日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

老人割合が高止まりし、かつ人口減少傾向に入った町が元気であるためには

2024年10月17日 | 社会

わが町、横浜市港南区日限山4丁目のことです。

10月15日のことですが、『住民とって愛着を持てる「ふるさと港南」にするためには』という題のグループヒアリングが、港南区役所の会議室でありました。主催は区福祉保健課・区社会福祉協議会でした。社会福祉系ではなく、区政系が取り上げた方がいい大きな課題ですね。

その会議の中で盛んに聞こえた言葉は「老若男女」でした。老若男女が、できる範囲でいいから、すべてそれなりに「ふるさとづくり」を考えて、ふるさとづくりに参加しようということでした。老人割合が多い、子供が少ないなど、年齢構成がどんなに異常になっても、内向的にならず、老若男女、協働しようということでした。

私は80歳になって、病気になったこともあって町のボランティア活動から引退しました。引退することで若い人達に仕事をバトンタッチしたいと考えました。

これは大間違いであったと深く反省しています。威張り続けることは弊害あるのみですが、老病に苦しみながらも町のことを考える、祈ることは重要と気付きました。引退ではなく、力がなくても、町に心を開いていること、町づくりに参加していることがだいじと悟りました。

日限山の住人だった、故笹路眞三氏は、電動車椅子を活用してまで、まさに死ぬまで、町づくりに参加していました。初代子供用自転車山車を制作し、その上に、「ねぷた」と呼んでいましたが、張り子を飾り、その張り子に、毎年、時の話題の人の絵を描いていました。

あるとき、町の作品展につかう、絵などをかけるついたてを増設することになり、笹路氏から手伝ってくれと依頼があったので、私は、彼が高齢であることを考え、「ご安心下さい。私が制作します」と返事をしました。

するとすぐ彼から電話があって、「違うんだ。僕が制作するんだ。木材を買ってくるのを手伝ってほしいと言ったんです」と言ってきました。感動しました。実際、彼は頑丈なついたてをちゃんと制作しました。

町のボランティア活動は、老病を気にしてはいけませんね。子供達を除外してはいけませんね。老若男女がすべて、町のことを考え、町の発展を祈る心が重要です。すると、町が、人を育む町となり、町出身者は、自分の子にふるさとが自分をつくったと言い聞かせるでしょう。

日限山4丁目をそんなふるさとにしたいですね。自然が美しい、大公園、舞岡公園の門前町です。街区公園(まちなかの公園)の西洗公園が、町の人々の居場所・活動場所として発展し、もっともっと近隣の町からも親子連れなどが大勢遊びに来てくれるようになるといいですね。町の各家は、道路に開かれた庭づくりをするようになるといいですね。町は弱者にやさしい緑道で囲まれている、生活環境抜群の町にしたいですね。

夢で終わってもこんな夢を見ながら死にたいです。

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新町、かつベッドタウンだった町における自治会班長・役員就任に関する老婦人の言動

2024年10月17日 | 社会

日限山4丁目に住んでいる70台半ばの女性のお話です。班長になって、何もやらないと班長・役員仲間から批判されたのは60歳をちょっと過ぎたころのことです。当時の自治会は、なんにもやらない自治会状態から脱出して、町のボランティア達と協働してお祭りでも防災訓練でも班長・役員は、忙しかったと思います。

当時、夫が病気になって夫のことが心配だったようです。現在は、彼女の行動は、同じ班の班員には元気に見えるのに、「これまで班長を何度もやった、今、病気である」という理由で班長就任を拒否しています。夫は亡くなってしまい、今は、趣味の仲間と趣味を楽しんでいます。当番制で班長・役員に就任する時がまた来ています。彼女は自治会脱会を決心しました。

どうやら彼女の人生観から、町のことを考える考えが消えています。特別な事情がなくても、班長・役員になるのは嫌だという感情が働いているのではないかと思います。10年ちょっと前、他班の班長・役員が、彼女は町の仕事から逃げていると思った原因ではないでしょうか。現在も、同じ班の班員から、彼女は町の仕事から逃げていると思われています。

これは別の老婦人のお話です。夫は町の仕事は好きではないが、絶対拒否するという態度ではありません。しかし、老婦人は近所の人とは付き合いません。趣味の仲間としか付き合いません。近所の人は老婦人を見たことがありません。夫によると、老婦人は、班長・役員をやってほしいと言われたら自治会を脱会すると言っているそうです。

このような人生観の老婦人は非常に多いのではないでしょうか。具体例を上げよと言われたらいくらでも上げることができます。

これまで日限山4丁目の住民は、夫は東京などに通勤し、朝出勤ははやく、夜帰宅は遅いという状態でした。女性は概して主婦が多かったので、班長・役員は女性が就任することが多かったと思います。したがって、現在、夫に対する老婦人の不満は大きいと思います。今は自分の人生を生きたいと思う老婦人が多いのではないでしょうか。老人になった今、班長・役員になることは嫌だ、過去できなかった、自分がやりたいことをやりたいと思う人は多いのではないでしょうか。

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