初詣に行った酒屋神社の裏の畑に咲いていました。
「あれ何?虫?」と姪が聞いてきました。
「あれはね、綿の花。」
最古の綿栽培の証拠は8000年前のメキシコにあるそうです。
現在の品種のほとんどはこの品種だそうです。
7000年前(紀元前5000年)インダス文明では紡績、機織りが発展していました。
インドから地中海沿岸へ広まりました。
ギリシャ人は3世紀に伝聞が伝わり、ムーア人(イスラム教徒)がモスリンを売り、スペインに栽培法を伝えたのは3世紀でした。
14世紀にヴェネツィアやミラノで織られるようになっていましたが、縦糸にはリンネル(亜麻)を使っていました。
14世紀綿の図
17世紀イギリスの東インド会社から、インドの綿織物が届けられました。
1780年頃にはイギリスで紡績機が発明され、その後改良され、劇的に綿製品の製造が高まり産業革命の契機となりました。
インドで栽培された綿をイギリスで加工し、それを植民地に輸出するというサイクルが完成しました。
1840年代インドの生産だけでは足りなくなりアメリカの奴隷労働による生産を加えることになりました。
南北戦争が始まるとフランスはエジプトで栽培を拡大しました。
イギリスはインドに戻り、不公正な取引を強制し、ガンジーの出現となりました。
ロシア帝国はトルキスタンでの綿栽培を開始し、ウズベキスタンは現在でも綿の一大産地になっています。
糸紡ぎは
綿の花の繊維をほぐして引出し、回転することによって撚り合わせ、糸の状態にすることをいいます。
ミレー糸紡ぎ
機械化されるまでは、上のような機具を使って主に家の中で女性が行いました。
糸紡ぎの音楽は多く作られました。
くるくると素早く動く糸車の動きはインスピレーションを刺激したようです。
フェリックス メンデルスゾーン(1809-1847年)自由都市ハンブルク生まれ、ザクセン王国ライプツィヒ没
無言歌集は全8巻48曲出版されています。
そのうちの第6巻の4 1845年出版
ハ長調は「紡ぎ歌」と呼ばれています。
この曲の冒頭に「Spinnerlied genannt.」紡ぎ歌のように
と、書かれているので、出版社によって「紡ぎ歌」とつけられました。
ドイツロマン派のインスピレーションの源、ダンテの「神曲」や、民話「眠りの森の美女」などの影響、反産業革命というロマン派の動きに沿って、この時期多く作曲家シューベルト、チェルニーなどが「糸紡ぎ」をもとに曲を書いています。
反田さんと小林さん、なんだかうれしいニュースですね。
きっかけはわかりませんが、コンクール仲間の絆って結構あるんですよ。不安な待ち時間にちょっと話したりすると落ち着いたり、「頑張って!」
と声掛けあったりして。
私も何人かいますよ。
おめでとうございますって言いたいですね。
温かいコメント、とても勇気づけられます。
夜の9時頃に新規投稿し、その記事を朝の9時頃に1日に一度だけ再掲しています。
クラッシック音楽の裾野を広げたくて、毎日いろいろ時間をかけて、調べて考えて充実した記事にしていますが、見逃される方も多く、なるべく多くの人に読んでいただきたくて、一度だけ更新しています。
と言っても煩わしく思われるのもわかります。
フォローのチェックを外す、或いは更新通知を外せばご迷惑をかけることもないと思います。
私としては残念ですが、よろしくお願いします。
綿の花あまり見かけませんよね。
私も初めて間近で見ました。
反田恭平と小林愛実さんが結婚したと報道されましたね。
今年一番のびっくりです。
↓ 日刊スポーツの記事
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202301020000058.html
綿の花というのを始めて見ました。
写真載せていただき有難かったです。
間違えました!ダンテの神曲と書きたかったんです😱💦
「糸を紡ぐグレートヒェン」!
おかげさまで修正できました。
ありがとうございました!
ゲーテはドイツロマン派に影響や直接敵なインスピレーションを与えていますね。ただ「神曲」に関してはずっと時代を遡って、ダンテ・アリギエーリの作品です。そしてダンテの神曲もまた、ロマン派の文学、美術、音楽に大きな影響を与えています。