気ままに

大船での気ままな生活日誌

新潟歴史散歩(9)もうひとつの豪農の館

2011-07-08 08:55:51 | Weblog

前回、新発田郊外の豪農の館を紹介したが、今日は新潟市郊外の、もうひとつの豪農の館を紹介したい。新潟って、そんなに豪農が多いの?いい質問ですね、その通りです(池上彰さんの口調で)。全国で9戸あった千町歩地主のうち5戸が新潟県なのです。伊藤家は1370町歩を保有し、弥彦神社まで他人の土地を歩かないで行けたそうです。その伊藤邸が、現在”北方文化博物館”として公開されている。えっ?何故、博物館なの?それもまた、いい質問ですね。実は戦後、GHQがやってきて、改造して集合住宅にしようという話しがありました。ところが、当主とその米軍人がペンシルベニア大学の同窓生とわかってからは、態度が一変、博物館として残そうということになったんです。どこでも、世の中、コネですね。北方文化という名前の由来もお話ししていると、長くなりますので省きます。池上は他に講演もありますし、締めきり原稿が溜まっているので、ここで失礼いたします。

新潟のバスセンターから、40分乗り、阿賀野川沿いの”北方文化博物館”で下りるとすぐ板塀に囲まれた豪農の館がみえてくる。中に入ると、ちょうど現当主(館長)伊藤文吉氏が関係者の案内をされていたので、一緒に説明を聞いた。贅をつくした建物は、おどろき、杉の木、ケヤキの木だった。総けやき造りの大広間、とくに式台と戸は一枚板を使っている。また庇を支える丸桁が30メートル、なななんと一本の杉の幹だそうだ。会津の山林で切り出し、只見川を筏で運んできたとの説明があった。座敷を囲む廊下には、景観のため柱が一本もない、釣欄間工法で、襖をはずし、七つの部屋をつなぐと百畳敷きになる。

50人の使用人がいたので、毎朝1俵(60キロ)のお米を炊いていたという。大きな釜もある。超大徳利や大皿も。六代文吉の婚禮祝膳献立表が展示してあった。三日三晩のメニューが巻き紙に。因みに新婚旅行は人力車で半年間、関西方面(記憶があいまいですが)に出かけたそうだ。珍しい茶室があった。三楽亭という名の正三角形茶室。のぞいてみたが、畳まで三角、これでは落ちつかないと思うのだが。そうそう朱鷺の剥製もありました。当時は剥製にするほど飛んでいたんですね。

集古館では”良寛のこころ”展が開催されていた。その横に、中村 汀女が1981年来館の折りに、集古館をみて詠んだ句の石碑があった。81歳のときである。かどどぞはいまも真白に青嵐

ここには観光客用にお蕎麦屋さんや土産物屋さんがある。おいしい十割蕎麦を頂いた。麒麟山辛口を頼もうとしたが、2時間に一本のバスに乗り遅れそうなので我慢した。

。。。。。
外観

室内



展示物



朱鷺の剥製

婚禮祝膳献立表

三楽亭


集古館

 
良寛さんの書

中村汀女の句碑

バス停

全景

コメント
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