7月に読み終えた本も3冊でした。
3冊とも、予備知識や事前予約なしで、図書館の棚で偶然
見つけた本でした。
6月に読み終えた『ビブリア古書堂の事件手帖』と
同じ作者。ビブリア~の続きを読んでみようかなーと
探しに行って、なんとなく題名に惹かれて借りてみました。
1930年代に建てられた、当時の最先端アパートメントを
舞台に、そこから70年(!)続く、主人公八重と、
八重の大切な家族の思い出が、年代を行きつ戻りつ
しながら描かれています。
プロローグは、八重の最後の記憶。
年老いて、死へと向かうとき、人はこんなふうに、かつて
愛した場所や人や場面を思い出すものなのでしょうかー。
本文9ページ
それから耳元にそっと囁いた。
「いきなさい」
あなたはまだ、ずっと先まで。
たちまち娘の姿は消えて、老いた女が一人きりで
立っていた。わたしはここでおしまい。
それと、ひとくくりに「家族」といっても、微妙に
合う、合わない、という人は(きっとどこの家族にも)いて。
それは好き嫌いとはまた別の感情というか、感覚で‥、
がんじがらめの家族よりも、素直にそういう気持ちで、
「代官山アパート」を通して繋がっている関係は
いいなあと思いました。
なんとなく、たまに、ばなな本でも読んでみようかー。
という気持ちになって。文庫の棚から今回はこちらを。
(ライフワーク長編で全4冊あるそうですが、まずは、
その1 アンドロメダハイツ)
カウンセリングができるおばあさんとの暮らしから、
山のこと、草のこと、薬草茶の作り方などを覚えた
雫石(しずくいし)は、おばあさんがマルタへ移住して
行った後、生まれて初めて一人で町へ降りて行く。
そこで、「先が見える」特技?を持つ楓(かえで)の、
アシスタントのような仕事を得るが、彼が海外に居る
あいだ、その留守を預かることになるー。
お伽話のようでもあり、長いながいプロローグが
やっと終わり、さて、第1章が始まる!と思ったところで
「その1」はおしまいになった。
序盤の、アパートの隣の部屋に住む男女の、なんでも
ないと思われた描写が、最後の大事な場面に生きてきて‥
おお、ばななさんはやはり、上手いなと思ってしまった。
本文133ページ
この時の幸福なイメージを私はきっと長い間心に
とどめておくだろう。
もうすぐ終わってしまうありふれた日常の風景の中に、
花のようにか細く開いた、淡いせつなさがあった。
水にまつわる本を集めたコーナーがあって、そこで目に
ついた本。著者は赤瀬川源平さん。
源平さんは、モネに代表される、印象派と呼ばれる
人たちの絵が、絵画のなかの「頂点」であると言い切り、
なぜ今でも多くの人々に印象派の絵は愛されているのかを
「水」という切り口で、実際の絵を見ながら、話すように、
教えてくれます。
印象派の画家たちは、描き表すのが難しい「光」を画面に
入れることに心を砕いているとばかりと思っていたので、
そうか、「水」だったのか、と新鮮な驚きとと共に楽しみました。
本文94ページ
抽象絵画は表現の自由の天国あるはずなのだけど、何故か
自由の嬉しさが感じられないのはどうしてだろう。むしろ
自然描写に結びついた印象派の絵の筆触(タッチ)の方に、
自由の嬉しさを感じるのは何故だろうか。自由というのは
与えられると消えてしまう。印象派のタッチにはみずから
それをつかもうとする力が放つ輝きがあるのだ。
本文103ページ
~でも絵の輝きが印象派を上回ることはない。後を追う
ものには、技術の有利さがあるのだけど、技術だけ積み重ね
ても輝きを得られないのは、芸術の不思議なところだ。
「グローバル」になってしまった現代の人間は、水や緑を
率直に賛美する資格をすでに全員が失っている。印象派の
絵の輝きは、かつての時代に生きた彼らの特権であり、
その絵は、ぼくらには得難いものとなって残されている。