まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

分かれ目

2012-06-24 12:53:21 | くらし

一気に行きますなんて言ってたけれど。ごめん、もう少しお付き合いくださいませ。
私めの取り留めのない、でも言いたいことなのです。

   

大船渡のガイドさんは、45号線が犠牲になったかならないかの境目だったとおっしゃっていたけれど、分かれ目はそれだけではなかった、と感じる。

陸前高田のガイド新沼さんは、多くの被害があった市役所前で震災にあったそうだ。
「僕は命きたないからすぐに山に走って助かった」そうだ。
市役所近辺建物に避難した人たちが犠牲になり、山に逃げた人たちが助かる。

そして新沼さんは話を続ける。

市役所近くのグランドで部活練習していた高校生は、指導者の指示でそばの建物に避難して犠牲になった一方、高校の校舎で部活動していた高校生は、指導者が山に逃げろと指示したお陰で犠牲にならずに済んだ。
指導者の指示の一言が高校生の命の分かれ目なんて。恐ろしい。

また40分という時間が微妙だったと。

一度山に逃げた人も、まだ津波は来ないから大丈夫じゃないかと言って、家に防寒具を取りに帰る、貴重品を取りに帰る、そういえばあの人はどうしたかと安否確認に帰る。
ところが、そこに津波が襲ってきたのだそうだ。
ぎりぎり10分から20分で津波が来たとしたら帰らなかっただろう、また40分以上かかったとしたら帰ったとしても戻ってこられたかもしれない。
40分は帰って戻ってくるには不幸な時間だった、とおっしゃっていた。
生死の分かれ目にはこんなことも左右するのか。

  

バスの車窓からの光景。

湾に面して斜面に家が建っている集落。
道路から半分以上の高さに建っていた家までが津波にのみ込まれて基礎部分しか残っていないのに、それよりわずか50センチ高いところに建てた家は日常生活を送ることが出来ている。
それの様子がくっきりと見て取れる。

普通の住宅地と背中合わせに立ち並んでいる仮設住宅。
仮設に住んでいる方たちは、毎日今までと同じ暮らしを続けているだろう住宅地の人たちを眺めるのだろう。

なんといっていいのだろうか、どうにもやりきれない思いがする。

 

このツアーで、東日本大震災はほんとうに広範囲にわたる大きな被害をもたらしたことを、復旧復興には長い年月がかかるだろうことを、嫌というほど実感しました。
これからも何かの形で、軟弱な私にも出来ることをやっていこうと決心した次第です(ほんとにやれよ!自分へのエール)。

 

 

コメント
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