今日は、5.28 夙川公民館ホールの西宮ギター練習会コンサートのリハーサルでした。
私はギターの岡山友樹さんとファリャの7つのスペイン民謡、川原久美子さんとバッハのフルートソナタBWV1035を演奏します。
テンション上がってきました。
「アストゥリアス」は人気で、二人が、演奏されました。
イサーク アルベニス(1860-1909年)スペイン王国カンブロドン生まれ、フランス共和国カンボ レ バン没
1歳で家族とバルセロナに移住。
姉クレメンティーナにピアノを学びます。
5歳でテアトロ ロメアでコンサートを行い、神童と評判になりました。
パリ音楽院を受験しましたが、実力を認めたものの年齢を理由に断られています。
1868年父が役人を失職。
収入を得るため姉クレメンティーナと演奏旅行に出るようになります。
マドリッドに移り、マドリッド音楽院
に入学。
ライプツィヒ音楽院に入学するも、演奏旅行のため2ヶ月で辞めます。
スペイン国王アルフォンス2世の秘書ギレルモ デ モルフィーの取りなしで奨学金を得てブリュッセル音楽院
に留学。
1880年にマドリッドに戻ると演奏旅行を継続、指揮者としてもデビュー。
作曲も始めます。
1883年バルセロナに帰り、ピアノ教師を始めます。
生徒のリサ ホルダナ
と結婚します。
1889年パリ、ロンドンで演奏し成功し、3人の子どもを連れて、家族でロンドンに移住します。
クーツ銀行のフランシス バーデット
がパトロンになります。
がパトロンになります。
1893年病気のためパリに移住。
フランス音楽界と交流を深めます。
フォーレ、ショーソン、デュカス、ボルドと交流します。
体調不良のためバルセロナに戻り、サルスエラを復興しようとしますが、国際的な名声から、外国かぶれと見られ厳しい批判にさらされ、1902年にパリに戻ります。
1905年、腎疾患から温暖な気候を求めてニースを度々訪れ、歌劇の製作を行います。
スペイン文化の詰まった「組曲イベリア」を作曲します。
1908年亡くなります。
「アストゥリアス」伝説曲はもともとは「スペインの歌」作品232の第一曲前奏曲として作曲されました。
後にピアノ曲集スペイン組曲の第一集
全8曲を作曲したときに、1-3.8曲を作曲し、他の曲はアルベニスの既存の曲を足しました。
第5曲「スペインの歌」の前奏曲で「アストゥリアス」と名づけられました。
アストゥリアスはスペイン北部の土地ですが、曲想は南部のアンダルシア地方のものとなっています。
後にアンドレス セゴビアによってギターに編曲されて以來、ギターの大切なレパートリーになっています。
聴き惚れました♪
お疲れ様です
午後からも素敵な1日に
なりますように(^-^)/🍀
いいですよね!
おかげさまで素敵な1日でした。