尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

埼玉県の公立校共学化問題ーどう考えれば良いのか

2024年08月30日 22時30分28秒 |  〃 (教育問題一般)
 埼玉県の県立高校には12校の「男女別学高校」がある。2023年8月に県の第三者機関「男女共同参画苦情処理委員会」から「早期の共学化」を勧告され、1年位内の報告を求められていた。その報告書がまとまり、8月22日に公表された。そこでは「主体的に共学化を推進していく」としながらも具体的なスケジュールは示されず先送りされたという。賛否両論に配慮しつつ、両派ともに不満が残る結論と言うべきだろう。この問題をどう考えるべきなんだろうか。

 まず最初に書いておくが、僕はこの問題は高校の設置者である県教委が決めるべき問題だと思っている。重要な問題ではあるけれど、全国的な基準を作って統一的に進める必要がある問題とは思っていない。ここで書いてみたいのは、埼玉県教委の報告を批判すると趣旨ではなく、問題設定の明確化である。ただし、僕は自分の学校時代も教員としての勤務校も共学しか体験していない。東京ではそれが当たり前であり、共学が自然であると思っている。

 この問題は「共学一般」「別学一般」の価値論ではない。別学に大きな意味があるというなら、すべての高校を別学にすべきだが、そういう意見はないだろう。その反対に「共学じゃなければ絶対ダメ」というのなら、すべての私立高校も共学にしなければおかしい。しかし、法律で別学を禁止するのは誰が見ても行き過ぎだ。私立高校がどっちにするかは学校法人が自ら決めれば良い。問題は税金で運営される「公立高校」だけである。しかも公立高校も全国ほとんどで共学で、今や別学高校はほんの僅かである。
(埼玉県も9割以上が共学)
 全国の別学高校を示す地図を見ると、「男子校」は栃木県=4、群馬県=6、埼玉県=5、鹿児島県=1の計16校、「女子校」は宮城県=1、栃木県=4、群馬県=6、埼玉県=7、千葉県=2、島根県=1、福岡県=2、鹿児島県=3の計23校存在する。東日本に別学が多いのは、「戦後改革」を進めた占領軍の方針に東西差があったからだとよく言われる。どこまで実証されているのかは知らないが、戦前は全部別学で戦後に共学になったのである。別学校が男女同数の県は、基本的に同一地域に「○○高校」と「○○女子高校」があると思ってよい。女子校の数の方が多いのは、「女子教育に特化する意味」が地域に残っているということだろう。
(全国の別学公立校)
 公立高校には単に入学生徒の教育を行うだけではない意味がある。それは「古くから地域に存在する公的施設」という意味である。災害時には避難所になるし、高校スポーツの結果は大きな話題となる。そういう存在だからこそ、中学生に対して人間は出生時の性で二分されるという世界観を示すのは問題だ。現行法では性別変更は20歳を過ぎないと不可能だから、何にせよ中学生は戸籍上の性で高校を受験しなければならない。だが性別違和生徒は、両性がいる高校の方がましではないか。性別違和を訴えて戸籍上は男子なのに女子校を受験できる(またはその逆)という県はないだろう。

 この問題だけでも僕は共学が望ましいと思うのだが、もう一つ疑念を覚えることがある。それは(ほとんどの県で)女子校は「○○女子校」と命名されていることだ。一方で男子校で「○○男子校」と名の付くところはない。歴史上どこにもないだろう。それはもともと歴史の古い高校は「旧制中学」に発していて、男子のみが前提だったからだ。女子教育の振興が求められるようになり、大正期には各地に女子向けの中等教育学校が設置されていくが、それは「○○高等女学校」と名付けられた。教育史の中では、「地名のみの男子校」と「女子が付く女子校」にもともと二分されていたのだ。
(埼玉県立浦和高校)(埼玉県立浦和第一女子高校)
 しかし、今になってはこれは単なる「区別」とはみなせない。明らかな性差別であって、もし公立の別学校を残すというなら、例えば「浦和男子高校」と改名するべきだ。今回在校生や卒業生は「共学反対」の署名運動などを行って強く別学維持を訴えた。だがそれが性差別的意味を含まないというなら、自ら校名に「男子」を入れるという提案をするべきだ。先に見たように全国では公立別学校では女子校の方が多い。それは今回埼玉県で主張されたように、「男子が怖い生徒もいる」「女子のみの方が伸び伸びと勉強できる生徒がいる」という主張が一定の共感を得る現実があるからだろう。

 しかし、それならば歴史の古い、成績的にも地域トップ校に別学が残されている意味がわからない。別学校が残されている地域では、それぞれが地域の男子、女子のトップ校になっている場合が多いだろう。しかし、「男子が怖い」「男子がいない方が能力を発揮できる」という女子は、むしろ中学の成績は中位以下なんじゃないか。(公立中学は全部共学なんだから、中学時代には能力が発揮できていないことになる。)そういう生徒向けに、いわゆる「中堅校」「下位校」にも別学校を増やしていかなければ論旨がかみ合わなくなる。僕は男女別学の方がやりやすいという生徒がいるという主張自体はあり得ることだと思う。

 だけど公立小中学校は全部共学である。それを受けて進学する高校も共学の方が自然だろう。もし別学を望む生徒は別学の私立学校へ進学すればよく、行政は私立高校進学家庭への補助を増やして対応するのが望ましい。僕はそう思うんだけど、どんなものだろうか。ところでこの問題は要するに「卒業生」「在校生」などの直接関わりがある人たちが今までの仕組みの維持を望むから変わらないという面が大きい。その意味でいろいろと問題が提起されても、一向に何も変わらない日本を象徴するような問題とも言える。関係者が「時代の趨勢」を見て取って自ら変わっていけるかどうかという意味で、日本全体を象徴するような問題かも知れない。

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