軽く読めてタメになる新書が読みたくなって、『『RRR』で知るインド近現代史』(笠井亮平著、文春新書)を読んでみた。先頃『インド、「世界最大の民主主義国」は「厄介な大国」になったのか』(2024.2.27)を書いたが、そこで書いたことを専門家が詳しく解説してくれる本である。インド映画ファンには是非読んで貰いたいし、インド近現代史の「早わかり」本としても有効だ。インド情勢は5年ぶりの総選挙が来月始まることもあって、いろいろ報道される機会が増えている。10年続いたモディ政権の継続は決定的だが、予想以上の圧勝になるとの観測も強まっている。
前回書いたように、モディ政権を支える「インド人民党」は右翼ナショナリズム政党と言ってよい。日本で言えば、かつての安倍政権みたいな感じ。実際二人には深い親交があり、モディ氏は安倍氏の国葬に来日したぐらいである。モディ政権は、だから「インドを、取り戻す」みたいなスローガンを掲げて勝利してきた。ただし、ここで言う「インド」は「ヒンドゥー・ナショナリズム」である。ムスリム(イスラム教徒)やシーク教徒、さらにはキリスト教徒、仏教徒、拝火教徒(パールシー、ゾロアスター教徒)などを含む「多様性」を擁護するものではない。だから近年ではイスラム教のモスクを取り壊してヒンドゥー寺院を建ててしまうような「暴挙」も行われている。それがまたモディ政権支持層には受けるわけである。
映画『RRR』は2022年に日本で公開されて以来、今もなお上映が続いている。日本で一番ヒットしたインド映画になっている。182分もある長い映画なので、まだ見てない人もいるかもしれないが、時間を感じさせない面白さがあるのは間違いない。ダンスシーンも最高に素晴らしいが、設定には疑問を感じる映画でもあった。非暴力独立運動のガンディーは全く描かずに、2人の超人的英雄がインド総督府に乗り込んで暴れまくるという話である。ついにインド映画も中国や韓国と同じようなナショナリズム優先になってしまったのか。もちろんフィクションの娯楽映画なんだから、目くじら立てる必要はないとも言える。しかし、どの国でもナショナリズムの高揚の中で「愛国映画」ばかりになると批判せざるを得ない。
(『RRR』)
この本には『RRR』の2人の主人公ラーマとビームが実在人物だという興味深い指摘がある。そこまでインド独立運動史に詳しくないので、二人の名前は知らなかった。ただし、この二人が知り合いだという設定はフィクションで、もちろん総督府に殴り込むのも映画の趣向である。インド独立運動が非暴力一辺倒ということはなく、日本人には有名なスバス・チャンドラ・ボースのように、反英国のためにナチス・ドイツと手を組もうとした人もいる。それが上手く行かないと、次は日本軍と協力して「インド国民軍」を作ったりした。興味深い人物だけど、歴史的には組む相手を間違えたことになるだろう。
それでもチャンドラ・ボースは独立の英雄として遇されているようだ。だが、やはりガンディーやネールの国民会議派主流が独立運動の中心だった。そしてモディ首相はそのガンディーを暗殺したヒンドゥー過激派の「民族義勇団」に所属していた過去がある。ただし、首相としてはガンディーを批判しているわけではない。むしろ全世界にガンディー像を贈る運動をやっているようだ。最近も長崎市にガンディー像が設置され、縁もゆかりもないのに大きすぎないかと問題になっている。世界にインドを売り込むために「世界的有名人としてのガンディー」は利用するんだということだろう。
(長崎市のガンディー像)
ガンディーはかつて映画『ガンジー』が作られ、アカデミー賞で作品、主演男優、監督等8部門で受賞した。確かに名作だが、監督はイギリス人のリチャード・アッテンボローだった。この本では日本未公開の映画も含めて、インドの映画をいっぱい紹介して、インド独立運動がどう描かれているのか解説している。見てない映画が多いが、その分析がとても興味深い。ただし、歴史に関わらないインド映画はほとんど出て来ない。インド映画史の本ではなく、あくまでも映画で知るインド近現代史なのである。
『RRR』はヒンドゥー語映画ではない。かつてボンベイ(ムンバイ)で製作されたヒンドゥー語映画がインド映画の中心だった。当時ボンベイは「ボリウッド」と呼ばれていた。その後、『ムトゥ 踊るマハラジャ』のようなタミル語映画も増えた。『RRR』はインド南東部のテルグ語で作られている。インド内では話者人口13位である。他地方で上映されるときは、その地方の言語に吹き替えられるのが通常だ。南インドでヒンドゥー・ナショナリズムが高揚しているのではないかと思う。『RRR』の監督S・S・ラージャマウリがその前に作って大ヒットした『バーフバリ』2部作のセットがテーマパークになって繁盛しているという。
前回書いたように、モディ政権を支える「インド人民党」は右翼ナショナリズム政党と言ってよい。日本で言えば、かつての安倍政権みたいな感じ。実際二人には深い親交があり、モディ氏は安倍氏の国葬に来日したぐらいである。モディ政権は、だから「インドを、取り戻す」みたいなスローガンを掲げて勝利してきた。ただし、ここで言う「インド」は「ヒンドゥー・ナショナリズム」である。ムスリム(イスラム教徒)やシーク教徒、さらにはキリスト教徒、仏教徒、拝火教徒(パールシー、ゾロアスター教徒)などを含む「多様性」を擁護するものではない。だから近年ではイスラム教のモスクを取り壊してヒンドゥー寺院を建ててしまうような「暴挙」も行われている。それがまたモディ政権支持層には受けるわけである。
映画『RRR』は2022年に日本で公開されて以来、今もなお上映が続いている。日本で一番ヒットしたインド映画になっている。182分もある長い映画なので、まだ見てない人もいるかもしれないが、時間を感じさせない面白さがあるのは間違いない。ダンスシーンも最高に素晴らしいが、設定には疑問を感じる映画でもあった。非暴力独立運動のガンディーは全く描かずに、2人の超人的英雄がインド総督府に乗り込んで暴れまくるという話である。ついにインド映画も中国や韓国と同じようなナショナリズム優先になってしまったのか。もちろんフィクションの娯楽映画なんだから、目くじら立てる必要はないとも言える。しかし、どの国でもナショナリズムの高揚の中で「愛国映画」ばかりになると批判せざるを得ない。
(『RRR』)
この本には『RRR』の2人の主人公ラーマとビームが実在人物だという興味深い指摘がある。そこまでインド独立運動史に詳しくないので、二人の名前は知らなかった。ただし、この二人が知り合いだという設定はフィクションで、もちろん総督府に殴り込むのも映画の趣向である。インド独立運動が非暴力一辺倒ということはなく、日本人には有名なスバス・チャンドラ・ボースのように、反英国のためにナチス・ドイツと手を組もうとした人もいる。それが上手く行かないと、次は日本軍と協力して「インド国民軍」を作ったりした。興味深い人物だけど、歴史的には組む相手を間違えたことになるだろう。
それでもチャンドラ・ボースは独立の英雄として遇されているようだ。だが、やはりガンディーやネールの国民会議派主流が独立運動の中心だった。そしてモディ首相はそのガンディーを暗殺したヒンドゥー過激派の「民族義勇団」に所属していた過去がある。ただし、首相としてはガンディーを批判しているわけではない。むしろ全世界にガンディー像を贈る運動をやっているようだ。最近も長崎市にガンディー像が設置され、縁もゆかりもないのに大きすぎないかと問題になっている。世界にインドを売り込むために「世界的有名人としてのガンディー」は利用するんだということだろう。
(長崎市のガンディー像)
ガンディーはかつて映画『ガンジー』が作られ、アカデミー賞で作品、主演男優、監督等8部門で受賞した。確かに名作だが、監督はイギリス人のリチャード・アッテンボローだった。この本では日本未公開の映画も含めて、インドの映画をいっぱい紹介して、インド独立運動がどう描かれているのか解説している。見てない映画が多いが、その分析がとても興味深い。ただし、歴史に関わらないインド映画はほとんど出て来ない。インド映画史の本ではなく、あくまでも映画で知るインド近現代史なのである。
『RRR』はヒンドゥー語映画ではない。かつてボンベイ(ムンバイ)で製作されたヒンドゥー語映画がインド映画の中心だった。当時ボンベイは「ボリウッド」と呼ばれていた。その後、『ムトゥ 踊るマハラジャ』のようなタミル語映画も増えた。『RRR』はインド南東部のテルグ語で作られている。インド内では話者人口13位である。他地方で上映されるときは、その地方の言語に吹き替えられるのが通常だ。南インドでヒンドゥー・ナショナリズムが高揚しているのではないかと思う。『RRR』の監督S・S・ラージャマウリがその前に作って大ヒットした『バーフバリ』2部作のセットがテーマパークになって繁盛しているという。
2回目は、評判をとり再公開のときは、初回に客がまばらだったのが、増えてました。
こんどは、「PS-1 黄金の河」をきょうにブログしました。こちらも、客は少なかったです。
そして、今週末14日に第2段が公開されます。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/922e6e10df3444c37a159e3d400bdc7f