尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

特殊な宗教施設、「官軍」のための靖国神社ーそもそも靖国神社の問題とは?

2024年08月29日 22時11分47秒 | 政治
 靖国神社と自衛隊の関係が深まっているという問題の危険性を指摘した。ところで「靖国神社」とは何が問題なんだろうか。前にも書いたと思うけど、大分前のことだから自分でもいつ書いたか覚えてない。こういう問題は時々書き直して確認しておく方が良いだろう。僕は靖国神社に行ったことがない。避けているとも言えるけど、東京にある有名な寺社、キリスト教会などもほとんど行ってない。東京タワーなど「観光地」も自分で行ったことがない。東京には歴史的に価値がある寺社建造物が少ないし、いつでも行けるから敢えて行く気にならない。基本的に信仰心がない方なので。
(靖国神社)
 まず憲法の「政教分離」原則。日本国憲法には「第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」という条項がある。
(政教分離条項)
 憲法の条文を常識的に読むならば、大臣が勤務時間中に靖国神社(に限らずあらゆる宗教施設)を参拝するのは憲法違反になると思う。それなのに何故毎年参拝が繰り返されるかというと、「私人」だからと主張するからだ。(最近はそれを言わない人も増えたけど。)この問題に関しては長年の歴史があって、細かな議論がなされてきた。さすがに税金で(お寺で言えば)「御布施(にあたるお金)」を出すのは控えているようだ。神社への往来に公用車を使用するのも僕はアウトだと思うが、多分防衛相は危機対応を理由に公用車で往復したんだと思う。大臣も「私人」としては信仰の自由を持っているから、週休日に出掛けることまでは(法的には)規制出来ないんだろう。だが平日に出掛けるのは「特別公務員」でも本来は控えるべきだ。
 
 この「政教分離」問題だけでも本来は十分だと思うが、靖国神社には歴史的な検討も欠かせない。靖国神社を「戦死者を祀る神社」と簡単に思い込んでいる人がかなりいる。中には「日本人には死ねば神になるという伝統的信仰がある」なんて訳知りのように語る人もいる。ウソでしょ。昨年母親が死んだけど、母親が「神」になったとは思ってないし、誰か祀ってくれるわけでもない。確かに昔から「偉人」を祀る神社はあった。徳川家康は「東照権現」となり各地に東照宮が作られた。明治以後では「明治天皇」「乃木希典」「東郷平八郎」などが死後に神社が作られた。

 これらの人が「偉人」かどうかはともかく、国家的重要人物に違いない。しかし、徳川家康は神になっても、家康に従って関ヶ原で死んだ武士は祀られない。明治天皇が神となっても、明治天皇が宣戦を布告した日清・日露戦争の戦死者は神にならないのが、日本の伝統的神観念だろう。つまり靖国神社というのは、近代になって「発明」された「創られた伝統」なのだ。しかし、時間が経つと「それこそが伝統だ」とみなす人が出て来る。そして本来は特別なイデオロギー的な意味が持つものが「脱色化」される。「教育勅語」などが典型で、現在になって「良いことも書いてある」などと本来の意味を「脱色」して評価する人がいる。

 「戦争で死んだ人」というとき、現代の多くの人は兵士だけでなく、原爆や沖縄戦、空襲などで亡くなった民間人も思い浮かべると思う。引き揚げ途上やサイパン島などで自ら死を選んだ人もたくさんいる。しかし以上の中で兵士以外は靖国には祀られない。それどころか、幕末維新の多くの戦死者の中で薩長軍(官軍)は靖国に合祀されているのに、幕府軍、江戸の彰義隊、会津藩など東北諸藩、五稜郭の「箱館戦争」の死者など(賊軍)は全く合祀されていない。西南戦争の西郷隆盛なども同様である。このような「国民を分断する」神社に参拝して、「平和を祈った」などと言うのは僕には偽善としか思えない。
(上野公園にある彰義隊兵士の墓)
 靖国神社はもともとは1869年に「東京招魂社」として官軍の死者を祀る宗教施設としてつくられたものである。対外戦争がたびたび起こるようになると、狭義の「戦死者」が多くなった。靖国神社の祭神の85%以上が「大東亜戦争」の戦死者になっている。だから人々の意識が「靖国神社は第二次大戦の戦死者を祀る神社」と思い込む人が多くなったのもやむを得ない面はある。しかし、第二次大戦の死者でもすべての人が祀られるわけではない。「敵前逃亡」などで処刑された兵士は祀られない。あくまでも「天皇のための死者のみ」という大原則が貫かれているのである。

 僕はこのような「薩長中心史観」は間違いだと思っている。「官軍」として天皇を担いで新政府をつくり、天皇絶対主義の国家を作った。天皇を「統帥権」を持つ「大元帥」とする大日本帝国憲法を制定した。これは国会による議論を経ずに当時の政府が制定し、結果的に日本国民だけでも300万を超えると言われる死者を出す戦争を始めて敗北した。東日本にゆかりがある人間としては、「賊軍」と決めつけず旧幕府勢力と戦争を避ける方策もあったのではないかと思う。その方が望ましい日本になったのかも知れない。自分は藩閥に対抗し賊軍と呼ばれた人々を貶める神社はおかしいと思っているのである。

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