生来の美貌が明晰な頭脳が抜群のスタイルが、経年劣化していくことは重々承知しているけれど。
(もちろん一般論)
それとは別のそういうことがひしひしと身に沁みて感じるとは、自分が歳をとるまで分からなかったわ。
佐渡からヤマグチサンが亡くなったと連絡受けた。
治療法がないと言われてからもよく頑張ったなあと思い出す。
5月に実家に帰ったとき、表水道で雑巾を洗っているヤマグチサンを見かけて
「きれい好きだね、家もやってもらいたいわ」なんて冗談言って笑っていた。
しばらくやりとりしてら「俺のう、血尿が出てさ、今度病院で検査してもらうんだっちゃ」
「いやその前にのう、運転してたらやぼにおかしげになって車止めて、しばらくそのへんで休んどったことも
あったんだっちゃ」なんて深刻な話になって。
入院したとは聞いていた。
夏に佐渡に帰ったとき、もう会えないかもしれないと病院にお見舞いに行った。
お世話になった人である。病室を歩き回っていて。
「私のこと誰だか分かる?」と聞いたら「あんたが分からんだったら、俺はあっちへ逝かんなん」
と思いのほか元気そうなのでひと安心していたけれど。今年にけじめをつけて逝ってしまった。
佐渡が淋しくなる。合掌。
もうひとり。同級生。
持病の薬をもらうための血液検査で異常を発見。
3か月前の検査では何の変化もなかったというのに、当の本人もいつもと変わりなくぴんぴんしているというのに。
すでに転移していて・・・
そんなことってあるのかと愕然として言葉も出なかった。
こうやって自分と近しい人たちがひとりひとりと、具合が悪くなっていったりいなくなったりする。
そのことが身にこたえる、胸がすうーっとうすらさびしくなる。
そして、そんなことを覚える自分の歳をひしひしと実感するのである。