気ままに

大船での気ままな生活日誌

神輿と蓮と稀勢の里

2011-07-24 21:09:00 | Weblog

円覚寺の夏期講習を終え(元巨人軍の柴田勲さんの話しほか)、北鎌倉を巡行している、
八雲神社の神輿を追った。数年前の経験から、今頃、建長寺に到着しているはずだ、と
鎌倉街道を急いで上がった。思った通り、神輿は建長寺の総門前で鎮座していた。
二基の子供神輿も休んでいて、大人の担ぎ手も子供の担ぎ手も日陰で休憩していた。
でも、すぐ出発しそうな気配だった。建長寺の管長さんがお神輿の向こうで見送りのため
待機していたのだ。

そして、五分もたたないうちに、リーダーが声を上げ、神輿は差し上げられた。
いよいよ出発だ。これから、巨袋呂切り通し前の円応寺まで巡行して、それからバックして
浄智寺、東慶寺でご住職の拝礼を受け、北鎌倉駅で大揺らして、さらに進み、山崎の
八雲神社の神輿とランデブーする、行合祭がある。その一部始終を3年前の夏のブログで
報告している。だから、今回は円応寺でおさらばして、巨袋呂の隧道をくぐり、
八幡さまに向った。

二年目の八幡さまの大銀杏は相変わらず、新芽を出していなかったが、源平池の蓮は、
見事な花を咲かせていた。今夏一番の蓮の花だった。

相撲では稀勢の里が大熱戦で、優勝力士、日馬富士を破り、二桁勝利を決めた。
今場所一番のうれしい相撲だった。

とても晩酌のおいしい日であった。

 

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語り部 平野啓子さん

2011-07-24 07:30:43 | Weblog

今日も(23日)、円覚寺の夏期講座に出かけた。お目当ては、NHKの元キャスターで、現在”語り部”の平野啓子さんの講演。トークだけではなく、実際、芥川龍之介の”蜘蛛の糸”の語りまで演じてくれた。おまけに、大学時代、元ミス東京に選ばれたという美女。空色の和服を着て登場。ぼくの目の前を通って、舞台へ。おおっ!と思わず、心の中で叫ぶ(汗)。少しふくよかになっていたが、”おはよう日本”に出ていたころの美貌はかわりない。

ぼくは、”語り”と”朗読”の区別を知らなかった。朗読がいいもんだなと思ったのは、数年前、横浜山手の文学館で、久米明さんの朗読で、井上靖作の「敦煌」を聞いたときである。ただの読書とは違った味合いが印象に残っている。

平野さんはまず、この区別から説明してくれた。朗読は実際、本を目の前において朗読するが、語りは、文章をすべて暗記しておき、それを自分なりの解釈で表現する、という違いだそうだ。それに朗読はとくに舞台装置を必要としないが、語りは照明や音響を入れ、さらに簡単な舞台装置も用意するという。実際、蜘蛛の糸で、両方を演じてくれた。今回はとくに舞台装置はつくっていないが、お寺の方丈内ということで、それだけで十分だという。まして天国と地獄の物語である(笑)。たしかに違う。語りは感情移入があり、声が大きくなったり、小さくなったり、怒ったり、寂しげだったりする声。そして間も長くとる場合がある。なるほどと思った。一人芝居に近いかなと思った。平野さんは語りを総合芸術だ、という。たしかに奥の深い芸術だ。

歴史的な話しも伺った。古事記も、もとは語り部に伝えられた伝承を書きとめたものだし、羽衣伝説から竹取物語ができた。そして各地に伝わる民話も語り部による伝承が元だった。

小泉八雲が紀州の民話をもとに書いたという”稲むらの火(いなむらのひ)”の語りに、今、力を入れているという。安政元年(1854年)の南海地震津波に際して紀伊国 広村で起きた故事をもとにした物語。実際、語りを演じてくれた。大津波がくることを予感した高台の男。”これはただごとではない・・・”と海辺に集まっている村人に知らせるために自宅の稲わらに火をつける・・・

 機会があったら、舞台での平野さんの語りを聞いて(見て)みたいものだ。

 

 

 

 

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