近所の大学のアメリカフウが色づいてきれいです。マンサク科フウ属だそうです。カエデはカエデ科カエデ属。長いこと楓(カエデ)だとおもっていました。アメリカ楓。字はカエデですが、フウと読みます。まだまだ、思い込んでいることはあります。
今日は、ピアノのKさんと、「カルメン」をおさらい。
声楽家でもあるKさんに、合わせてもらい音楽への理解を深めます。
呼吸をたっぷりとっているつもりでも、器楽だけと歌もやっている人とは、呼吸がやっぱり違います。
呼吸をたっぷりとるためには、拍をしっかりと捉えることが必要です。
3拍子なら、1拍目をしっかり振り降ろし、その分2拍目は取った時間を詰めてもよく軽めに、そして3拍目は、次の1拍目への助走で次の小節に向いて滑らかに連結を心がけます。
そして、フレーズの頭をこの3拍目から1拍目で、合わせます。テンポが書いてあっても、同じ長さというのはあり得ない。
拍を捉えるだけでは音楽になりませんが、まずはそこから。
それから、全ての音には方向性があります。右手のメロディだけでなく、左手の単純な刻みのベースも。方向生を示すこと。
極端に思えるくらい、フレーズで必要な音と、そうでない音の差をつけること。
体は滑らかにフレーズやリズムとともに動きます。
Kさんから、いろいろ学んでいます。
ガエターノ・ドニゼッティ 1797年~1848年イタリア ベルガモ生まれ。
法律家を目指すようという父の期待を裏切り、ボローニャの音楽院でまなび、「アンナ・ボレーナ」、「ランメルモールのルチア」や、「ルクレチア・ボルジア」、「ドン・パスカーレ」などのイタリアオペラを代表する名曲を生み出し、50才で、神経性の病気で亡くなります。
「愛の妙薬」の初演は1832年。ベッリーニが「夢遊病の女」「ノルマ」を1831年に作曲していて、ドニゼッティ、ベッリーニ二人のオペラ全盛時代の作品です。
形式はオペラ・ブッファ、軽い喜劇の要素を持ったもので、二幕で終わります。
あらすじは、スペインのバスク地方。トリスタンとイゾルデを恋に落とした愛の妙薬の物語をアディーナが村人に聞かせています。
若い農夫ネモリーノは彼女を愛していますが言い出せません。そこに軍曹ベルコーレがやってきてアディーナを口説きます。煮え切らないネモリーノにアディーナはベルコーレと明日結婚するといいだします。
焦ったネモリーノは、インチキな愛の妙薬を商人から、軍隊入隊の契約金を担保に買ってしまいます。
村には、ネモリーノの遠い叔父が亡くなって遺産が入り、大金持ちになったという噂でもちきり。
ただのワインとは知らないネモリーノは妙薬を飲んで、お金が入ったと聞いた村娘たちがちやほやしてくるのを、さっそく効き目があったと大喜び。
商人からネモリーノが自分のために妙薬を買ったと聞いたアデリーナが涙しているのを、見て、「人知れぬ涙を見た.・・・死んでもいい」とこの曲を歌います。
結局、アデリーナが入隊契約書を買戻し、ネモリーノと結婚することにします。
それを見た村人たちは本当の「愛の妙薬」だったと、村を去る商人を感謝をもって送り出します。
「愛の妙薬」人知れぬ涙
Una furtiva lagrima
negli occhi suoi spuntò:
Quelle festose giovani
invidiar sembrò.
Che più cercando io vo?
Che più cercando io vo?
M'ama! Sì, m'ama, lo vedo. Lo vedo.
あの女(ひと)の眼に
ひそかに浮かぶ涙
色めき立つ娘たちを
羨んでいるようだった
僕はこれ以上何を求めようか
僕には分かる。あの女は僕を愛しているのだ。
Un solo instante i palpiti
del suo bel cor sentir!
I miei sospir, confondere
per poco a' suoi sospir!
I palpiti, i palpiti sentir,
confondere i miei coi suoi sospir...
ほんの一時だが
彼女の美しい心の高鳴りを感じた
もうすぐ彼女と僕のため息が
一つに溶け合う時がくるのだ
Cielo! Si può morir!
Di più non chiedo, non chiedo.
神よ!僕は死んでもいい!
これ以上何も望むことはない
Ah, cielo! Si può! Si, può morir!
Di più non chiedo, non chiedo.
Si può morir! Si può morir d'amor.
神よ!僕は死んでもいい!
これ以上何も望むことはない
僕は愛のために死ねるのだ
11月の子育てサロンは、運動会。
いろいろ役割分担をして準備しましたが、行ってみてびっくり。
私が作ってくるはずだった、チーム分けの名札が無い。
どうしよう?
幼稚園の職員室でコピーを借りていると、ピンときました。
これこれ!
コピー機にかけてあったかわいい刺繍の布に、ライオンと熊の大きな刺繍が。
20枚コピーして、はさみで切って、ちょっと色を塗って。
速成のくまさんチームとライオンさんチームの名札ができました。
今年は宇宙探検。
ロケット発射。ママに抱っこして、台の上からポーンと飛んで出発。
マットの上で宇宙遊泳。
ビニールシートの天の川に布ボールの隕石を落として、ブラックホールのトンネルをくぐると、宇宙魚のしっぽを捕まえてゴール!
隕石投下が大うけで、2歳児中心に大渋滞。ビニールシートの上に球を投げるだけなんだけど、それがおもしろかったらしく、何回もやりたがる子供が続出。
やっと、そこを通過したかと思うと、ブラックホールのトンネルでさっさと通過する子もいれば、なかなか入りたがらない子で、また、大渋滞。
ハイハイしながら、お母さんの胸のゴールに飛び込む得意満面な笑顔。
初めての玉入れ、初めてのかけっこ。
何がはじまるんだろう?と好奇心一杯の目がキラキラ。
やっぱり、こどもと遊ぶのは楽しい。
スタッフのみんなも、いろんなイレギュラーに機敏に、柔軟に対応できるようになってきました。
ハラハラ、ドキドキは宇宙探検にも、匹敵します。
仲間と楽しい冒険はまだまだ続きます。
ひまわりを抜いた後に、掘り出してあった水仙の球根と、Paint Flowerという白い花とピンクの花の種の缶詰。十年以上前に買ってあったの。少しずつ使っていましたが、何年も存在を忘れていたのが、引っ越しで再発見。蒔いてみました。もう咲かないかもしれない。
真ん中に一本だけある木は、夫が植えた大豆。ちょろっと伸びている緑の草は次男が植えた玉ねぎ。ほっておくと、二人とも好きなように植えてしまいます。玉ネギが本当にできたら、この花壇では絶対幅が間に合わないし、大豆は、密植で成長しないんだけどなぁ。そのうち移植するから、いいか。
土曜日は、共同体感覚のゼミ
初めにモーシェ・フェルデンクライスの「脳の迷路の冒険」安井武訳の序文を読みました。
「学習には沢山の種類と方法があります。字が読めない人の中にも、みなさんや私よりもはるかに多く、またはるかによく学んだ人たちがいます。
・・・一見役に立ちそうな知識をただ寄せ集めることだけではなくて、量が増大して新しい質を獲得するような学習のことです。
・・・公的な教育は「いかに」教えるかよりも「なにを」教えるかに関心をもっています。その結果、数知れない失敗を冒しています。
・・・教えることではなくて、生徒の学び方が本質的な重要性を持つ方法を説明します。・・・たとえば私が説明したことを何度も何度も繰り返し、みなさんが私とおなじように説明できるようになるとしましょう。・・・今述べたような教え方は、私の考えでは不毛です。
みなさんが、本当に学ぶことができるためには、その定理を最初に考えた人とおなじようにみなさんが考えられるようにする・・・このような教育は、黒板で理論を教える能力以上のものを必要とします。」
子どもたちに宿題を教えていると、「教えてよ」とくるので、解き方を教えていると「いいから、答え教えてよ。」ときます。子どもたちがどんなに毎日、毎時「いかに」ではなくて「正解」を出すことを求められているのか?がわかります。
大人の私だってフルートを吹いていると、うまくいかないと「いいから、いいやり方教ええてよ。」とつい思ってしまいます。
いいやり方というのは、いい音が一つで、いい姿勢が一つで、いい音楽が一つであるという信念の上に立っています。
ある点においては即効性があり、うまくなったような気がするかもしれませんが、いいやり方を求める時点ですでに自滅。
次の小節に移動したり、曲が変わった途端にもうふけない。
せいぜい似たようなところで、いいやり方で得た音を再現しようと、悪戦苦闘。まぐれのような努力を繰り返すしかなくなる。
学び方が不適切。としか言いようがない。
音楽を探究する。問い続けることを楽しむ。そのような、時間を送ることで、勝手にいろいろなことが、起きてくる。そんな感じでしょうか。
先月父が拾ってきたいが栗。緑色だったのが、茶色に。一か月前「ほっといて靴で踏んだら栗が取り出せるよ。」と高校の同窓会で教しえてくれたのはYさん。
いい色になってきました。
靴を履いて、踏んでみると…。
ちゃんと、危険なく取り出せました。ありがとうYさん。栗ごはんでもつくろうかな。
今日は楽譜の蔵ざらえ。
自分の持っている楽譜を片端から吹いていくだけですが。
テレマンの無伴奏ファンタジィ12曲。古典の定番ソロ曲。かわいい曲、歌う曲、メローな曲。一曲5分くらいで、使いやすいです。
ベームのコンチェルト、これぞヴィルトゥオーゾという感じの1楽章。いろいろなテーマがあり過ぎるくらいあって盛りだくさん。3楽章は調子が良くってなじみやすい。
カゼッラの「シシリエンヌとバーレスク」7分くらいかな。エキゾチックな感じ、後半は面白いリズムが個性的。
フランクのソナタ 譜読みはざっとできるけれど、音楽にするには、エネルギーが入ります。深く重たいものを動かしていく感じで、4楽章いきます。
シューベルトのアルペジョーネソナタ、親しみやすい美しいメロディに変奏。ただし、長いです。
同じくシューベルトのしぼめる花の変奏曲、テーマがいいです。シューベルトは心にしみます。
ゴーベールのノクターンとアレグロスケルツァンド。ゴーベールやっぱり好きです。前半はしっとりと後半は疾走するけれど、テーマはあくまで美しい。
ビュッセルのプレリュードとスケルツォ、ビュッセルって、あのフォーレのシシリアーノのオケ版を書いた人!前半はちょっとジャズのバラードのような感じがします。後半はそれに比べると古典っぽい。かと思うと、ちょっとイレギュラーがあったり。
モーツアルトのコンチェルトDdur。やっぱり名作。難しいなぁ。
メルカダンテのコンチェルトEminor。ちょっとシュターミッツを思い起こさせる一楽章。2楽章が美しい。3楽章は軽快なロンド。
ムーケのパン。一見軽やかなのに、エネルギーがあって、華やか。
プロコフィエフのソナタ、お久しぶりです。ロシアの民族音楽とジャズ。クラシックの融合。やっぱり力がいります。
ここまで吹いたら、さすがに疲れてきました。
本当にぜいたくな一日でした。古典から近代まで、一巡り。
幸せです。
30本もあったひまわり。種を収穫しようと、おいてありましたが、ようやくすべての種を撮り終わりました。これが今年分。花は咲いても、よく育たなかったのもあります。落ちてしまったものもあります。草花とはいえ、大きなひまわりを引き抜きいて、土を落として、種を取り、小さく切って捨てられるようにすると、大仕事になってしまいました。
昨日は、茨木のKさん宅にピアノのkさんと行ってカルメンの練習。
リズムの取り方、フレーズの山など3人三様なところがあったりして、そういうところを合わせます。
スタカートの長さも、場所によって違います。
ジプシーの踊りのトリル付きの8分音符。裏打ちは、短く止めるのではなく、余韻を残すために、シンコペーションで減衰のように取ると、スピード感がでます。
16分音符が小節の中で3つ続いてるところは、息のスピードを上げすぎないで、3拍子感を出した方がいい。
ハバネラの歌の山は、3連符の上にあって、そこへ向かっていきますが、フレーズが切れないようにするためには、8分音符の裏拍を、少しテヌート、ビブラートもかける方がいいなどなど。
休憩は、Kさんの入れてくれたザクロとキャラメルフレーバーの紅茶。
おいしい暖かいお茶で、世間話に花が咲き、また練習。
途中までしかできなかった。
まだまだ詰めないといけないことがあります。
ミニトマト。「やっべぇ~!信号やん。」と写真を撮ったのは次男。『高校生は、なんでもやっべぇ~!かい。』と心でつぶやく私。ささやかな庭は家族の心の安らぎです。
その上、かわいいトマトは、食べられて、2度も3度も役に立ってくれます。
今日は、ボーンズレッスン。
心のケアーとか言われだしたのは、オウム真理教の事件や、阪神大震災が、きっかけでしたが、今、日本で心のケアーとか、カウンセリングというと、治療の分野だと思われています。
しかし、他国ではカウンセリングは、元気な人が病まない為に平常時に手を打っておく手段の一つとして活用されているそうです。
宗教、道徳という考え方は、大戦の後、大方の日本人からは、うさんくさいものとして頭から拒否されるようになりました。
宗教や、道徳の中にある生活や人としての考え方に役立つ部分と、運用において、国や政治に利用されたマイナスの部分との科学的、客観的分別が行われなかったことが、そのような状況を招いたところがあります。
医療なら、大半の人にレントゲンにまだ痛みのない小さながんを写して見せ、問題に正面から取り組ませ、薬や、情報を集め、生活を改めさせることができますが、心の中のこれから先、病んでいくかもしれない小さな考え方の癖を、指摘することができても、その問題について取り組むことの強い動機づけをすることができません。
自ら、取り組むと決意したものだけが、情報を集め、自分を変え、成長することができ、病を予防することができます。
治療で心を扱うのもいいですが、予防であつかってこそ価値があるというか、人生の質を上げることができるのではないでしょうか?
それでも、ほとんどの人は、死に直面したり、病を得てから、心に関心を寄せたり、文化に心を寄せたりし、元気な時は、仕事で忙しくしながら、何かを紛らわせるために、ギャンブルに行ったり、物を買ったり、依存したりすることに時間を使ってしまうのです。
ボーンズでする体のレッスンは、何かの目的のために体の筋肉を向上させたり、動きをしたりするのではなくて、自分の持っている力、自分自身に気づく、自分自身を受け入れ大切にする時間を持つ。そのことに気づくだけで、勝手にいろいろなことは起きてくる。気づいてそのままにするレッスン。ともいえるのです。
先月、同窓会をした高校時代の友人に頼んでおいたペットの写真。ネズミではありません。
ももんがのももちゃん一家です。奈良の旧家の大きな2階の一室を夫婦のモモンガに明け渡していたら、いつの間にか一匹増えていたらしい。
前回は写真をすぐくれたのですが、最近は駆け回っていてなかなか写真が撮れないらしい。写真をもらうまでに月が替わっていました。元気で、かわいい一家です。
日曜日、大学のマンドリンクラブの同期会。
待ち合わせ場所に行ったら、びっくり!11人、全員来ていました。大体は近畿に住んでいますが、一人は福岡。実家に帰ったからって。
私たちのつながりは特別です。
本当に厳しかった。表面上仲良くやっていても、重い荷物を持って合宿に行って、睡眠と、食べる以外は練習練習。3泊4日で、睡眠4時間。できるまで寝てはいけない。と先輩に言われて本当にガンガンやっていると、人のことを考えている余裕がなくなってとげとげしくなって。
ほっといたら先輩に呼ばれて、ただ、あの失敗を説教されるんだろうな。と思っていたら、「あなたたち、なんて冷たいの。友達が失敗するとわかっていて、ほっとくの。」
失敗の中身は覚えていないけれど、その言葉だけは忘れられない。
1回生から見えると神様のようにみえたけれど、今考えると、先輩だって同世代なのに、随分大人というか、、熟成した考えを持っていたと思います。
友達とは何か?繋がるとは何か?音楽とは何か?ということを、考えた4年間でした。
崩壊寸前までいったこともありましたが、結局は戻った。
けんかもしたし、怒ったし、泣いたし、笑った。
あの時得たものは、大きかった。
梅田でおしゃべりして、ボーリングして。
みんな、元気でいてくれてよかった。
また、会いましょう。
今日午前中は、地域の歌う会で、ピアノのKさんとコンサート。
ここは、小学校の敷地の中に、りっぱな2階建てのコミュニティルームがあります。
ボランティアのスタッフのみなさんが、毎月、季節の歌や、昔懐かしい物語の歌などの歌詞冊子を用意していて、Kさんが電子ピアノとアンプを持ち込み、司会スタッフは歌の説明。間に肩ほぐし運動を教えるスタッフがいたりして、うまく運営されています。
その間にKさんと一緒に演奏させていただきます。
ご高齢の方が多いので、昔懐かしい宵待草や、りんご追分。
時代劇テーマソングメドレー。少年時代、秋の子どもの歌メドレー。
Kさんとの、ミニコンサート鉄板のプログラムとなりつつあります。
この歌う会は人気があって、100人近い人で、部屋はびっしり。
響きが悪いかと思いましたが、大丈夫。Kさんのアンプは威力があって、ピアノも聞きやすい。
本当言うと本物のピアノが欲しいですが、どんな環境の中でもベストの方法をKさんはいつも考えています。
重い良いアンプをいつも持ち運んでいます。
フルートは生音で大丈夫。
少年時代、秋の子どもの歌は、口ずさんで聞いておられましたが、宵待草は野田暉行さん編曲のちょっと劇的なカデンツァがあって、ソプラノ歌手でもあるKさんは何度も歌で歌っていて伴奏がゆったりと歌える伴奏です。
気持ちよく演奏していると、前に座っておられた方が涙を拭いておられるのが見えました。
いい演奏してるかも。
気持ちよくりんご追分。ひばりさんとは違いますが、このぴったりくる感じ。複雑な節回しが、違和感なく体から出てきます。やっぱり日本人の血か。
最後は、必殺仕事人、水戸黄門、暴れん坊将軍で元気に終わりました。
後は、引っ込んで、皆さんの後ろで、一緒に幼馴染の歌とか、惜別の歌などを歌い、気持ち良い朝を過ごしました。
帰りの車の中で、Kさんが、「ドレミの歌、でたらめ弾いちゃった。」そうそう会の終わりに全員でフルートとピアノの伴奏でうたってもらったドレミの歌。
ドミミと歌いだすと、4小節飛んで、ソードーといき、また2小節飛んで、ドレミファソラシド・・・。
「楽譜の下の方、電子ピアノの楽譜立てって読みにくかってん。ごめん。」
「大丈夫。全部ちゃんとついて行ったでしょ。」
「ハハハ。すごいわ。」
「へへへ・・・。でも、歌う会のみなさんもちゃんとついてきたから、すごい!」
あの年代の方の、つながる力って本当にすごい。
肌感覚というか、あうんの呼吸というか。いちいち話し合う必要も無い。
包容力が違う!
遊んであげるつもりでいって、遊んでもらった感じです。
ありがとうございました。おかげさまでたのしかったです。
今日は、ピアノのKさんと、5日の小学校の中にあるコミュニティルームで、演奏するので、打合せ。
歌う会で、いつもは、唱歌や懐メロをうたっているそうです。高齢の方が多いということなので、「りんご追分」「時代劇のテーマ」などを演奏します。
「りんご追分」は美空ひばりさんの持ち歌ですが、初めて歌ったのは中3。りんご園の少女という映画の中でのことです。You Tubeを見たら、かわいい少女のひばりさんが歌っていました。
追分は、馬子が歌う労働歌です。独特な節回し、馬が歩くような、付点のリズムが特徴です。
ひばりさんのようには演奏できないけれど、Kさんの弾くピアノと、音楽に身をゆだねてみると、勝手に追分の節回しができてきます。
これが、血というものでしょうか?
日本の風土や空気、人や言語の中にある何かが、もうすでに私に追分を歌うことを教えてくれているのです。
音楽がテクニックではないというのは、こういうことからも知ることができます。こういう音楽は、練習しなくても自由にうごけるだけのテクニックがあれば、できるのです。
逆にいえば、西洋音楽にアプローチする時にも、ただ笛をもって練習するほかにやることがある。っていうことですね。
Kさんも「この曲は気持ちいいね。」と、言います。
楽しいコンサートになりそうです。