尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ミラン・クンデラ、ジェーン・バーキン他ー2023年7月の訃報③

2023年08月09日 22時52分37秒 | 追悼
 2023年7月の訃報(続き)。国外の訃報をまとめて。あまり多くなかったので、頑張れば前回と一緒に書けたんだが…。

 チェコ及びフランスの作家、ミラン・クンデラ(Milan Kundera)が7月11日死去、94歳。先月亡くなったアメリカのコーマック・マッカーシーとともに、毎年のようにノーベル文学賞候補に名が挙っていた。1929年、チェコスロヴァキア(当時)のブルノで生まれ、「社会主義」時代に創作を開始した。1967年の『冗談』(岩波文庫)は共産党支配下の閉塞した社会を描いている。翌年の「プラハの春」(自由化運動)にも関わったが、ソ連侵攻後に発禁となった。
(ミラン・クンデラ)
 1975年にフランスのレンヌ大学に招へいされ、渡仏。1979年には国籍をはく奪され、1981年にフランス市民権を取得し、創作もフランス語で行うようになった。1984年に『存在の耐えられない軽さ』を発表して世界的に評価され、映画化された。その他『不滅』『笑いと忘却の書』など主要な作品は集英社文庫に収録されている。文学評論も多く、ヨーロッパ文学の伝統を継承する作家だった。持ってるので、今後読みたいと思っている。

 英仏で活躍した俳優、歌手のジェーン・バーキンが7月16日死去、76歳。折しも娘のシャルロット・ゲンズブールが監督した映画『ジェーンとシャルロット』が公開を控えていた(8月4日公開)時点で、大変驚いた。ジェーン・バーキンと言えば、エルメスのバッグ「バーキン」だという人が多かったけど、僕は知らない。本当は歌手や俳優としての活躍もほとんど知らない。セルジュ・ゲンズブールと歌った『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(1969)が大ヒットし、過激な性描写が話題となってヒットした。セルジュが監督した同名の映画(1976)でも主演している。
(ジェーン・バーキン)
 ロンドンで生まれ、女優を目指していた。18歳で映画『ナック』の端役に採用されたが、同作の音楽を担当したジョン・バリー(アカデミー賞音楽賞を4回受賞した大作曲家で、007のテーマ曲を編曲した)と結婚した。長女を産むが、68年に離婚。フランスにわたって、セルジュ・ゲンズブールと出会い、事実婚で次女シャルロットを産んだ。80年に関係が破綻するが、その後映画監督ジャック・ドワイヨンと結婚し、三女を産んだ。このような時代に先駆けた自由な生き方で支持されてきた。東日本大震災直後の4月6日に早くも来日し、チャリティ・コンサートを行ったことでも知られる。
(若い頃)
 アメリカの歌手トニー・ベネットが7月21日死去、96歳。第二次大戦後を代表するポピュラー歌手の一人で、グラミー賞を20回受賞した。主なヒット曲に「ブルー・ヴェルヴェット」「ストレンジャー・イン・パラダイス」「霧のサンフランシスコ」などがある。70年代後、ロック音楽台頭に押され人気が低迷したが、クラシックやジャズ、ロックなど多くの歌手とコラボして人気が復活した。近年もレディー・ガガとの親交で知られた。最近はアルツハイマー病を患っていたが、2021年にも史上最高齢の95歳で新作アルバムを発表し、ギネス世界記録に認定された。
(トニー・ベネット)
アンドレ・ワッツ、12日死去、77歳。クラシックピアニスト。ドイツ出身で、バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルと16歳で共演して知られた。
ボー・ゴールドマン、25日死去、90歳。アメリカの脚本家。『カッコーの巣の上で』『メルビンとハワード』でアカデミー賞を2度受賞した。他にも『ローズ』『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』などを手がけた。
ランディ・マイズナー、26日死去、77歳。「イーグルス」結成メンバー。「ホテル・カリフォルニア」などに関わったが、77年に離脱しソロで活動した。
シンニード・オコナー、26日死去、56歳。アイルランド出身の歌手で、宗教や性に関して政治的なメッセージを述べることで知られた。1990年には「Nothing Compares 2 U」がビルボード誌で世界1位のヒット曲となった。2018年にはイスラム教への改宗を公表していた。
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高史明、無着成恭、PANTA、外山雄三他-2023年7月の訃報②

2023年08月08日 22時31分49秒 | 追悼
 2023年7月の訃報。作家の高史明(コ・サミョン)が15日死去、91歳。1974年に「ちくま少年図書館」から刊行された『生きることの意味 ある少年のおいたち』が大きな評判を呼び、日本児童文学者協会賞を受賞した。この本は僕が今までに読んだ本の中でも、もっとも感動した本に入る。在日朝鮮人2世として下関に生まれ、幼くして母と死別した。その後の厳しい暮らしを生き抜く中で感じたことが感動的に語られている。戦後は政治運動を志し、その体験を描いた小説『夜がときの歩みを暗くするとき』(1971)で作家デビューした。その後、一人息子に悲劇が起こったことは、『中山千夏「ぼくは12歳」-レアCDの話④』に書いた。以後の魂の彷徨の中で、親鸞と『歎異抄』に出会い、浄土真宗に関する著作が多くなった。仏教伝道賞も受賞している。結局作家人生を総括すれば、仏教関連が圧倒的に多いことに驚くのである。
(高史明)
 教育者、僧侶の無着成恭(むちゃく・せいきょう)が21日死去、96歳。山形県に生まれ、1948年に現・上山市の山元小学校教師になった。その時に実践した「生活綴り方」の作文を『山びこ学校』として刊行し、大ベストセラーになった。しかし、村から追われるように上京し、駒沢大学を卒業後、1956年から1983年まで明星学園に教諭、教頭として勤めた。また、1964年からラジオの「全国こども電話相談室」の回答者を28年間担当した。独自のユーモラスな回答で人気があり、一時は誰でも知っている人だったが、長命すぎて忘れられたか。退職後は千葉県(87~)、大分県(03~11)で住職を務めた。24歳の若い頃に作った生徒の作文集が一生を決めた人生だった。その『山びこ学校』は岩波文庫に収録されている。
 (無着成恭)
 日本のロック音楽草創期の伝説的バンド「頭脳警察」のボーカル、PANTA(本名中村治雄)が7日死去、73歳。1970年から75年まで「頭脳警察」で活動、過激な反体制的な歌詞で注目された。その後、ソロになったり再結成したりを繰り返しながら、音楽活動を続けた。沢田研二などの歌手に楽曲を提供したり、多くの映画で俳優もしていた。近年は闘病しながら活動していた。
(PNNTA)
 NHK交響楽団正指揮者の外山雄三(とやま・ゆうぞう)が11日死去、92歳。東京芸大を卒業後、N響に打楽器練習員として入団した。その後、ヨーロッパ留学を経て、大阪フィルハーモニー管弦楽団で常任指揮者となり、京都、名古屋、仙台、神奈川など日本各地で活動した。79年から死去まで、N響正指揮者を務めていた。作曲者としても知られた他、テレビ出演も多かった。
(外山雄三)
夏まゆみ、6月21日死去、61歳。ダンスプロデューサー。「モーニング娘。」や「AKB48」などのダンスを手がけた。
高田衛、5日死去、93歳。国文学者、近世文学専門で、『八犬伝の世界』で注目された。
那須田稔、11日死去、92歳。児童文学者。『シラカバと少女』(1965)で日本児童文学者協会賞。「忍者サノスケじいさん」シリーズなどがある。
木滑良久(きなみ・よしひさ)、13日死去、93歳。マガジンハウス最高顧問。平凡パンチ、ananなどの編集長を経て、76年に「POPEYE」、80年に「BRUTUS」を創刊した。その後マガジンハウス社長、会長を務めた。
西川扇蔵、14日死去、95歳。日本舞踊の西川流宗家、文化功労者、人間国宝。
鈴鹿景子、18日死去、67歳。女優、演出家。76年にNHK朝ドラ「火の国に」でデビューした。
浦雅春、19日死去、74歳。ロシア文学者、翻訳家。東大名誉教授。チェーホフ、ゴーゴリなどの研究、翻訳で知られた。
那智わたる、21日死去、87歳。元宝塚トップスター。53年から68年に男役として活躍した。佐藤文生元郵政相と結婚して話題となった。
平良啓子、29日没、88歳。沖縄からの疎開船が米潜水艦に攻撃された「対馬丸」事件のサバイバーで、語り部として活動した。
奥村彪生(あやお)、31日死去、85歳。伝承料理研究家。テレビで活躍しながら、民俗学を学び各地に伝わる食文化の研究に取り組んだ。『日本めん文化の一三〇〇年」で第1回辻静雄食文化賞。
立岩真也、31日死去、62歳。社会学者。障害者問題を研究し、病者、障害者とともにある社会をめざし、「弱くある自由」を唱えた。
☆ところで、7月に大きく報道された訃報に、タレントの「ryuchell」の突然の悲報があった。12日没、27歳。テレビで見る限り、なかなか「まとも」な感性の人だなと思っていたが、沖縄での生い立ちや性自認などの背景があったようだ。「自殺」とみなされている。最近芸能界の「自殺」が多すぎないか。ここでもあえて画像を載せたりしないことにする。
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森村誠一と常石敬一、「731部隊」をめぐって-2023年7月の訃報①

2023年08月07日 22時06分07秒 | 追悼
 2023年7月の訃報特集。猛暑で書く方も(多分読む方も)エネルギーが落ちていると思うから、ちょっとゆっくりと3回に分けて書きたい。まず1回目は森村誠一常石敬一。「731部隊」関連でつながるのだが、判る人の方が少ないか。
(森村誠一)
 ミステリー作家の森村誠一が7月24日に死去、90歳。訃報は大きく報道されたが、大部分は『人間の証明』をめぐるものだった。1975年に角川書店の「野性時代」に発表され、76年に刊行された小説である。77年に角川映画で映画化され、大々的な宣伝が行われて大ヒットした。角川映画は1976年に横溝正史の『犬神家の一族』(市川崑監督)を映画化して大ヒットしていた。横溝作品を軒並み文庫化し、テレビでCMを繰り返して「メディアミックス」と呼ばれた。それをさらに大々的に展開したのが、角川映画第二弾の『人間の証明』だった。ジョー山中が歌うテーマ曲も大ヒットした。
(映画ポスター)
 もうマスコミ関係者も現役では知らないはずだが、幼少期のテレビCMの印象が強烈に残っているかもしれない。僕は原作も映画もスルーしてしまった。昔から大ヒットしているような映画や小説を避けて通っちゃうのである。ミステリーは昔から読んでるが、森村誠一だけでなく日本の作家はあまり読まなかった。僕の若い頃は英米と日本のミステリーには、まだまだ差があると思われていて、僕も「日本」の湿った風土を舞台にしたミステリーが好きじゃなかった。

 だから森村誠一は2冊しか読んでない。一冊はデビュー作の『高層の死角』(1969)で、公募の江戸川乱歩賞に応募して受賞した。あるとき乱歩賞受賞作を全部読もうと思って、その時に初めて読んだのだが、あまりの出来の良さに驚いた。それまで森村誠一はホテルマンとして働いていて、その経験を生かしている。トリック、動機、文体が渾然一体となって新人離れしている。西村京太郎、東野圭吾、池井戸潤などの受賞作よりもずっと完成度が高いと思う。もちろん新人賞なんだから、受賞作がこれほど完成されてなくても問題ないが、とにかく傑作なのである。

 もう一冊が『悪魔の飽食』で、731部隊の所業を本格的に追求した「ノンフィクション」である。1981年に「赤旗」に連載され、大反響を呼んで、光文社から出版されベストセラーになったのである。すでに現代史研究者には知られていたが、広く一般的に旧日本軍の生物兵器研究の恐ろしさを知らしめたのは、この本だったと言える。森村は初め小説の材料として取材を始め、後にドキュメンタリーとして発表することになった。共同取材を担当したのは下里正樹だったが、当時共産党員だった下里は後に除名されている。この本は第3部まで書かれたが、第2部の写真誤用事件をきっかけに光文社と揉めて、角川書店から再刊された。
 
 実はこの本も読まなかったのだが、授業で取り上げた時に「家にこの本があった」と持ってきた生徒があった。貸してくれるというから、その機会に読むことにした。この本をめぐってはいろんな話題があり、ウィキペディアに詳しく載っている。僕がそれまで読まなかったのは、「歴史研究」としてはどうなんだろうと勝手に思ってたからである。読んでみて、読む価値はあると思ったけれど、内容は別にして文体などはやはり「研究」を越えた部分はあるかなと思った。その後読んでないし、全3部を読んでないので最終的な評価は控えたい。ただ、多くの人に問題を提起したのは、この本なのである。
(『悪魔の飽食』)
 科学史研究者の常石敬一が4月24日に死去していた。79歳。訃報は7月に公表された。長崎大学を経て、神奈川大学教授。歴史学者ではなく、物理学を学んで科学史研究に進んだ。早くから「731部隊」の実態を研究し、最初の著作は『消えた細菌戦部隊 関東軍第731部隊』(1981)だった。化学兵器や核兵器、医療史なども研究したが、やはり日本の細菌戦研究がライフワークだった。一般書として、講談社現代新書『七三一部隊―生物兵器犯罪の真実』(1995)がある。昨年には『731部隊全史』(2022)を出しているが、あまりに大部で読んでいない。科学史に関する翻訳も多い。僕は常石氏の本はいくつか読んでいるが、信頼出来る研究者だと思う。
(常石敬一)(常石著『731部隊全史』)
 1993年に「731部隊展」が行われた。90年代初期は、そういう企画が市民運動として大きな広がりを持つ時代だったのである。僕は地元でこの運動に関わったが、(結婚で離れた)足立区に(父親の死去で)戻った少し後である。もともと地元のアムネスティグループに参加したりしていたが、転居してつながりが薄くなった。新しいつながりを求めていた頃だったのである。僕が「731部隊」に一番関心を持っていたのがその頃で、その後きちんとフォローしていないから、あまり語る資格がない。

 ただ日本軍は中国戦線で細菌戦を実行したことが、その後証明されている。研究しただけの機関ではないのである。「731部隊」は関東軍防疫給水部の秘匿名であり、人体実験も行っていた。そのことを公言したわけではないが、研究成果の論文を見れば明らかである。最近、部隊の構成メンバーや階級を記した文書が発見されたと報道された。近年になって、残された文書の発見が続いている。敗戦時に完全に焼却したはずが、少しは残るものなのである。今後さらに研究が進み、日本軍の生物兵器研究、使用状況が解明されるだろう。とにかく旧軍には恐るべき実態があったことを忘れてはいけない。
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映画『若者たち』と60年代の「希望」のゆくえ

2023年08月06日 22時38分35秒 |  〃  (旧作日本映画)
 一昨日になるが、国立映画アーカイブで『若者たち』(1968)を見た。それ自体なら、今改めて書くまでもないんだけど、『十八歳、海へ』を見て、さらに山上徹也被告に関する本を読んだ。それらを通して、「希望」が時代とともに移り変わっていった様子がうかがえる。『若者たち』は僕以上の年代の人ならテーマ曲(藤田敏雄作詞、佐藤勝作曲)を歌えるだろう。(その後教科書に載ったり、21世紀に再ドラマ化されたので、若い世代も知ってるのかもしれない。)
(『若者たち』)
 もともとはフジテレビで放送されたドラマだった。1966年に放送され、大きな評判となったという。しかし、9月23日放送予定の回が「在日朝鮮人」差別を扱っていたため、放映が中止されてしまいドラマも終了した。そこで俳優座が中心となって、映画化したわけである。テレビ版で親のない5人家族を演じた、上から田中邦衛橋本功山本圭佐藤オリエ松山省二がそのまま映画にも出演した。テレビでも担当していた森川時久が監督を務め、5人一家の絶妙なアンサンブルが映画でも生かされている。森川監督、田中邦衛、山本圭がこの2年内に相次いで亡くなり、今回はその追悼上映になる。
(森川時久監督)
 この映画は評判を呼んで、『若者はゆく』(1969年)、『若者の旗』(1970)と製作されて三部作となった。キネ旬ベストテンを調べてみると、第1作は(67年の)15位、第2作は12位、第3作は21位になっている。昔はよく自主上映されていたが、最近はあまり映画館でもやられていないと思う。(配信があるかどうかは知らない。)僕は学生の頃に三鷹オスカー(確か)という映画館まで三部作一挙上映を見に行った記憶がある。70年代後半に見ても、すでにちょっと時代離れしたモノクロ映画になっていた。3本続けて見ると同じパターンの繰り返しに驚く。労働者の田中邦衛が大声で怒鳴って、大学生の山本圭が冷静に正論でやり込める。

 両親ともになく、長兄、次兄は働いて弟の進学を助けている。三男は学生だが、四男は浪人中。長女の佐藤オリエ(この家は佐藤家なので、役名と本名が同じ)は家事を担当していたが、いろいろ不満を溜め込んでいて、ある日家出して働き始める。5人の子どもたちはともに深く信頼し合っているが、現実社会の貧困や差別に直面して大げんかが起きるのである。そうすると、上記画像のようにちゃぶ台で食べているので、「ちゃぶ台返し」になる。僕はちゃぶ台で食べていた幼少時代を経験しているが、70年代後半にはもうテーブルで食べている家が多かった。五人も兄妹がいる家庭も周りにはなかった。

 冒頭からテーマ曲が何回も流れる。歌ったのはサ・ブロードサイド・フォーというグループで、これは黒澤明監督の長男黒澤久雄がやっていた。ただし、僕は同時代的にドラマや歌を知ってたわけではない。歌詞を書くと1番は「君の行く道は 果てしなく遠い だのに なぜ 歯を食いしばり 君は行くのか そんなにしてまで」である。2番を抜かして3番は「君の行く道は 希望へとつづく 空にまた 陽が昇るとき 若者はまた 歩き始める」となる。
(第2部『若者はゆく』)
 作詞の藤田敏雄(1928~2000)を調べてみると、日本のミュージカル草創期に労音で多くのミュージカルを創作した人で、「題名のない音楽会」の企画構成、「世界歌謡祭」の総監督なども務めた人物だった。興味深いことに、岸洋子が歌った「希望」も作詞している。「希望という名の あなたをたずねて 遠い国へと また旅に出る」と始まるドラマティックな短調の曲である。なんで「希望」がこんなに暗いメロディーなんだろう。「若者たち」でも「君の行く道は希望へとつづく」と歌われた。

 この時代の「希望」とはどんなものだったのだろう。今「格差社会」と言うが、明らかに60年代の日本の方がはるかに貧困を抱えていた。それを言えば、戦前の日本はもっともっと大きな格差があったのである。だが、それが当たり前であると人々が思っていた時には、自分たちがひどい格差社会に生きているとは思わない。一方、60年代は「高度成長」のさなかで、少しずつでも人々が暮らしが良くなると信じられた時代だった。また「社会主義の理想」が生きていて、人々が連帯することで世の中をよくしていけるのだと信じた人が多かった。『若者たち』三部作も基本的にはそういう流れの中にある。
(第3部『若者の旗』)
 現実社会には多くの困難や矛盾があるけれど、それは「自然現象」ではなく人間が作り出したものである以上、やはり人間の手によって変えてゆくことができるはずだ。それがこの映画で山本圭たちが強く主張していることである。現実社会の中で厳しい「学歴差別」に直面する田中邦衛は、そのような理想論をすぐには受け入れられない。頭では理解出来ても、どこかうさんくさく感じてしまうのだろう。だが、より良い暮らしのために頑張るんだという向日性は映画のベースにある。それがこのテーマ曲に現れている。

 その後の日本では、70年代後半から80年代にかけて「一億総中流」と呼ばれる時代がやってきた。それはもともと「幻想」だったと思うけれど、幻想ではあれ自らを中流と思える暮らしを手に入れた。テレビや冷蔵庫だけでなく、自動車やクーラーも不可能ではないというアメリカのテレビドラマに出て来るような暮らしに日本人も手が届いた。それなのに、それが実現したときに「自分」が何者だか判らなくなる。それが70年代後半の若者の気分だろう。だから中上健次原作の『十八歳、海へ』の登場人物のように「心中ごっこ」をする青春になる。

 その時代に生まれた「ロスジェネ世代」(山上徹也被告もそのひとり)からすれば、自分たちの生きてきた中で日本が上向きだった時代などなかった。格差は昔の方が大きかったし、生活水準も昔より上なのに、自分たちには「希望がない」と思う。それは「一度は持っていたものを失った」という無念や苦しさのためだろうか。もう人々が連帯して闘うことなど、誰も信じなくなってしまった。20世紀最後の年(2000年)に刊行された村上龍希望の国のエクソダス』では、主人公に「日本には何でもあるが、希望だけがない」と語らせている。まさにそういう中で、われわれは21世紀を生きているのだ。
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五野井郁夫、池田香代子『山上徹也と日本の「失われた30年」』を読む

2023年08月04日 22時50分19秒 | 〃 (さまざまな本)
 五野井郁夫池田香代子による『山上徹也と日本の「失われた30年」』(集英社インターナショナル)という本を読んだ。これは非常に刺激的で多くのことを学んだ本だった。現代日本で生きる人の必読本と言っても良い。論文も入ってるけど、大部分は対談で読みやすい。全部合わせても170ページほどで、値段も本体価格1600円。夏のチャレンジ本に相応しい。

 書評を読んで買ったんだけど、なかなか読む気になれなかった。もちろん表題の人物は「安倍晋三元首相暗殺事件で起訴されている被告人」である。2023年3月末に出た本で、事件から1年になる頃には読みたいと思ったが、読むにはちょっと頑張るエネルギーがいりそう。この本は著者二人が彼のものとされるツイッターへの投稿を分析して語りあった本である。論点が非常に多くてなかなか消化できないけど、ものすごく興味深い論点が並んでいて、考えるべきことが満載だった。
(池田香代子氏)
 池田香代子氏は1948年生まれで、もともとはドイツ文学の翻訳者だった。1995年にヨースタイン・ゴルデル著『ソフィーの世界』の翻訳(ノルウェー語原作をドイツ語から重訳)がベストセラーになって名を知られた。2001年には『世界がもし100人の村だったら』(ダグラス・ラミスとの再話)が評判になった。以後、様々な社会運動に関わってきた。五野井郁夫は1979年生まれで、政治学や国際関係論の学者(高千穂大学教授)。親がカトリックで、「宗教2世」を自認している。「氷河期世代」の一人として、自分は幸運に恵まれただけだと何度も述べている。帯には「宗教2世の政治学者対「100人の村」著者」とある。
(五野井郁夫氏) 
 事前に注意点がある。まず取り上げられた人物はまだ裁判も始まっていない被告人であること。またここで分析されているツイッター投稿は、本人によって間違いなく自分のものと確認されているわけではない。ただし、事件前日に島根県在住のジャーナリストに送った「犯行予告」的な手紙の中で、自身のアカウントとして書かれていたという。このアカウントは事件後(7月19日)に凍結されていて、現在は見られない。しかし、凍結前にコピーしていた人がいた。内容的には本人以外のものとは考えにくい。

 アカウント名は「silent hill 333」というもので、著者によるとコナミから2003年に発売されたゲーム「サイレントヒル3」と関連しているのではないかという。これは「前世で母の手によってカルト的な神の儀式の生贄にされ、家族も殺された少女が復讐を果たす物語」だという。2019年10月13日に始まり、2022年6月30日までの間に1364件のツイートを投稿した。この本の最後に、その中から重要なものが引用されていて、直接読むことが出来る。これが意外なことに、なかなか興味深いのである。ある種「狂信的」あるいは「復讐心に燃える」といった先入観があったが、それは覆された。単純な人物ではないのである。

 例えば、今までの報道では「コロナ禍で旧統一教会の韓鶴子総裁が来日できなくなり、代わりに安倍晋三元首相を狙った」的なイメージを持っていた。しかし、どうも違うようである。教会側の警備が厳しいこともあるが、内部で揉めている旧統一教会で総裁を殺害したら、かえって喜ぶ内部勢力がいると認識したらしい。本人はもともと「ネトウヨ」的な世界観があり、安倍政権も支持していたようだが、ツイッターを見る限り石破茂氏への期待の方が大きかったらしい。

 映画『ジョーカー』など様々な映画、音楽、本などにも言及している。韓国発祥の宗教だけに、「反韓」傾向は強いが、これもかなり揺れも見られる。それ以上に「女」「女性」という言葉が多いようで、「インセル」をめぐる言及が多い。これは"involuntary celibate"を略したもので、「不本意な禁欲主義者」「強いられた独身」のような意味だという。「非モテ男性」のことで、ネットではよく使われる用語らしい。このように統一教会問題だけでなく多くの問題が語られている。

 しかし、やはり山上被告の特別な生育歴には語る言葉が無い思いがする。彼は何度も何度も「母」に裏切られながら、母を否定出来ないのである。外部の者は否定できても、家族だけは完全には否定しきれない。単に母親が教会側に多額の献金をして、そのため大学への進学がかなわなかった(それは事実だが)というレベルでは語れない。それを僕が完全に読み解くのはなかなか難しい。五野井氏(1979年生まれ)と山上被告(1980年生まれ)という同世代に降りかかった「就職氷河期」という「失われた年代」を無視しては語れないのである。それは著者たちのように、一度きちんと考えてみる価値がある問題だ。

 もちろん「殺人は絶対悪」である。それは前提だが、なぜこのような人物が生まれたのか、彼は秋葉原無差別襲撃事件ややまゆり園襲撃事件などの「犯人」と、どこが共通しどこが違っているのか。この世界に生きていて、われわれも考えなくてはいけない。内容的には相当大変だが、多くのことを考えさせられた。まだ自分でも上手く言えない。なお、見田宗介氏の「まなざしの地獄」論や栗原彬氏の分析に何度も言及されている。たまたま僕もよく知っている社会学者なので、そこら辺から深めて行きたいと思う。
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藤田敏八監督『十八歳、海へ』(1979)について

2023年08月03日 23時22分54秒 |  〃  (旧作日本映画)
 今日は読んだ本について書く心づもりだったが、最後の方が読み終わってないので次回回し。で、まあ休んでもいんだけど、昨日見た昔の映画について書いておきたい。上野でマティス展を見た後、地下鉄銀座線上野広小路駅まで歩いて京橋まで行った。国立映画アーカイブで藤田敏八監督『十八歳、海へ』という1979年の映画を見るためで、これが3時からだからその前に展覧会に行ったわけ。勘違いされないように最初に書いて置くけど、別にこの映画が傑作だというわけじゃない。むしろガッカリ感が強い。だが、キャストやスタッフのその後、映画の時代背景、原作の中上健次など、映画以外が面白かったのである。

 今回は「逝ける映画人を偲んで 2021-2022」という特集で、追悼対象は製作の結城良煕と脚本の渡辺千明という人である。どちらも知らなかったが、渡辺はこれがデビュー作という。ウィキペディアを見ると、その後の映画脚本は少なく、むしろ日本映画学校で教えたり、小津安二郎の共同脚本家として知られる野田高梧の別荘にあった『蓼科日記』を刊行した業績がある人らしい。この映画は大島渚映画の脚本家だった田村孟と渡辺千明が脚本にクレジットされている。
(主演の3人)
 冒頭は予備校の夏季講習の結果発表で、全員の順位が張り出されている。当時はそんなこともあったか。僕はよく覚えてないけれど、そうだったかもしれない。中学なんかでも成績を張り出すことは普通にあった時代だ。そこで1位になったのが、釧路から来ている有島佳(ありしま・けい)という女子。男どもは「おお、女が1位か」とか言ってる、そんな時代である。ビリになったのが、桑田敦天(くわた・あつお)で、桑田は有島を探して、一緒に出掛けないかという。ビリとトップなら面白いとか言って。桑田を演じているのは永島敏行で、『サード』『遠雷』など70年代後半の日本映画で輝いていた。
(近年の永島敏行)
 で、肝心の有島佳は誰だ? うーん、誰だっけとちょっと考えて、パッと名前を思い出した。森下愛子じゃないか。永島、森下は『サード』のコンビである。その後も東映映画などに出ていたが、むしろ80年代にはテレビで活躍していた。そして、1986年に吉田拓郎の「第三夫人」になっちゃった。いや、イスラム教じゃないんだから、3人目という意味だけど。まあ、今度は添い遂げるみたいだから、傍の者があれこれ言うこともないだろう。ウィキペディアを見ると、拓郎のオールナイトニッポンに呼ばれたとき、森下愛子も警戒して竹田かほりと一緒にやってきたと出ている。竹田かほりは『桃尻娘』の主役で、甲斐バンドの甲斐よしひろと結婚して引退した人。森下は根岸吉太郎監督と噂されていたが、結局吉田拓郎と結婚したと出ていた。
(近年の森下愛子)
 先の二人は鎌倉の海へ行って、男は女にモーションをかけている。そこへバイクがやってきて、バイク集団とのケンカになる。因縁を付けられているのは、同じ予備校生の森本英介。これは小林薫で、状況劇場のメンバーだったが映画に出始めた頃。クレジットに新人とあって、感慨深い。森本はケンカではなく、懐に石を詰め込んで海に入る競争をしようという。そのエピソードが終わって、もう明け方も近い頃、今度は森下愛子が永島敏行に同じように「自殺ごっこ」をしようと持ち掛ける。これが全く判らないのである。そこまでヒリヒリした追いつめられた青春という描写がない。それでいて、この二人は「心中ごっこ」を繰り返すのである。

 そこが伝わらないと、単なる風俗映画になってしまう。そして、実際にこの映画は時代を象徴するような青春映画にはなれなかった。一応キネ旬ベストテン18位になってるけど、あまり面白くない。監督の藤田敏八は70年代前半には忘れがたい青春映画を作っていた。『八月の濡れた砂』(1971)、『赤い鳥逃げた?』(1973)、『赤ちょうちん』『』(1974)などだが、1978年の『帰らざる日々』を最後に、どうもパッとしなくなった。角川映画の『スローなブギにしてくれ』(1981)など、どこが悪いとも言いがたいがズレてる感が強い。これは70年代前半を代表する神代辰巳、深作欣二などにも言えることで、それぞれ作風を変えたり低迷したりした。これは時代の方が変わったからだと思う。とらえどころがない時代が来たのである。
(藤田敏八監督)
 この映画の主人公たちは全く理解出来ない。「自殺」をこれほど遊びのようにとらえても良いのか。永島も森下も健康的な身体をしていて、「心中ごっご」が腑に落ちない。そんなに人生がイヤで、模試で全国トップになれるのか。腑に落ちないと言えば、有島佳の姉、有島悠が小林薫と付き合ってしまう。悠を演じているのが誰か判らなかったが、島村佳江という人だった。『竹山ひとり旅』などに出ていて当時は知っていたかもしれない。調べてみると、この人は藤間紫の息子文彦と結婚して、息子が藤間翔、娘が三代目藤間紫なのである。藤間紫は先代猿之助の二番目の妻だが、いろいろな映画にも出ていた。実に色っぽくて、どうも「好きにならずにいられない」といったタイプなのである。
(島村佳江)
 森本英介はホテルサンルート東京で働いていて、ロケで使われている。ただし、今はサンルート東京というホテルはなくて、どこだったかは判らない。上京した医者の父がこんなところで働くのは辞めろといって、ホテルがクビにしてしまうのもすごい。ワケあり家庭だったようだが、細かい説明はなく、箱根のホテル(小涌園)を取ったから来なさいと父が英介に言う。英介はそれを有島と桑田に譲ってしまう。そこら辺の展開は強引そのもので、映画なら許される「偶然性」を遙かに超えている。まあ、全部書いても仕方ないけど、中上健次の原作はどうなってるんだろう。紀州ものは大体読んでたけど、他の小説は読み落としが多い。この原作も読んでない。中上健次原作の映画は『火まつり』『赫い髪の女』など傑作が多いが、これは中で一番下の失敗作。だけど、自分の若い時代がロケの中に残されてるから懐かしい。
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猛暑の中「マティス展」を見に行く

2023年08月02日 22時52分11秒 | アート
 アンリ・マティス(1869~1954)の本格的な展覧会が上野の東京都美術館で行われている。(4月27日~8月20日。)去年予告があった時から、これは見たいなと思った。ピカソに比べてマティスは、あまり見てないと思う。もちろん単発では何度も見ている。だがちゃんとしたマティス展に行ったことはないような気がする。でも段々マティスに惹かれる気持ちが出て来た。だけど、猛暑である。葬式もあって時間が取れない中、気付いてみれば終了も近い。猛暑だなんて言ってる場合じゃない。そろそろ行かないと。
 (アンリ・マティス)
 今回の展覧会は「本格的」なものである。つまり「全貌」が時代順に展示されている。それで判ることは「マティスと言えばフォーヴィズム」になる以前が長いということだ。マティスは1869年、つまり日本で言えば明治2年の生まれで、フォーヴィズム(野獣派)は20世紀初頭のムーヴメントである。40歳を越えてからのことだった。それまでは様々な画家の影響を受けて創作していて、それはなかなか上手いんだけど、それだけなら日本で展覧会は開かれない。その時期に描かれた『読書する女性』(1895)は、当時のパートナーがモデルだという。彼女は2年前に女児を産んでいたが、マティスは1898年に別の女性と結婚した。
(『読書する女性』)
 マティスは1920年代にニースに転居した。それからわれわれがマティスと思うような作品が出て来る。例えば『赤いキュロットのオダリスク』(1921)などで、こういうのを見に来たわけだけど、場内が暗いので案外色彩の氾濫という印象がないなあ。むしろ、それまでに展示されていた彫刻など、滅多に見られないものが貴重。第二次大戦中にニースが危険になり、近隣の小さな村ヴァンスに転居した。チラシに使われた『赤の大きな室内』などが描かれた。やはりマティスは赤である。
(『赤いキュロットのオダリスク』)
 晩年の切り紙絵も面白い。切り取った紙が足元に散らばってる写真があって、散らかってると言ってた客がいた。別にあの程度は散らかしているうちに入らないでしょう。そして最後にヴァンスに作られたドミニコ修道会のロザリオ礼拝堂の写真が展示され、映画が上映されている。マティスはここの内装をデザインし、ステンドグラス、上祭服などを作製した。この礼拝堂がマティスの最高傑作という人もいるらしい。実際、実に素晴らしい場所に見える。持ってくることは出来ないから、写真等で接するしかない。でもこれがマティスの最後の境地かと実感出来る。1948年から51年に掛けて作られ、1954年にマティスは死去した。
(ロザリオ礼拝堂)
 上野駅公園口から都美術館はそんなに遠くはないけれど、まあ正直言うと猛暑でイヤになった。マティスの全貌をどうとらえるかなどと感じる余裕はなく、椅子に座って涼んでいたい、結構大変なアート体験。まあ、家からは近いけど。
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映画『クロース』、心震える少年時代の悲劇

2023年08月01日 22時35分13秒 |  〃  (新作外国映画)
 関東地方は7月いっぱい猛暑日が連続していた。今日(8月1日)、ようやく「夕立」(夕方じゃなかったけど)があって、一気に10度ぐらい気温が下がった。しかし、明日はまた猛暑だとか。最近更新が一日おきになってる。母親関係の様々な事務手続きに忙しいが、それ以上に猛暑で脳が働かない。いくら何でも体温越えの気温が一週間以上も続くと堪える。

 見田宗介著作集を読んで考えたことはもっともっとあるのだが、暑すぎて気持ちが切れてしまったので2回で一端中断する。そこで最近見た中で一番心に触れた映画、ベルギーのルーカス・ドン監督『CLOSE/クロース』について書きたい。これは2022年のカンヌ映画祭グランプリを獲得している。グランプリと言うけど、実際は第2席である。クレール・ドゥニ監督『Stars at Noon』(未公開)と共同受賞だった。最高賞(パルムドール)の『逆転のトライアングル』と比べて、感動するのは明らかにこっち。

 この映画は多くの人から是枝裕和監督の『怪物』と比較されて論じられている。確かに似た部分もあるのだが、映画の方向性はむしろ逆と言っても良い。(製作経緯から両者に直接の影響関係はない。)『怪物』は子どもたちの世界を中心にしながらも、大人たちの様々な状況も見つめて、複合的な世界を探る映画である。一方、『CLOSE/クロース』は親や教師も出て来るけれど、ほとんど2人の子どもたちに密着している。フランスの花農家の次男レオは、幼なじみのレミと夏休み中いつも一緒に遊んでいた。この二人の関係性が「学校」が始まって子どもたちの世界の残酷さに触れることで崩壊していく。
(レオ=右、レミ=左)
 秋になって、中学校に行くようになる。二人がずっと仲良くしているのを見て、周りの女子が「二人は付き合ってるの」と聞いてくる。レオはそんなことはないと答えて、新しい友だちに誘われアイスホッケーのチームに入ったりする。スケートは出来たので、何とかついていけて上手だと誉められる。レミとの「幼かった時期」を抜けて、スポーツでつながれた「男の世界」に入りつつあるのか。しかし、レミは急に邪険にされた思いで、寂しいし不満もあるらしい。そして、悲劇がやってくるのである。
(農園でのレオとレミ)
 これは「セクシャル・マイノリティの物語」なのだろうか。そうも言えるし、そうじゃないのかもしれないと思う。監督のルーカス・ドンは1991年生まれの若い監督で、前作『Girl/ガール』(2018)に続く第2作である。前作はカンヌ映画祭「ある視点」部門で新人監督賞を受けたが、同時にクィアパルム賞も受けた。バレエをしているトランスジェンダーの少女が主人公で、こっちは紛れもなくセクシャル・マイノリティの映画だったのだろう。(見逃しているので、内容の評価は出来ない。)
(来日したルーカス・ドン監督)
 だけど、今回の『CLOSE/クロース』は、むしろ思春期の心の揺れに密着した映画とも思える。二人は仲良しだが、それが同性愛的なものなのかは本人にも判らないかもしれない。まだ性的自認が確立されていない時期では、異性にも同性にも強いつながりを感じることがあると思う。そういう感情を自分も持っていたという人も少なくないのではないか。ただ彼らを追いつめたのは、明らかに「クラスの中のまなざし」だった。そしてレオは「少年だけの世界」に所属したいと望んだ。二人の気持ちが良く判りすぎて、見ていてドキドキして心が痛い。カメラはずっとレオを中心に密着している。僕はこの映画は傑作だと思ったが、かなり見るのがつらい映画でもある。でも是非見て欲しい映画。
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