの全員を巻き込んだ授業が難しくなっている』と話す。」と出ている。
(英語4機能の平均正答率=産経新聞)
 そりゃまあ、そうなるだろうなあと僕は驚かなかったが、拡大は今後も続くだろうと予測できる。検索してみたら、産経新聞の記事で、全国学力テストの結果が比較されていた。難易度が違うのだとは思うが、「下がっている」という結果になっている。この原因について、新学習指導要領で、内容が難しくなったことが大きいと出ている。例えば、以前は中一の終わりに習っていた「can」を使う会話を、入学間もない時期に扱うようになったという。また高校で習っていた仮定法や現在完了進行形を中学で教えるなど、文法の学習事項が前倒しになっているとのことだ。

 また中学で扱う単語は、1200語から1600~1800語に急増したという。さらに小学校の教科「外国語」では、単語の暗記にあまり時間を割かないため、生徒によっては小学校で扱う600~700語も中学でやらないといけないという。これではよほど学力の高い生徒以外は、中学の英語授業に付いていけなくなるのは当然だろう。ただ、このような事態は当然事前に予測されることであり、教育行政としては「予想したとおりになっている」ということだと思う。
(英語学力の格差拡大=江利川春雄氏のブログから)
 どうしてそう判断するかというと、中学入学段階で英語の学力格差が付くのは、小学校で英語を必修科目にする以上当然のことだからだ。かつて英語は(大部分の生徒にとって)中学で初めて接するものだった。だから他教科では学力差があるが、中学1年の1学期では英語の学力差はゼロだった。そのため、中学になったら英語の授業を頑張るんだと思って入学する生徒も多かった。そして初心を貫けたのか、担当教員と合っていたのか、他の教科はダメでも英語だけ得意だという生徒がけっこういたものだ。

 今では小学校で英語の授業があって、評価も付く以上、中学入学段階ですでに英語の得意・不得意、好き・嫌いがあるだろう。そして中学では「すでに小学校で習っている」という前提で教科書が進行する。そして急激に難しくなる。これでは英語嫌いを増やすようなものだ。だが、それは逆に言えば、「英語ができる少数の生徒を残す」という役割も持っている。それで良いということなんだと思う。先の記事では「クラスの全員を巻き込んだ授業」が難しいという声が出ていたが、もうそういう授業はしなくてよいと教育行政では考えているのだろう。「できる子を伸ばす」で良いのである。

 ということは、「中学英語の広がる学力差」は(行政から見て)困ったものではなくて、「政策目標が実現している」と考えるべきだ。縮む日本では、少数のエリートが海外で稼げれば良く、学力の低い層は日々を実直に生きて行けば良しとする。だから「学力重視」を叫ぶと同時に、「道徳教科化」が実現したのである。ただ、この「学力格差拡大政策」は、これから学校以外の多くの場面で大きな問題を起こすのではないだろうか。その「負担」を誰がどこで負うべきか。社会的合意がないままに、社会全体に格差が拡大してゆく。そういう未来が待っている気がしてならない。

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