尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

文学座公演『摂』を見るー朝倉摂の生涯、自由を求めた一生

2024年11月02日 20時12分08秒 | 演劇

 文学座公演『』を見に行った。紀伊國屋ホール(6日まで)。瀬戸口郁作、西川信廣演出。摂というのは朝倉摂のことで、彫刻家朝倉文夫の長女として生まれた。舞台美術家として活躍し、僕もその素晴らしい舞台美術に驚嘆したことが何度もある。しかし、前半生は日本画家として活動していて、その様子は2022年に行われた『「生誕100年朝倉摂」展を見るー日本画から舞台美術ま』』に書いた。この朝倉摂という人に関心があって、どう演劇化されるのか是非見てみたいと思ったのである。

 父の朝倉文夫は早稲田大学にある大隈重信像などの作者で、本当に有名な彫刻家だった。台東区谷中に居を構え、その家は今「朝倉彫塑館」として公開されている。昔行ったことがあるが、よくぞ空襲で焼けずに残ったものだ。その庭園も2008年に国の名勝に指定されている。娘が二人いて、長女の朝倉摂(1923~2014)は舞台美術家、次女の朝倉響子(1925~2016)は父を継いで彫刻家となった。この芸術家姉妹のことは生前から有名だったが、朝倉摂の人生はほとんど知られてこなかった。

 舞台は2幕で、前半で戦時中、後半で戦後を描いている。上演時間は休憩を入れて3時間ほど。舞台上には2階建ての部屋が広がり、それは大体朝倉家という設定。戦後になると、摂が自立するので摂の部屋や旅先の常磐炭鉱などの設定にもなるが、朝倉家で進行する場面が多い。最初から最後まで、自由を求める摂(荘田由紀)のエネルギーに圧倒される舞台だった。実は2年前の展覧会まで、前半生の日本画家時代はほとんど知られなかった。(本人も封印していた。)父の朝倉文夫は「トンデモ親父」で、学校教育を否定して二人の娘を学校に行かせず家庭教師を付けた。「偉大な父」を持つ苦労が朝倉姉妹には付きまとったのである

(朝倉摂)

 子ども時代の摂は冒頭から自由奔放に生きていて、妹の響子が取りなす日々。朝倉家には彫刻を学びに来る若者たちが常にいて、大所帯だった。そんな中で摂だけは父の後を追わずに、美人画で有名な伊東深水に師事して日本画に進んだ。時は戦時中で、何より自由を求める摂には納得出来ないことが多い。戦争が激しくなると、金属の供出が始まり彫刻も出来なくなってしまう。摂の日本画も戦時を生きる女性像を描いていた。(舞台上部で当時の摂の絵が映し出される。)時に父と議論するが、山の頂上を目指す時に道はいくつもあり、登り方は自分が決めると宣言する。ほとんどケンカ腰で、自分のことを「ボク」と語る摂の姿がスゴイ。

(朝倉文夫)

 やがて摂は日本画の世界の窮屈さ、旧弊に抗うようになる。戦後はシベリア帰りの彫刻家佐藤忠良(俳優の佐藤オリエの父)の影響もあり、共産党員になる。日本画の技法で労働者を描くが、新聞では酷評される。常磐炭鉱を訪ねて炭坑にも入るが、現実の労働者からは羨まれる存在だった。「50年代」は忘れられているが、この舞台は「インターナショナル」が響き渡り、反戦に燃える摂の戦後史を丁寧に描いている。だがそんな摂たちが全力を挙げた60年安保闘争後に、党とのあつれきが大きくなって除名されるに至った。そんな頃に舞台美術に取り組むようになった。折しも高齢になった父に呼び出され、芸術を語り合うが…。

(荘田由紀=摂役)

 僕は知らなかったのだが、摂の娘が文学座の女優富沢亜古で、この舞台では摂の母、つまり実祖母を演じている。最後は本人役にもなる。摂役に荘田由紀、朝倉文夫役に原康義、摂の叔母役に新橋耐子といった配役。朝倉文夫役の原康義が迫力ある演技で娘たちと渡り合うが、何と言っても主演の荘田由紀が素晴らしかった。この公演は「築地小劇場開場100周年」をうたっている。文学座は社会的な演劇よりも芸術的な演劇という趣旨で結成されたが、この舞台では珍しく戦争反対や女性解放の意義を高く語っている。それもこれも朝倉摂の生き方が時代を突き抜けていたのである。摂、響子姉妹の話は朝ドラに格好な題材なんじゃないだろうか。


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