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アストゥリアス

2022-05-21 21:38:57 | 名曲
今日は、5.28 夙川公民館ホールの西宮ギター練習会コンサートのリハーサルでした。

私はギターの岡山友樹さんとファリャの7つのスペイン民謡、川原久美子さんとバッハのフルートソナタBWV1035を演奏します。

テンション上がってきました。

「アストゥリアス」は人気で、二人が、演奏されました。

イサーク アルベニス(1860-1909年)スペイン王国カンブロドン生まれ、フランス共和国カンボ レ バン没


1歳で家族とバルセロナに移住。
姉クレメンティーナにピアノを学びます。
5歳でテアトロ ロメアでコンサートを行い、神童と評判になりました。

パリ音楽院を受験しましたが、実力を認めたものの年齢を理由に断られています。
1868年父が役人を失職。

収入を得るため姉クレメンティーナと演奏旅行に出るようになります。

マドリッドに移り、マドリッド音楽院


に入学。
ライプツィヒ音楽院に入学するも、演奏旅行のため2ヶ月で辞めます。
スペイン国王アルフォンス2世の秘書ギレルモ デ モルフィーの取りなしで奨学金を得てブリュッセル音楽院


に留学。
1880年にマドリッドに戻ると演奏旅行を継続、指揮者としてもデビュー。
作曲も始めます。

1883年バルセロナに帰り、ピアノ教師を始めます。
生徒のリサ ホルダナ


と結婚します。
1889年パリ、ロンドンで演奏し成功し、3人の子どもを連れて、家族でロンドンに移住します。

クーツ銀行のフランシス バーデット

がパトロンになります。

1893年病気のためパリに移住。
フランス音楽界と交流を深めます。
フォーレ、ショーソン、デュカス、ボルドと交流します。

体調不良のためバルセロナに戻り、サルスエラを復興しようとしますが、国際的な名声から、外国かぶれと見られ厳しい批判にさらされ、1902年にパリに戻ります。

1905年、腎疾患から温暖な気候を求めてニースを度々訪れ、歌劇の製作を行います。

スペイン文化の詰まった「組曲イベリア」を作曲します。

1908年亡くなります。
「アストゥリアス」伝説曲はもともとは「スペインの歌」作品232の第一曲前奏曲として作曲されました。

後にピアノ曲集スペイン組曲の第一集
全8曲を作曲したときに、1-3.8曲を作曲し、他の曲はアルベニスの既存の曲を足しました。

第5曲「スペインの歌」の前奏曲で「アストゥリアス」と名づけられました。
アストゥリアスはスペイン北部の土地ですが、曲想は南部のアンダルシア地方のものとなっています。

後にアンドレス セゴビアによってギターに編曲されて以來、ギターの大切なレパートリーになっています。



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (mirapapa)
2022-05-22 00:33:53
素晴らしいギター演奏でした!
聴き惚れました♪
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Unknown (syaazunabru)
2022-05-22 12:15:34
こんにちは✨😃❗
お疲れ様です
午後からも素敵な1日に
なりますように(^-^)/🍀
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Unknown (m-fluteangel16)
2022-05-22 23:22:06
@mirapapa さん、聴いて頂いてありがとうございます。
いいですよね!
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Unknown (m-fluteangel16)
2022-05-22 23:22:55
@syaazunabru さん、ありがとうございます。
おかげさまで素敵な1日でした。
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