音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

共同体感覚ゼミ

2012-11-12 21:24:55 | レクチャー、マスタークラス

ひまわりを抜いた後に、掘り出してあった水仙の球根と、Paint Flowerという白い花とピンクの花の種の缶詰。十年以上前に買ってあったの。少しずつ使っていましたが、何年も存在を忘れていたのが、引っ越しで再発見。蒔いてみました。もう咲かないかもしれない。

真ん中に一本だけある木は、夫が植えた大豆。ちょろっと伸びている緑の草は次男が植えた玉ねぎ。ほっておくと、二人とも好きなように植えてしまいます。玉ネギが本当にできたら、この花壇では絶対幅が間に合わないし、大豆は、密植で成長しないんだけどなぁ。そのうち移植するから、いいか。

土曜日は、共同体感覚のゼミ
初めにモーシェ・フェルデンクライスの「脳の迷路の冒険」安井武訳の序文を読みました。

「学習には沢山の種類と方法があります。字が読めない人の中にも、みなさんや私よりもはるかに多く、またはるかによく学んだ人たちがいます。

・・・一見役に立ちそうな知識をただ寄せ集めることだけではなくて、量が増大して新しい質を獲得するような学習のことです。

・・・公的な教育は「いかに」教えるかよりも「なにを」教えるかに関心をもっています。その結果、数知れない失敗を冒しています。

・・・教えることではなくて、生徒の学び方が本質的な重要性を持つ方法を説明します。・・・たとえば私が説明したことを何度も何度も繰り返し、みなさんが私とおなじように説明できるようになるとしましょう。・・・今述べたような教え方は、私の考えでは不毛です。

みなさんが、本当に学ぶことができるためには、その定理を最初に考えた人とおなじようにみなさんが考えられるようにする・・・このような教育は、黒板で理論を教える能力以上のものを必要とします。」

子どもたちに宿題を教えていると、「教えてよ」とくるので、解き方を教えていると「いいから、答え教えてよ。」ときます。子どもたちがどんなに毎日、毎時「いかに」ではなくて「正解」を出すことを求められているのか?がわかります。

大人の私だってフルートを吹いていると、うまくいかないと「いいから、いいやり方教ええてよ。」とつい思ってしまいます。

いいやり方というのは、いい音が一つで、いい姿勢が一つで、いい音楽が一つであるという信念の上に立っています。

ある点においては即効性があり、うまくなったような気がするかもしれませんが、いいやり方を求める時点ですでに自滅。

次の小節に移動したり、曲が変わった途端にもうふけない。
せいぜい似たようなところで、いいやり方で得た音を再現しようと、悪戦苦闘。まぐれのような努力を繰り返すしかなくなる。

学び方が不適切。としか言いようがない。

音楽を探究する。問い続けることを楽しむ。そのような、時間を送ることで、勝手にいろいろなことが、起きてくる。そんな感じでしょうか。