わが町、横浜市港南区日限山4丁目のことです。
10月15日のことですが、『住民とって愛着を持てる「ふるさと港南」にするためには』という題のグループヒアリングが、港南区役所の会議室でありました。主催は区福祉保健課・区社会福祉協議会でした。社会福祉系ではなく、区政系が取り上げた方がいい大きな課題ですね。
その会議の中で盛んに聞こえた言葉は「老若男女」でした。老若男女が、できる範囲でいいから、すべてそれなりに「ふるさとづくり」を考えて、ふるさとづくりに参加しようということでした。老人割合が多い、子供が少ないなど、年齢構成がどんなに異常になっても、内向的にならず、老若男女、協働しようということでした。
私は80歳になって、病気になったこともあって町のボランティア活動から引退しました。引退することで若い人達に仕事をバトンタッチしたいと考えました。
これは大間違いであったと深く反省しています。威張り続けることは弊害あるのみですが、老病に苦しみながらも町のことを考える、祈ることは重要と気付きました。引退ではなく、力がなくても、町に心を開いていること、町づくりに参加していることがだいじと悟りました。
日限山の住人だった、故笹路眞三氏は、電動車椅子を活用してまで、まさに死ぬまで、町づくりに参加していました。初代子供用自転車山車を制作し、その上に、「ねぷた」と呼んでいましたが、張り子を飾り、その張り子に、毎年、時の話題の人の絵を描いていました。
あるとき、町の作品展につかう、絵などをかけるついたてを増設することになり、笹路氏から手伝ってくれと依頼があったので、私は、彼が高齢であることを考え、「ご安心下さい。私が制作します」と返事をしました。
するとすぐ彼から電話があって、「違うんだ。僕が制作するんだ。木材を買ってくるのを手伝ってほしいと言ったんです」と言ってきました。感動しました。実際、彼は頑丈なついたてをちゃんと制作しました。
町のボランティア活動は、老病を気にしてはいけませんね。子供達を除外してはいけませんね。老若男女がすべて、町のことを考え、町の発展を祈る心が重要です。すると、町が、人を育む町となり、町出身者は、自分の子にふるさとが自分をつくったと言い聞かせるでしょう。
日限山4丁目をそんなふるさとにしたいですね。自然が美しい、大公園、舞岡公園の門前町です。街区公園(まちなかの公園)の西洗公園が、町の人々の居場所・活動場所として発展し、もっともっと近隣の町からも親子連れなどが大勢遊びに来てくれるようになるといいですね。町の各家は、道路に開かれた庭づくりをするようになるといいですね。町は弱者にやさしい緑道で囲まれている、生活環境抜群の町にしたいですね。
夢で終わってもこんな夢を見ながら死にたいです。