ただいまです。
予定よりもぐっと早く帰宅できましたが、日帰り温泉にも入って来たのでいささか疲れました。
取り敢えずの報告です。
目的地は河口湖湖畔の『もみじ回廊』
残念ながら紅葉はまだまだでして・・・
でもでも私間近に富士山を見たことなかったので大感激。
お腹いっぱいになるほど眺めました。大好き、富士山。
河口湖の富士山
山中湖の富士山
ただいまです。
予定よりもぐっと早く帰宅できましたが、日帰り温泉にも入って来たのでいささか疲れました。
取り敢えずの報告です。
目的地は河口湖湖畔の『もみじ回廊』
残念ながら紅葉はまだまだでして・・・
でもでも私間近に富士山を見たことなかったので大感激。
お腹いっぱいになるほど眺めました。大好き、富士山。
河口湖の富士山
山中湖の富士山
買い物ついでに駅前の小さな園芸屋で1つ98円のダリアを3個買った。
サーモンピンクの花色が可愛らしかったのと、なんといっても値段に惹かれて、ね。
それと、春苗だけの菜っ葉状態の庭に色を添えようと思って。
(地植えしないでただ3個並べて周りを腐葉土で覆うことに)
止めておいた原チャリを出そうとしたら、老女お二人連れが「いらない?」って広告紙でくるんだ小菊の大束を差し出して。
あまりの大束にせっかくだけれど手で「ううん、いらないわ」のサイン。
すぐに自分のそっけなさに気が咎めて・・・
みればお二人ともリュックを背負っていかにもこれからお出かけですの格好。
知人かどなたかに「庭に咲いていたの、持って行って」と好意を示されて、
これから出かけるからいいわとも断れずいただいたけれど、と勝手に妄想する。
出かけるにはどうにもこうにも厄介な代物。お二人して、困ったなどうしようの感ありあり。
「やっぱりいただきます」と声をかける。
ほっとした様子ありあり。お二人してあちらに歩いて行った。
前かごが小菊の大束でふさがるくらいの原チャリを家に向かって走らせながら、
なんで気持ちよく最初からいただかなかったんだろう。恥ずかしや。
と反省しきり。
帰ったら、シンチャンママがお孫さんと道路で遊びながらお嫁さんが出てくるのを待っていた。
しばらく立ち話して。
お嫁さん一行がお出かけしたから、小菊の大束見せて「いる?」と聞いてみる。
「えっ?いいの?嬉しい!こんなに大束だと花瓶に生けると映えるのよ、ほんとにいいの?」
とすごく喜んでくれる。こちらまで嬉しくなるくらいに。
ああ、そうよね、最初からシンチャンママみたいにするのが気持ちいいよね、とまたもや反省する。
供花の分だけ残して「私、息するものが家の中にあると落ち着かないのよ」と残りを受け取ってもらう。
ま、反省はするけれど後悔はしない、程度の日常の出来事。
私の劣らず父も、いや逆かしら。父に劣らず私も、というべきかしら。
父もパンフレット好きだった。
なんといってもパンフレットは薄くてそれなりに工夫されて。目を引く情報が詰まっているものね。
写真もレイアウトも楽しい。
横浜から帰って来るときにかき集めたパンフレットをこたつの上に出そうものなら。
あれっ?と思う間に父が手に取っている。
どのページを見ているのか熱心に眺めている。
今でもそんな父の姿が浮かんでくる。
昨夜の酒の肴はヒラメの刺身。
これも父が大好きだった。
薄く薄く切ってあって。父はそれを1枚1枚数えて。
「うまく切ってあるもんだなあ」といつも感心していたものだ。
あれま、話が脱線したわ。昨日の続きを紹介します。
街のアート作品その2。
おじさまがいてアート
室内編
これは私が勝手にアートと決めつけている
仮想の庭園
子どもたちは時を駆け抜ける
銀行のATMコーナーに
以前にも紹介した奈良美智さん作品
World is Yours
奈良さんがいるなら村上隆さんも
DOBくん、こんにちわ
おおむね気に入ったが、そうでもないのは割愛。
気になっているけれど探しきれなかった作品はまたいつかの機会に、ね。
無類の、といっていいと思う。
パンフレット好きである。
旅行に行ったり駅に行ったりお店に寄ったりすると、どうしても手に取ってしまう。
その内のひとつふたつ持ち帰ったりして。
そりゃあ、「止せ!」という声は聞こえる。どうせどこに仕舞ったか分からなくなるんでしょ、との諌める声も聞こえる。
でもね、だめなのよ、それを超えて見たくなるのよ。
だから、ぱらぱら捲って持ち帰る。
京急の広報誌まちマガジン『なぎさ』
高齢者講習を受けた自動車学校に平積み。おおおー大ヒット。
「特集 上大岡パブリックアートの挑戦」ですって。
週に2回はスーパー通いするお馴染みの街。
そこで目にしているあれこれがアートだったのね。分かればいっそう楽しい。
「ゆめおおおか」オブジェ Bloom
とっても目立ちます
そして駅西口を出て左に Good Luck
この二つの作品は否が応でも目につくから知っていたのよ。
広報誌には18作品掲載
かくなるうえはそれを見て探しましょ と閑を逆手にとって
JIZO001
こんなかわいいお地蔵さんがいたなんて はい探しました 見つけたときはちょっとうれしかったです
屋上には
柱に何やら文字が パッシング・モーメンツ
Traveler
日常の中にさりげなくアートがあったなんて、ね。気が付いてもうけもの。
夏、実家に帰ったとき。
いつも家の前を行き来しているヤマグチサンの姿が見えなくてどうしたのかと思っていたら。
彼岸に帰ったとき「帰って来てたの」と顔を見せてくれた。
なにかあった?なかなか姿を見なかったけど、と聞くと。
「そうなのよ、夏休みに孫を連れて新潟に行ったのよ、孫がバスに乗りたいというからさ」
そうね、ここら辺の子供は路線バスに乗る機会がほとんどない、自家用車移動だものね。
そのとき後部座席に座っている孫に、途中で降りるから前の先に座ろうと説得しに行ってさて戻ろうと
脚を後ろにひょいと下げたら、
「あんた、バスの後ろって段があるねかや、それを知らんと足を踏み外して仰向けにころんでしもてさ。
背中をいやというほどにぶってしまったのよ」と。
運転手さんが心配してくれたけれどその場は何ともなくて、佐渡に帰ってから受診したけれど異常がなくて。
「でも背中が痛くて痛くて、寝てても寝返りも打てなかったわ、そのうち肩やらあちこちが痛くなってスーパーのかごも
持てなかったから買い物もなかなか行かれんかったのよ」って。
約2か月たってやっと痛みが引いてきてふつうの日常生活が送れるようになったそうな。
骨折したとかじゃないから痛みが他の人には見えなくて大変だったのよって。ほんとにそうだ。
転んで打ち身かと思っていたらなかなか痛みが引かず、詳しい検査の結果「腱板断裂」だったなんて恐ろしい。
手術しても治りがけにちょっと手仕事したら、またもや痛みが走って再手術の可能性あり、なんてさらに恐ろしい。
またもや不自由な日常生活を送らなきゃあいけないなんて。しなくていいことを祈るしかない。友人の話。
マサチャンママの知人の話。
所用のためホテルに泊まったそうな。
廊下か出入口かのどこかの扉が非常に重くてせいいっぱい押したら、ようよう開いたけれど。
「ぷちっ」と何かの切れる音がしたそう。それと同時に猛烈な痛みが肩に。
それこそ腕を上げるもおくもできない、なにもできないくらいだったという、もちろん寝ることもできないくらいだったって。
所用を済ませて何をさておいてもと受診したらやはり「腱板断裂」の診断。手術。
何も転んだから骨折、だけではないのね。
いずれも70代前半の人の例。
ああもうすぐ突入だからいっそう気を付けなきゃあ、と気を引き締める。
駅前の植え込みの中に咲いていた*オシロイバナを撮っていたら、背中から声が。
「きれいなのがありましたか?」
振り向くとなかなかの紳士。
「同年代と見ましたが・・・」と続ける。はい、その通りです。
子どもの頃、種をつぶして、と歩きながらの会話。
年金世代ですか?ってもちろん。
「じゃあ」と手を挙げてさっとビルの中に。
そのとき撮った白に一筋ピンクが混じった*オシロイバナはボケていてお見せできません。
手が震えたのかしら。
どこか懐かしいオシロイバナです。
それにしても夏のイメージがあるのに今頃まで咲いているなんて不思議。
いずれも道ばたに咲いている*オシロイバナ
引っこ抜かれないのが嬉しくもありがたい。
いちばんよく見かける色
黄色は模様が入るのがおもしろい
楚々としていじらしい
いちばんのお気に入り
長く長く咲いていた*オシロイバナもそろそろ終わりが近づいている。
ドラマ『夏目漱石の妻』が終わった。最終話 「たたかう夫婦」
大げさに言えば息を殺して見入った、それくらい面白かった。
いやあ、私が鏡子夫人だったらやってられない。即刻家出してしまう。そんなご夫婦の像。
漱石夫妻がたたかっているなら、その夫婦を演じていた尾野真千子さん長谷川博己長谷川さんも役者同士たたかっていて。
ドラマがより厚みを増していた。
全4話観終わった後、がぜん漱石周辺人たちのことが知りたくなった。興味津々野次馬根性丸出し。
まず最初に読んだのが、夫妻の長男の純一さんの長男、夫妻にとっては孫夏目房之介さんのエッセイ集。
『漱石の孫』
NHKのテレビ番組「漱石の孫、ロンドンに行く」という企画に便乗して、ロンドンの漱石が下宿していた部屋を訪ねる。
漱石と号した僕の祖父が、ちょうど百年前に、ロンドンのこの部屋で文学を相手に苦闘した。
その元下宿部屋に、今僕はいる。
けれど、僕は漱石に会ったこともない。長男だった父・純一が9歳のとき、漱石は他界している。
思いのほか小さなその部屋に入ると、突然不思議な感情がわきあがった。
その不思議な感情を解き明かそうと多方面から迫っていく。期待に反して漱石の人となりのことはほぼ出てこない。あとがきに
『漱石の孫』という本なのだから、漱石という文豪の存在によって被った迷惑や肉親の話だけをつなげて書いても書けそうなものだ。
が、途中でマンガ論の解説が入り、やや歴史背景の話しに深入りし、心理分析の真似事までしている。
もっとシンプルに、ただ文豪漱石と僕について書けなかったものか。
とある。読み手としては「そのとおり」と言わざるを得ない。うーん野次馬根性を満たすには他の本がなものかと。
次に手に取った本がこれ。
漱石の妻鏡子さんが晩年、孫の半藤末利子さんに
「いろんな男の人を見てきたけど、あたしゃお父様(漱石)が一番いいねぇ」
と目を細めておっしゃったという末利子さん自身の一文を読み、このドラマはそれを書けば良いのだと思いました。
というドラマの脚本家池端俊策さんの一文に惹かれて。
半藤末利子さん『漱石の長襦袢』
私の母(筆子)は、鏡子が度外れて豪胆であったからあの漱石と暮らしていけたのだ、と
「お祖母ちゃまが普通の女の人だったらそうそうと逃げ出すか、気が変になるか、自らの命を絶っていたことでしょうよ」
といつも鏡子を庇っていた。
ああやはり。ドラマ観て思ったことはその通りなんだと。漱石夫妻の長女の感慨は重い。
初めてご夫婦(夫は半藤一利さん)でエステに行ったときのことを、
なんで毎朝顔を洗うか洗わないかの夫の方が美肌なのか。
生まれつき面の皮の熱い男には適わないということかしら。なんて書くくらい歯に衣着せず、ときに辛口毒舌末利子さん。
漱石のお弟子さんに対してもなかなか辛辣な批評。
そして祖母鏡子さんのことも身内といえど客観的な目で、でもそこはそれ身内だからこその愛あふれる感情も率直に。
手の込んだ料理は表に食べにいくか、表から取るというのが鏡子流である。
「今晩のすき焼きは美味しかった」と漱石がほめようものなら毎晩でもすき焼きを出し続ける奥さんである。
こんなおばあ様だから美味しいものが大好きなおじい様もさぞや閉口したのではないか、と。
母筆子は「私はああはなりたくない」いう思いが知らぬ目に植え付けられていったようである、なかなか冷静な目で見ている。
「修善寺の大患」と言われている漱石大喀血のときの様子を一部始終見ていたお部屋係さんの話が伝わっていて、
その老舗旅館の大女将は
「修善寺では鏡子奥様は素晴らしい御立派な女性と語り継がれておりまして悪口を言うものは
一人もおりません。なぜ悪妻と呼ばれていらっしゃるのか私どもにはわかりません」
と末利子さんに話してくれて、面映ゆくもあったが私は心持よかったとの感想を述べている。
漱石も「お前には本当に世話になった」と回復後心から深謝した。とあるから、漱石だってまんざらなじゃないのね。(えらそうか)
巻末に母筆子さんの『夏目漱石の「猫」の娘』(松岡筆子)が掲載されている。
私の中に蘇る父の記憶は、愛情と重なって投影されることは少ないのです。
妹たちとは別の、何か近寄りがたい、恐ろしい父の像なのです。
そうした想い出が、骨がらみとなって、一生離れずじまいとなったとでも申しましょうか
とにかくこれはこの上ない不幸、いいえ不孝なことでございます。
修善寺の大患以降、漱石は穏やかで優しくなったという。
弟たちと相撲をとっていて 漱石は不利になると助けを呼ぶ、妹たち二人は駆け付ける、4対1の大ずもう。
それはそれは滑稽な姿になるのが再々だそうだが。
それでも。
筆子さんと恒子さんの二人だけは、只笑って見物しているだけで、決してこの取っ組み合いにまざる気にはならなかったと。
いかに幼少時、父である漱石に理不尽で暴力的な扱いを受けたことかが想像できて痛ましい。
それでもやはり親子、最後にこう結んでいる。
父にもっと生きていて欲しかった、そして生きている間に、父との距離を、もっと狭めたかったという想いは、
年を重ねるたびに、強くなっていくようでございます。
1966(昭和41年)3月
こうなったら、後は鏡子夫人の著作を読まねば、と意気込んでいる次第。
文化の日、晴れの特異日(得意日、と思ったことは内緒)。その通りの空。
今にも雨が落ちそうな曇天寒空の昨日、散々迷ったけれど意を決して園芸店へ。
よかったあ行ってきて。欲しかった苗があったのとこの天気。
土いじり、やろうという気が起きるじゃないの。
ま、それはさておき。
まだ残っていた舞岡公園の秋の紹介が済んでなかったわ、君たち、すまぬ。
*ガマズミ
*マユミ 赤い実がちょっと覗いている
*オケラ
*ノコンギク
*コムラサキ
*フジカンゾウ
*センボンヤリ
木々の実は目立つような色を付け、花はひっそりと存在を主張しているのね。
9時予約だからいのいちばんでクリニックのドア前に並ぶ。
いいの、長くても待ち時間が分かっていて並ぶのは。
そう、ドクターに呼ばれるのもいちばん。
夕方にはこの通りの空
「どうですか?」って。
おおむね元気ですけど、疲れてだるくて朝がいちばんひどいです、と訴える。
ドクター、パソコンに向かってそっくりそのまま復唱して打ち込む。
「寒くなったからね、台風が来なくなったのはいいけどいきなり初冬だもの。もう少し秋を楽しみたいよね」
と私と同じようなことをおっしゃる。
疲れてだるいの訴えの返答なし。いっか。
「粉瘤はどう?」と先回の訴えを取り上げられて。
えっ?、ああ忘れてました。もう気にしていません。
同じように復唱して打ち込む。「もう気にしていません」
どれどれと。
首に触って脈を診て瞼ひっくり返して。うん、大丈夫、いいですよって。
その間に私、用意してきた3つの質問をする。特段持病と関係ないそう。
次に先回の血液検査の結果を見て。
「おーいいじゃないの。この前気にしていたクレアチニンの結果もよくなっているよ。コレステロールも大丈夫。
これが肝臓の結果ね、何の問題もない」と太鼓判押してくれる。
あらあ、せんせい。じゃあ毎日晩酌やっててもいいんですね、安心したわ。
「どのくらい飲むの?」
ビール360ミリリットル缶とワイン一杯です。もうこれがないと生きていけない、です。
ドクター、例によってそっくりそのまま「これがないと生きていけない」と復唱してパソコンに打ち込む。
打ち込みながら『小説のタイトル』になりそうだね。って。
ビール1缶ワイン1杯、かっこ、これがないと生きていけない。ビール1缶ワイン1杯(これがないと生きていけない)
小説書いたらどう?って。まさか。
休肝日を作りなさい、なんて野暮なことはおっしゃらない。
ちょうどいい量じゃないの、とおおいに推奨してくれる。
もちろん。
「せんせい、またお会いするの、楽しみにしています」
とにっこり笑って診察室を後にしました。はい。
そんなわけで、ブログタイトルはドクターの発案、いただきました。
11月です。
息子の誕生日です。奴はいったいいくつになったのか、とまことに薄情な夫婦でして、ほんと。
4月以来、音沙汰ない。ま、便りがないのはよい便りと考えることに。
冷たい雨です、半年に1回の通院に電車に乗って行かねばなりません。
素敵なドクターに会いに朝もはよから出かけます。
一昨日の*ヒヨドリジョウゴの実のブログ、自棄にさっぱりしていて具合が悪いのかと思った、と言われました。
いやいや、あまりに美しく撮れて自画自賛の言葉を並べ立てようと思ったのだけれど、悪いからぐっと我慢しました。
おしゃべりが無口になるとそういうことなのね。
アザミに止まって一心不乱の彼女が「私を探してください」と言っています。
よろしくお願いします。○○を探せ!
見つかりましたかしら。
では行ってきます。