翌日の山鉾巡行も、暑い暑い、郷ひろみのような日だった、アッチッアッチッ(滝汗)。市役所前の観覧席の一番前。巡行見物にはよかったのだけれど、日陰がゼロ、太陽光発電でじりじりじり、ゆでダコのよう。でも風力発電もあって、蛸もひといき。でも一時間もたつと、限界に達し、席がつぎつぎと開いていく。うしろの木陰でみる方がいいのだ。ぼくらも後半はそこで観た。
まず、”くじとらず”で毎年先頭を行く、長刀鉾。この鉾だけには生稚児(いきちご)が乗っている。稚児さんに選ばれることは大変名誉なことで、京都では一生の自慢になるらしい。でも、うちにも声がかかったんだけど、お断りしたの、と得意そうにしゃべっているご婦人をみかけた。お断りしたというのも、きっと一生の自慢なんだろう(爆)。生稚児さんの写真、ばっちり撮れました。
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そして霰天神山がきて、孟宗山がきて、ぼくの前で止まった。あとにつづく山鉾が遅れているようだ。孟宗山の胴懸は、故平山郁夫画伯のシルクロードの絵であることがすぐわかった。むこうもぼくのことをすぐわかって止まってくれたのだろう。だって、ぼくは画伯が亡くなられてから、いくつもの展覧会をみたし、翌日も、薬師寺の大唐西域壁画をまた見にいく予定にしているのだ。10分ほど”砂漠らくだ行(月)”をみさせてもらった。反対側は”砂漠らくだ行(日)”であることがパンフに書かれていた。
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動き始め、芦刈山、函谷鉾、油天神山、四条傘鉾とつづく。そして、宵山でみた保昌山が。紫式部にあの方は文才はあるのだけど、素行が感心しないと言われた和泉式部にぞっこんの平井保昌が紅梅をもつ姿が、千年後まで伝えられている。草葉の陰でどういう顔をしているか(爆)。前懸けと胴懸けは円山応挙の下絵から。
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そして、月鉾。鉾頭に新月(実際は三日月)をつける、ぼくも好きな鉾。去年はここのチマキを買った。(今年は山伏山、3年前はかまきり鉾、はじめのは確か、長刀鉾だった。)月鉾の中に入るとすごい。左甚五郎作の蟇又の彫刻、屋根裏の金地彩色草花図は円山応挙の筆、胴懸け、前懸け、後懸けも豪華なインドやトルコの絨毯。美術館が山車に変身したようなもの。
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そして、いくつもの山や鉾(不案内の人のためにちょっとだけ説明、鉾は矛先がついている大きい山車。角を曲がるにも大変で、徐々に向きを変える。その辻回しもみどころです。山は小型で鉾の代わりに松を飾っています。でも鉾をつけてる山がひとつあります。また松の代わりに杉をつけているひねくれものもいます;爆)が通り過ぎていって、ワイフがチマキを買った山伏山がやってきた。宵山でみた山伏のご神体が得意げに都大路を見まわしていた。法力で八坂の塔だけでなく、すっかり曲がってしまった日本、まっすぐにしてください。
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そして、待ってました海老蔵、じゃなくて蟷螂山。かまきり山だ。からくりでカマキリが動くのが面白い。去年は途中で動かなくなって、直してもらっていたが、今年は、怪我も直り、海老蔵の鏡獅子みたいに、美女と野獣を演じ分け、見事なものだった。それに蟷螂山をつくった子孫の方が小田原で名店”ういろう”をやっていて訪ねたことがあるので親しみがあるのだ。
以前のブログからコピーして・・蟷螂山は、14世紀後半の南北朝時代に、薬や菓子で有名な”ういろう”を始めた外郎(ういろう)氏がつくったのだそうです。外郎家はその後、小田原に移り、現在も家が存続しています。地元の新聞でみたのですが、宵山で、小田原市の関係者40人が集まり、歌舞伎の口上で有名な早口言葉”外郎売の口上”が披露されたようです・・今年も小田原から関係者が来られたとニュースで聞いた。
数年前、600年振りに再会させてあげた(汗)。ういろう家の”ういろう”とチマキ。
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蟷螂山
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カマキリの名演技 歌舞伎十八番の内”ういろう売り”の早口言葉をうなりながら(爆)。
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翌日の京都新聞に、巡行に20万人。夏の暑さにも負けず、すごい。都大路の熱気、東北へ届け。
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