気ままに

大船での気ままな生活日誌

ちょっといい話

2011-07-23 06:18:02 | Weblog

もう円覚寺の夏期講座の季節になった。
今日は、柔道の山下泰裕さんの話しがあるというので、聞きに行った。
会場の方丈に入るときに、車から降りる山下さんを見た。
テレビではよくみていたが、こんなに大きな人とは思わなかった。
子供の頃から、図抜けて体格がよかったことが、講演の始めに写し出された
小学校の集合写真でわかった。

そして、次にスクリーンに映し出された表彰状。
ぼくはいろいろの表彰を受けましたが、この表彰状を何よりも大事にしています。
ロス五輪で金メタルをとったときに小学校の同級生がおくってくれたものです。
”あなたは比類まれな大きな身体で、同級生に暴力をふるい、
多大な迷惑をかけてきました。しかし今回の金メダルで、小学校時代のすべての
悪事をここに清算したいと思います。今後のますますの発展を祈念します”(爆) 

実際、自分はいじめっこで、それが原因で登校拒否する子も出たそうだ(笑)。
両親がこのままではこの子の将来が心配だと、小学校4年から柔道を習わせ始めた。

ルールさえ守れば、どんなに暴れても構わない、こんな面白い競技はない、と思った。
でも、柔道の先生から人は強いだけではだめだ、やさしさを備えなければ、
本当に強い人とはいえない、と教えられた。
この熊本での少年時代の経験が今の自分を支えている。
だから、この表彰状はどんな顕彰よりもうれしかった。

現在、神奈川県体育協会の会長をつとめているが、力をいれているのが、
スポーツを通じていじめを撲滅する運動だそうである。(爆)

......

会場の方丈とその庭園。


 

 

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海蔵寺 桔梗とノウゼンカズラ

2011-07-22 21:20:47 | Weblog

まるで、もう秋がきたのかと思うような、涼しい一日だった。
海蔵寺まで歩いてみた。

桔梗とノウゼンカズラも一息ついていた。



 もみじは、もう秋がきたかと思い、紅くなっていた(笑)

網タイツ美脚の松子さんは、うれしくて逆立ちをしていた(爆)。

でも、すぐ真夏に戻るらしい。本当の秋は萩が咲くまでこないだろう。

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祇園祭(3)神幸祭の神輿渡御

2011-07-22 17:07:22 | Weblog

祇園祭は八坂神社のお祭りだから、宵山とか山鉾巡行より、神社のお神輿が練り歩く神幸祭が、むしろ一番のお祭り日なのだ。なのに、ぼくはまだ一度もみたことがない。たいてい、山鉾巡行が終わると、さっさっと京都を離れてしまっていた。今年は是非にと、念願の神幸祭のお神輿渡御を見学したのだった。

前夜に舞殿に奉安されている三基の神輿と子供神輿をみた。輝くばかりのうつくしさだった。三基の神輿は、それぞれ、中御座(六角形/スサノヲノミコト)、東御座(四角形/クシイナダヒメノミコト;スサノヲの奥さん)、西御座(八角形/ヤハシラノミコガミ;夫妻の子供)である。何角形であるかで、容易に神輿の判別ができる。

(前夜の舞殿内のそれぞれの神輿)

まず、本殿前の舞殿の前で見学した。
舞殿から神輿が一基ずつ下ろされ、舞殿をひと回りあるいはふた回りしてから、それぞれの場所で、いったん留まり、鳳凰などの装飾品をつけたり、神輿の長い担ぎ棒を補充したりして、これから始まる市内巡行の準備をする。

そして、いよいよ出発だ。準備体操のように、神輿を揺らしたりしながら、神社の南門から出ていく。祇園側の門だが、ここが本来の”正門”だそうである。そして、そこから、ぼくが”正門”と思っていた、四条通りの”西門”の前に三基集合する。それらの様子を、神社の本殿の裏を回った高台のところから見物する。西門前は、みな早くから陣取っていてとても、近くづけないからだ。おえらいさんの少し長い挨拶がつづく。

そして、いよいよ市内巡行の始まりだ。三基の神輿が、立ちあがる。そして神輿を頭上に差し上げる。そして、”まわせ”の合図で差し回しが繰り返される。大歓声。そして、市内巡行に向った。お神輿は深夜に御旅所に到着し、24日の還幸祭までそこに鎮座しているそうだ。日帰りでみてくるかな(汗)。

。。。。。

舞殿から下りてくる神輿

舞殿前で飾りつけをする

南門に向う

西門前に三基揃う

差し上げ

差し回し

 先導役の神職が乗った馬がゆく

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祇園祭(2)山鉾巡行に20万人

2011-07-21 10:14:15 | Weblog

翌日の山鉾巡行も、暑い暑い、郷ひろみのような日だった、アッチッアッチッ(滝汗)。市役所前の観覧席の一番前。巡行見物にはよかったのだけれど、日陰がゼロ、太陽光発電でじりじりじり、ゆでダコのよう。でも風力発電もあって、蛸もひといき。でも一時間もたつと、限界に達し、席がつぎつぎと開いていく。うしろの木陰でみる方がいいのだ。ぼくらも後半はそこで観た。

まず、”くじとらず”で毎年先頭を行く、長刀鉾。この鉾だけには生稚児(いきちご)が乗っている。稚児さんに選ばれることは大変名誉なことで、京都では一生の自慢になるらしい。でも、うちにも声がかかったんだけど、お断りしたの、と得意そうにしゃべっているご婦人をみかけた。お断りしたというのも、きっと一生の自慢なんだろう(爆)。生稚児さんの写真、ばっちり撮れました。

そして霰天神山がきて、孟宗山がきて、ぼくの前で止まった。あとにつづく山鉾が遅れているようだ。孟宗山の胴懸は、故平山郁夫画伯のシルクロードの絵であることがすぐわかった。むこうもぼくのことをすぐわかって止まってくれたのだろう。だって、ぼくは画伯が亡くなられてから、いくつもの展覧会をみたし、翌日も、薬師寺の大唐西域壁画をまた見にいく予定にしているのだ。10分ほど”砂漠らくだ行(月)”をみさせてもらった。反対側は”砂漠らくだ行(日)”であることがパンフに書かれていた。

動き始め、芦刈山、函谷鉾、油天神山、四条傘鉾とつづく。そして、宵山でみた保昌山が。紫式部にあの方は文才はあるのだけど、素行が感心しないと言われた和泉式部にぞっこんの平井保昌が紅梅をもつ姿が、千年後まで伝えられている。草葉の陰でどういう顔をしているか(爆)。前懸けと胴懸けは円山応挙の下絵から。

 そして、月鉾。鉾頭に新月(実際は三日月)をつける、ぼくも好きな鉾。去年はここのチマキを買った。(今年は山伏山、3年前はかまきり鉾、はじめのは確か、長刀鉾だった。)月鉾の中に入るとすごい。左甚五郎作の蟇又の彫刻、屋根裏の金地彩色草花図は円山応挙の筆、胴懸け、前懸け、後懸けも豪華なインドやトルコの絨毯。美術館が山車に変身したようなもの。

 

そして、いくつもの山や鉾(不案内の人のためにちょっとだけ説明、鉾は矛先がついている大きい山車。角を曲がるにも大変で、徐々に向きを変える。その辻回しもみどころです。山は小型で鉾の代わりに松を飾っています。でも鉾をつけてる山がひとつあります。また松の代わりに杉をつけているひねくれものもいます;爆)が通り過ぎていって、ワイフがチマキを買った山伏山がやってきた。宵山でみた山伏のご神体が得意げに都大路を見まわしていた。法力で八坂の塔だけでなく、すっかり曲がってしまった日本、まっすぐにしてください。

そして、待ってました海老蔵、じゃなくて蟷螂山。かまきり山だ。からくりでカマキリが動くのが面白い。去年は途中で動かなくなって、直してもらっていたが、今年は、怪我も直り、海老蔵の鏡獅子みたいに、美女と野獣を演じ分け、見事なものだった。それに蟷螂山をつくった子孫の方が小田原で名店”ういろう”をやっていて訪ねたことがあるので親しみがあるのだ。

以前のブログからコピーして・・蟷螂山は、14世紀後半の南北朝時代に、薬や菓子で有名な”ういろう”を始めた外郎(ういろう)氏がつくったのだそうです。外郎家はその後、小田原に移り、現在も家が存続しています。地元の新聞でみたのですが、宵山で、小田原市の関係者40人が集まり、歌舞伎の口上で有名な早口言葉”外郎売の口上”が披露されたようです・・今年も小田原から関係者が来られたとニュースで聞いた。

 

数年前、600年振りに再会させてあげた(汗)。ういろう家の”ういろう”とチマキ。

蟷螂山

カマキリの名演技 歌舞伎十八番の内”ういろう売り”の早口言葉をうなりながら(爆)。

翌日の京都新聞に、巡行に20万人。夏の暑さにも負けず、すごい。都大路の熱気、東北へ届け。

 

 

 

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新旧交代 フラワーセンター夏の花

2011-07-21 06:16:57 | Weblog

大相撲も新旧(大関)交代の時代を迎えているが、大船フラワーセンターの夏の花も、あっと言う間に、新旧交代が進んでいた。台風6号の影響により、まだ時折、雨がちらつく中、フラワーセンターに出掛けた。さすがに、台風の中、のんきにお花見に来る人はほとんどいなかった(汗)。午後2時頃、園内の客は、ぼくだけだったと言っていい(大汗)。職員の人が植物の手入れをしているだけだった。でも、前向きに考えれば(笑)、こんな、ほとんど貸し切り状態(それも一人で)広大な植物園を散策できるのは、めったにないことに違いない。ありがとう台風6号。

そして、まだ10日ほどしかたっていないのに、夏の種々の花の世代交代が始まっていた。あるのものは消え去り、あるいは衰えていた(たとえばアガパンサスや紅筋山百合)。その代わり、蓮の花も全盛期になっていたし、山百合はじめ鹿の子百合、鬼百合が勢いをつけ、ムクゲや向日葵も咲き始めていた。タマアジサイの玉のような蕾がいっぱいついたし、ひねまる子ちゃん(しだれえんじゅ)の蕾にも初花がつきはじめていた。ひょうたんも、もう一人前の姿をしていた。そうそう秋の七草、女郎花さえ、花魁草と一緒に花開いていた。

こうして、ぼくらが暑い暑い、と時を忘れて、騒いでいるうちに、自然は何事もないように、着実に時をすすめているのだ。

......


山百合

鬼百合

タマアジサイ

むくげ 夏のソナタ (韓国の国花なので)

向日葵

ひょうたん

ひねまる子ちゃん(枝垂れえんじゅ)

女郎花と花魁草(白い花) お色気コンビ

せんのう: なでしこ科。なでしこジャパンにお祝い。ぼくの好きな花。オレンジ色の濃淡、2種類あることに気をつけて。

今はもう夏 誰もいない植物園  貸切状態
 

 

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新旧交代 魁皇と琴奨菊

2011-07-20 18:46:19 | Weblog

魁皇が大相撲名古屋場所の10日目に引退を決意し、今日、正式に引退届を出した。日本人大関がなくなると協会が危機感を感じた、その日、ななななんと琴奨菊が八連覇を狙う、無敵の白鵬を寄り切りで破った。これで、琴奨菊はあと2敗しても、大関昇進は間違いない。まるで魁皇の引退と琴奨菊の大関昇進がセットで仕組まれた脚本のようだ。よく、負けてくれた白鵬。よく引退してくれた魁皇。あとあと語りつがれるだろう。こういうのを人情相撲というのだ。あほんだら〇〇新聞記者ども。〇〇漫画家。また騒ぐではないぞえ(爆)。明日の新聞記事が楽しみだ(汗)。

本当は琴奨菊でなくて、稀勢の里であれば、最高の筋書だったのに、少し、残念。でも、久しぶりの日本人大関の誕生がほぼ確実になり、とてもうれしい。次は、稀勢の里。そのためにも、今場所、あと全部勝って、二桁勝利、願います。

ご苦労さま、魁皇関。名横綱千代富士の記録を抜く、最多勝利数は永遠に不滅です。
琴奨菊関、(まだ早いけど)おめでとうございます。大関になったら、稀勢の里の大関昇進にかかわる一番のときは人情相撲よろしくお願いします。

。。。。。

ご苦労さま、魁皇関

よく負けてくれた白鵬関

おめでとうございます。琴奨菊関。

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祇園祭(1) 宵山に45万人 

2011-07-20 09:09:37 | Weblog

台風6号の四国上陸で各地で大雨を降らしていますが、みなさんの地域はどうですか。さて、先日、京都の祇園祭に行ってきましたので、また何回かのシリーズで、写真などを紹介したいと思います。

よく知られているように、祇園祭は7月2日の籤取り式から始まり、31日の夏越祓(疫神社)まで、一か月間、つづく八坂神社のお祭りである。そのハイライトが16日の宵山、17日の山鉾巡行そして神幸祭である。お祭り好きな、ぼくは今回で4度目の参加だ(汗)。いつもは、まだ人出が少ない、宵々山から見始めていたが、今年は宵山から入った。お神輿渡御は、今まで、一度も、みたことがなく、ぼくにとっては、これが今回のハイライトだった。

それでは、まず、宵山見物から。6年振りに土曜日に重なったそうで、また天気も良く(その分、暑かったが)、大変な人出となった(翌朝の新聞で45万人の観客、とあった)。とくに夕方は人を見に行った感じ(汗)。

まだ、かんかん照りの中、ホテルにほど近い、橋弁慶山から見始め、室町通りに出て、山伏山、菊水鉾、鶏鉾、白楽天山を見学し、ちょっとはずれた所にある、東洞院通りの保昌山まで足を延ばした。それぞれの山鉾には、それぞれの、いわれがあるのだけれど、それらを書き始めると、祇園祭シリーズが延々とつづくことになってしまうので、省略する(笑)。でもそれでは、あまりにそっけないので、入場料を払って、屋内見学した山伏山について、少し説明しよう。

ご神体は山伏の格好をしているが、昔、八坂の塔が傾いたときに法力で直したいう浄蔵貴所の大峰入り(吉野山から大峰を経て熊野に入る)の姿を表している。左手に数珠、右手に斧、腰にホラ貝をつけている。巡行前に聖護院の山伏たちの巡拝がある(前回はたまたま出会った)。うつくしい胴懸け、雲竜文様の刺繍前懸、見送りなど装飾品も見学できる。ホラ貝の音色も聞くことができた。

屋内展示に茅の輪もある。くぐってきた。今年は3回もくぐった(神奈川、新潟、京都)、これで酷暑の夏を乗り越えられるだろう。

ついでに、やわらかいエピソード(笑)の保昌山もご紹介します。プレイガールの和泉式部を見そめた丹後守、平井保昌が、式部に私とデートしたいなら、紫宸殿の紅梅を手折ってたもれ、と言われ実行した。紅梅をもつ保昌の姿がご神体だ。山の故事にちなみ、宵山には縁結びのお守りが授与される(笑)。それにかこつけて、隣りのお店で縁結びアロマ入り胡粉ネイルが販売されていた(爆)。

 

そのお店は、昔からの絵の具屋さんだった。たしかに塗る点では同じだわ(爆)。

夕方は、八坂神社のお神楽見物をしたり、翌日の神幸祭の、三基のお神輿をみたりしてから、近くの豆腐料理店で一杯飲んだ。そこから、45万人がひしめく(笑)、歩行者天国の四条通りを、一番人気の長刀鉾がおあします烏丸通りにぶつかる四つ角まで歩いた。その先も歩く予定だったが、結構時間がかかってしまい、止めて、地下鉄で一駅だけ乗り、ホテルに戻った。夜中に暴れ観音を見る予定にしていたが、ホテルで風呂に入ったら、目がとろんとしてしまい、第一日目はここで終了となってしまった。暴れ観音は夢の中でみた(汗)

屏風祭もちらりと。ここは室町通りの市原商店。

菊水鉾の駒形提灯。

夜になると灯りがつく、これは鈴鹿山。鈴鹿権現を祀る。

かがり火、というお店

八坂神社の夕景。浴衣姿が多い。さすが京都。

作品1 宵山雑踏(爆)

作品2 酔い頭山混乱(爆)
 

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なでしこ世界一 祇園祭の京都で観る

2011-07-19 07:34:56 | Weblog

祇園祭のハイライト、昼間の山鉾巡行そして夕方の八坂神社の神幸祭の神輿巡行を終えた、その翌朝、日本中をおどろかせ、またよろこばせた、なでしこジャパンのワールドカップ優勝が決まった。

その日、ぼくらは京都の山鉾町の右端にひっかかる位置にあるホテルに泊っていた。午前4時に起きるとすぐに試合は始まった。米国の攻撃がすさまじく、あわやというシュートがいくつもあった。GK梅堀の好セーブが、なんとか失点を防いでいてくれた。しかし、後半戦、米国に点を入れられ、正直、負けかと思った。それが、追いつき、延長戦へ。そして、また、米国が先制点。ああ、これで駄目だと、思ったら、終了直前、沢のシュート。・・・・やったあああああ。

そしてPK戦。これで勝てると確信した。ぼくの、京都に旅立つ前のブログ日誌でもPK戦で日本の勝ちを予想していたからだ(汗)。はじめのPKが一番大事。米国選手のボールが飛んでくる。海堀が見事、合わせる。はじくーーーー。ボールはネットの外に。ビデオでみると、ななななんと、足ではじいている。すばらしい。このセーブが日本の勝利を呼び込んだ。海の日には、やっぱり海堀だ(爆)。MYPの沢選手は当然だけど、海堀選手にもあげたかった。いや、チーム全員にあげたかった。

そして、見事、W杯世界一。夢のようだ。あとでテレビニュースをみたら、大震災の被災地の人々が、元気をもらったと喜んでいた。いや、日本中が歓喜の渦に。まるで、前日に観た、祇園さんの大神輿渡御を囲む人々のように笑顔がいっぱいの日となった。

ありがとう、なでしこジャパン。

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いざ京都へ

2011-07-16 09:12:54 | Weblog

コンチキチン、狐の鳴き声ではありません。祇園囃子です。京都の祇園祭、去年に引き続き、出掛けます。二泊三日で、今日は宵山と屏風祭、そして夜中の暴れ観音、明日は、山鉾巡行と神幸祭の神輿渡御、明後日は奈良でもという予定です。この間、鱧を肴に伏見の酒をたんまり(汗)。

なでしこジャパンの試合は18日未明、京都で観ることになります。ドイツの占い蛸、7匹中、4匹がなでしこの勝ちと予想しているようですので、大丈夫でしょう。ぼくも予想してみました。

まず元尼寺の東慶寺で。ななななんと、なでしこがたくさん咲いているではないか。間違いない、トーケイ学的にも、100%なでしこジャパンの勝ちです。

でも、桔梗もたくさん。花は星型。星条旗を連想させる。やっぱり米国かな。

おまけに、白い桔梗も。・・・米国白星ということか。

わかんなくなってきた。石の影模様で占おう。上面のネット影が揺れ、米国のキーパーが倒れこんでいる様子がみえます。石の横面には澤穂希選手のヘデングシュウトの形が浮かんでいます。なでしこの勝ちです。

杉の影模様占いではどうでしょうか。なでしこジャパンが優勝して全選手が観客に向って、手を振っている姿がみえます。これもなでしこジャパンの勝ち・・・でもよくみると、もみじ葉の影で星条旗ではないか。米国の勝ち。これまでのところ2対3で、なでしこ不利。

さて、女流作家、田村俊子の墓標の影占いは?今、魂は、第1回田村俊子賞、受賞者の瀬戸内寂聴さんに呼ばれ、京都の祇園祭に行っているので占えないそうです。

で、仕方なく、墓地の道に占ってもらいました。ななななんと、幸せの黄色いハンカチ、じゃない、幸せの日の丸木漏れ日がいっぱい。日本、大勝ちとの予想。

これで、やっと3対3。PK戦ではないか。

PK戦はどちらが勝つのか。我が国の占い蛸に占ってもらった。北斎蛸だ。ななななんと、日の丸を抱えているではないか。これで日本の勝ちです。でも悲観的に考えると、日本ボールがキーパーに捕まえられたようにもみえる。やっぱり米国かな。

結局、五分と五分だ。がんばろう東北、がんばろう日本。ついでにがんばろう神奈川。(今朝の新聞に、なでしこチームに、9人の神奈川ゆかりの選手がいて、県から表彰されたとのこと。得点をあげた川澄選手、丸山選手も。

では、これから京都に行ってきます。もともと祇園祭は疫病の流行の終止を願って始まったお祭り。空前絶後の”大疫病”に苦しむ日本のために、祇園さんにお祈りしてきます。

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待ってました 海老蔵

2011-07-15 09:00:39 | Weblog

海老蔵が新橋演舞場で久しぶりに復帰しているというので、出掛けた。本当は”勧進帳”の演目がある昼の部を観たかったが、最終日まで予約で埋まっていた。それで”夜の部”にしたのだが、これがまた、どの演目もとても良くて満足した。海老蔵は完全に復活していた。

まず、”吉例寿曽我”。これには海老蔵は出ない。役者さんももちろんだけど、舞台装置がすばらしい。第一場は”鶴岡石段の場”。ぼくの散歩道、八幡さまの石段が舞台装置。大銀杏はなかった(笑)。そして、第二場は”大磯曲輪外の場”。石段の舞台装置がだんだんうしろに倒れていき、新しい舞台、富士山と梅林が次第に現れて、90度回転したときに、完成する。”がんどう返し”という方法だそうだ。ぼくの好きな春猿は化粧坂少将の役、相変わらずの美貌だった。大磯の虎は笑三郎。江戸歌舞伎の様式美が楽しめる一幕。動く浮世絵だ。

そして。待ってました、海老蔵。歌舞伎十八番の内”春興鏡獅子”。江戸城大奥の年中行事である”お鏡曳き”に、家老の前で小姓弥生の舞が披露される。その役が海老蔵。前の席だったので表情もよくみえる。踊りのことはわからないが、とてもよくみえた。帰ってから朝日新聞の夕刊に七月大歌舞伎の批評がのっていて、”手足が余って、江戸城大奥の少女にはみえないが(笑)、精一杯体を責めて舞う姿がけなげで、美しさは無類”と激賞していた。そして後半は獅子の精の舞。これがまたすごかった。頭をぐるぐる回し、長い毛を振りまわす場面。これでもかこれでもかと、いつまでも止まない。思わず拍手。大拍手の誘導を三回くらいしてしまった(汗)。評論家氏は”力まかせで、毛の動く形が悪い”と厳しいが、逆にぼくは力まかせで毛の動きが荒々しく出て、とても良いと思った(汗)。海老蔵の”美女と野獣”、見事なものだった。

最後の演目は団十郎、海老蔵、親子共演。大仏次郎作の世話物”江戸の夕映え”。薩長の官軍に幕府が敗れ、江戸が東京になった時代。海老蔵(旗本の小六)は最後まで抵抗し、軍船で函館に向う。一方、団十郎(畑本の大吉)は時代の流れに合わせた生き方をする。海老蔵を慕うお登勢(壱太郎)がうつくしい。市中でいばりちらす新政府の役人。田舎者めがなんだと、ばかにする庶民や誇りを捨てない元武士たち。薩摩出身のひげだるまが、お登勢をよこせと強要する。娘には許嫁がある、と頑としてはねつける父親の元旗本。そして、最終場面、蕎麦屋で酒を飲んでる海老蔵。戦いに敗れ、死にもせず帰ってきた自分を責める。そこへ偶然、団十郎が入ってくる。おれは道楽者だが、清い、純粋な心をもつ者には自然と頭が下がる。お登勢はそういう女だ、おまえの帰るのをひたすら待っていたのだぞ、としぶる海老蔵を諭す。そこへ、小僧の連絡を受け、駆けつけたお登勢。見つめ合うふたり。気をきかせて、外に出る団十郎夫妻。”あら夕焼けが”。その夕映えが蕎麦屋の中にまで入ってきて、幕は降りる。胸の熱くなるラストシーンだ。
朝日新聞より

海老蔵復活おめでとうございます。

 

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