尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

こまつ座『太鼓たたいて笛ふいて』、林芙美子と井上ひさし

2024年11月07日 22時17分23秒 | 演劇

 こまつ座公演『太鼓たたいて笛ふいて』を見た。30日まで。紀伊國屋サザンシアター。こまつ座は井上ひさし(1934~2010)の戯曲を上演する劇団だから、もちろん井上ひさし作である。演出は栗山民也。井上ひさしは遅筆で有名で、初日の公演が中止になることがしばしばあった。しかし、もう故人の旧作だから遅れる心配はないので早めに見たわけである。2002年が初演で、その年の読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞した。また作者の井上ひさしが毎日芸術賞、鶴屋南北賞、主演の大竹しのぶが紀伊國屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞最優秀女優賞などを受賞した。非常に高く評価された作品だったわけだが、20年以上経つとどうだろうか?

 僕は初演の舞台を見たんだろうか? 当時はこまつ座から案内が送られていて、井上ひさしの新作はほぼ見ていた時期だ。見なかったとは思えないんだけど、記憶がないのである。見忘れたのか? 初日近くにチケットを取っていて公演が中止になったとか? 見てないと思って出掛けた映画が、実は見てたということが最近は時々あるから、要するに忘れただけかも。井上ひさしは全部じゃないが、25~30作ぐらいは見ているから、はっきり記憶してない作品も多いのも事実だ。この作品は林芙美子の戦時中を描くミュージカル風評伝劇。その頃は林芙美子に関心がほとんどなく、あえてスルーしたのかもしれない。

 こまつ座を見るのは、2013年の『イーハトーボの劇列車』以来。今春に林芙美子を集中的に読んだので、この際(高いんだけど)久しぶりにこまつ座を見ようかなと思ったのである。安定した劇作の面白さ、懐かしい朴勝哲のピアノ演奏によるミュージカル風進行。サザンシアターは見やすいから、観劇的には満足した。大竹しのぶもしばらく見てなかったから、とても良かった。2014年の再演でも主演し、再々演でもやって、もう林芙美子にしか見えない熱演。林芙美子と言えば、『放浪記』の森光子ではあるけれど、大竹しのぶの存在感も森光子に匹敵するだろう。間違いなく代表作の一つだ。

 人物はたった6人。母と住む下落合の家でほとんどが進行する。そこに現れる4人の人々。歌詞を書いてくれと言う三木は、その後NHKに転じ、さらに内閣情報局と移りゆく。また行商をしていた母を慕って二人の男が現れる。さらにカンパを募りに来たのが島崎こま子。島崎藤村『新生』のモデルとなった実在人物で、無産運動に加わったところは事実。困窮が新聞に報じられ、養育園に収容されたこま子を林芙美子が訪ねて記事を書いた。しかし、その後も林家に何度も世話になるなどの事実はないらしい。だけど、林芙美子をいっぱい読んだので、これは作品の登場人物を使ってるなとか、事実じゃない創作的設定だなとかなり判る。

 そのことの善し悪しがあって、要するにこれは林芙美子じゃなくて、というか林芙美子を借りて井上ひさしが語っている。南京に、漢口にと日中戦争に報道班員として積極的に関わった芙美子。「私は兵隊が好きだ」と書き、ラジオでも述べる。しかし、米英との戦争に拡大し、南方を視察していらい、ふさぎ込む。そして自分の戦争責任を痛感し、「日本はきれいに負けることだ」と思う。「滅びるにはこの日本、あまりにもすばらしすぎる」と歌い上げる芙美子。しかし、これは井上ひさしによって創作された「こうあるべき林芙美子像」だと思う。もちろん、フィクションなんだからそれはそれで構わない。

(林芙美子記念館)

 井上ひさしが生涯にたくさん作った「評伝劇」。それは歴史そのままではなく、もちろん舞台向きにエッセンスだけ取り出し、作家によって解釈された「偉人伝」である。作者はこの前後に「東京裁判3部作」を書いている。『夢の裂け目』(2001)、『夢の泪』(2003)、『夢の痂(かさぶた)』(2006)の三つで、これは新国立劇場で行われた初演をすべて見ている。劇作家としても、メッセージ的にも、井上ひさしの最高の達成ではないか。ちょうどその間に『兄おとうと』(2003、吉野作造と吉野信次)、『円生と志ん生』(2005)が書かれているが、題材的に幅広いように見えるが、皆「戦争にどう向き合うか」がテーマだ。

 井上ひさし文学が一番「戦争責任」を深く追求していた時期に、林芙美子も書かれなければならなかった。それは「庶民はいかに戦争を生きたか」が作家にとって最も深刻な関心事だったからだろう。その結果、どうも都合良く「反省」して見せている芙美子像なんじゃないかと思った。いっぱい読んだ林芙美子文学の感触とは少し違う気がしたのである。それは違って良いんだが、22年経つとこの芙美子像も少し昔風になったかもしれない。世界は全く変わってしまい、「責任」とか深く考えることも少なくなった。作者死後に起こった東日本大震災やコロナ禍の衝撃が大きかったのである。

 ということで、この劇は非常によく出来ていて、いろいろと感じ考えさせる優れた劇で、作者の劇作の楽しさ、素晴らしさを十分に味わえる。また大竹しのぶの演技も見ておくべきだろう。だが林芙美子をドラマ化したという意味では、少し昔っぽいかなとも思った次第。1万円を超えるので、なかなかこまつ座を毎回見るのも大変だ。まあ、大竹しのぶは1年に1回は見たいけど。


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