気ままに

大船での気ままな生活日誌

東北桜旅(5)藤田嗣治の巨大壁画”秋田の行事”

2015-04-26 09:05:09 | Weblog

一昨年、秋田に来たときには、千秋公園の桜はもう終わっていて、仕方がなく、公園内にある平野政吉美術館(県立美術館)の”藤田嗣治の祈り/平野政吉の夢展”に入った。そして、そこで、藤田の大壁画、”秋田の行事”に出会って、度肝を抜かれた。あまりの巨大さにびっくり。3.7mx20.5mもあるのだ。当時はあまり知られていなかったが、一般的になったのは、その半年後(2013年9月)、小百合ちゃんの大人の休日倶楽部のポスターに採用されてから。ぼくはそれを、東京五輪招致が決まった9月7日に東京駅構内で初見している。その後、各駅で観察し、そのたびにブログ記事にして、広報に務めた(爆)。まず、その記念すべき、東京駅でのポスターの写真を。

これで、その巨大さがお分かりになったと思う。さらに今度の旅行で、小百合ちゃんが、この撮影に来たとき、ぼくらが泊まったホテルメトロポリタンに宿泊したことが分かったノダ。JRのポスターだからJR系のホテルに招待したのでしょう。もしかして、小百合さんと同じ部屋だったかも(汗)。その証拠。でも、サインした桜の写真は角館の桧内川堤では?

さて、その大壁画は、一昨年はこの建物に展示されていた。今は閉まっている。平野政吉美術館。美術館の前に藤田嗣治の胸像があったはずと、みにいったが、庭にも入れないようになっていた。

そしてお濠を挟んで、こちら側に出来た、秋田県立美術館に、巨大壁画は引っ越しをしていた。モダンな建築。安藤忠雄設計です!

エントランスホール。前美術館の三角形屋根に呼応するように、三角形をモチーフとしたデザインとのこと

さて、その大壁画は新美術館の2階に大部屋の壁一面に展示してあった。壁画の左下に、昭和13年/自2月21日至3月7日/174時間完成という自筆の書き込みがあった。制作依頼主である平野政吉の米蔵で描いたもので、僅か15日間で仕上げたというのだから驚く。しかし、この絵は直ちには公表されず、昭和42年まで、約30年間も米蔵で眠っていたそうだ。その米蔵での制作中の写真と、米蔵から搬出するときの写真が片側の壁に展示されている。米蔵は一部、壊して、ようやく搬出したようだ。

この絵の説明は、前回、訪問したときにブログ記事に残ししているので、今回は省略したい。大壁画のうしろの壁には、藤田の”眠れる女”、”自画像”などの作品が数点、展示されている。

眠れる女

再び、藤田の”秋田の行事”に会え、うれしかった。はじめての家内は喜んだのは言うまでもない。

三階では、藤田嗣治の旅/中南米からアジアへ展が行われていた。これもまた、藤田のスケッチやコレクション等、面白くみさせてもらった。

この建物では、この前、日本橋三越で観たばかりの”春の院展”が、ぼくを出迎えるかのように巡回してきていた。帰る時間が迫っていたのでここは失礼した。

そして、ぼくらは、つがる5号に乗って、桜旅のハイライト、弘前へ向かったのだった。


 

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東北桜旅(4)秋田・千秋公園

2015-04-26 08:56:14 | Weblog

おはようございます。早速、東北桜旅の連載(笑)に入ろうと思います。角館を発車したこまち21号は大曲に着いたあと、本当に大きく曲がり、座席はそのままで、バックするようにして、そのまま終着駅、秋田に向かいます。何故、そうなのか、ブラタモリで検証してほしいものです(笑)。ついでながら、昨日の金沢編、面白かったですね。また、金沢に行きたくなってしまった(汗)。来るとき、同じホームで、北陸新幹線のかがやきをみてしまったし。

さて、秋田に着いても、日はまだ沈んでいない。家内を駅のホテルに置いて、一人で、千秋公園に出掛けた。桜の様子が心配だったのだ。来る前の予想では”散り始め”だったので、もう一気に散っている可能性がある。それでは一昨年と同じで、葉桜見物になってしまう、何とか魅せてほしいと、祈るような気持ちで(おおげさ)、城跡の公園に向かう。5分も歩けば、大手門のお濠前に着き、そこを右に昇っていけば、もうそそこは公園入口。さて、どうだったか。

4月22日夕暮れの千秋公園

大手門をくぐると大きな広場があり、それを囲むように、桜の木がある。大丈夫でした!散り始めとはいっても、十分、お花見ができる。実際、地元の人々が夜桜お花見の準備をしていたし、露店もぐるりと広場を囲んでいた。

千秋公園の広場

池の周りの桜もOK!

えっ!小便少女!と喜んだら、少女と鴨だった(爆)。ブリュッセルには小便小僧だけではなく、ほんとに小便少女もいるんですよ。興味のある方は、ここをご覧ください。

広場より奥には行かず、残りは明日の楽しみとした。帰りに、大手門の壕で秋田の夕陽を、生まれてはじめてみることができた。

そして、翌朝、幸運にも、ホテルの窓から、生まれて始めての秋田の朝日も観ることができた。

朝日

ホテルの部屋に入っていた新聞は朝日ではなく、秋田魁新報。角館の桜、満開の大見出し。ぼくらが前日、最高の桜を観たという証拠デアル。えへん、えへん。


4月23日(水)晴れ 千秋公園

そして、こんど家内と一緒に千秋公園へ。ここは1602年から1869年(明治2年)のまで、12代、267年間つづいた秋田藩20万石佐竹氏の居城、久保田城跡。家康に警戒され、常陸から国替えとなった初代秋田藩主佐竹義宣が、慶長8年に築城、石垣や天守閣を持たない平城だった。国替えのときに美女をすべて秋田に連れてきたので、秋田美人が多く、反面、茨城県には美女はいなくなったという俗説がある(爆)。たしかに、秋田には美人が多い。角館で女子中学生の集団に出会ったが、みんな美少女だったのには驚いた。


大手門から千秋公園へ入り、広場の朝の桜を観る。青空のもと、秋田の桜をみる。

坂道を登り、久保田城御隅櫓へ。

櫓内は資料室になっている。歴代城主の業績とか、場内の模型など。屋上にあがると、公園全景がみえる。遠くに山々も。

櫓からの桜景色

降りて、桜並木を歩く。一昨年は、ここの並木も葉桜だった。

初代藩主佐竹義宣像

千秋公園の桜見物を終え、次は秋田県立美術館で藤田嗣次の巨大壁画と展覧会を観る。それは次回に。

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