おススメ度 ☆
映画ファン ☆☆☆☆
フランソワ・トリュフォーとジャン=リュック・ゴダールは、1950年後半から1960年代にかけて、「ヌーベルバーク(新しい波)」を巻き起こした張本人だ。
まず、トリュフォーの「大人は判ってくれない」から始まり、ゴダールの「勝手にしやがれ」と続いていく。
それまでのオーソドックスな手法をぶち破った映像は、世界の人々を魅了した。日本でも、その影響で新しい映像作家が生まれた。大島渚や篠田正浩らだ。
で、この映画は、女優は登場するが、劇映画ではなく、様々な資料を駆使してヌーベルバーグの誕生から衰退までを、彼らの映像、インタビュー、新聞記事、周りを取り巻く人々のインタビューなどで構成されている。
当時、フランス映画も、隆盛を誇り、世界を席巻していたが、この新しい波により、フランス映画全盛の感があった。
適度に作品を交え、トリュフォーとゴダールの交友関係を、親密から対立と様々な局面をうまく描いている。
もともと、トリュフォーが映画評論家でもあったので、評論的立場の発言も多く、映画ファンにとっては、貴重な映画だろう。
映画ファン ☆☆☆☆
フランソワ・トリュフォーとジャン=リュック・ゴダールは、1950年後半から1960年代にかけて、「ヌーベルバーク(新しい波)」を巻き起こした張本人だ。
まず、トリュフォーの「大人は判ってくれない」から始まり、ゴダールの「勝手にしやがれ」と続いていく。
それまでのオーソドックスな手法をぶち破った映像は、世界の人々を魅了した。日本でも、その影響で新しい映像作家が生まれた。大島渚や篠田正浩らだ。
で、この映画は、女優は登場するが、劇映画ではなく、様々な資料を駆使してヌーベルバーグの誕生から衰退までを、彼らの映像、インタビュー、新聞記事、周りを取り巻く人々のインタビューなどで構成されている。
当時、フランス映画も、隆盛を誇り、世界を席巻していたが、この新しい波により、フランス映画全盛の感があった。
適度に作品を交え、トリュフォーとゴダールの交友関係を、親密から対立と様々な局面をうまく描いている。
もともと、トリュフォーが映画評論家でもあったので、評論的立場の発言も多く、映画ファンにとっては、貴重な映画だろう。