■ 今回は、ランニングについて、折にふれ心に触れた言葉を記してみた。
○ ランニングは、遊びであり、創造であり、かぎりない開放感と自由がともなう。
『遊びは、ゆったりとした、あるいはゆとりのある行動であって、日頃の仕事から離れて自由に行われ、利害をともなわない』
(ひ弱になる日本人の足、近藤四郎、草思社)
○ 『 自由こそランニングにふさわしい。
何もいつも指定されたコースを走らないでもいいではないか。
いつも大勢の人々と一緒でなくともいいではないか。
一歩外へ出たら、そこが走る舞台。
好き勝手にその時の気持ちのままに山でも海辺でも走る。
10kmでも50kmでもいい。
必死にやっても、だらしなくのろのろやってもいい。
そうしながら、2本足の行動半径がいつの間にか拡がっていることに気づくのだ。』
(鏡の国のランニング、江本嘉伸著、窓社)
○ 『第一次南極越冬隊長の西堀栄三郎さんという80歳半ばを迎えた人が、こんなことを言った。
「あのな~江本君、長生きしたかったらなあ、一年にいっぺんだけ、ぎりぎりまで自分を追い詰めることやってみるんや。
フルマラソンでも断食でも何でもええ。
死なんまでも相当きついことをな。
そいであとは普通にしていればええのや」』
(同上)
○ 『なんらかの制約が正当化されるのは、それが生存の安全保障に必要なかぎりにおいてのみなのです。
以上の考えから導かれることが一つあります。
それは、我々が個人や集団のあいだの差異が個人や諸集団のあいだの差異に寛大であるばかりではなく、まさにその差異を歓迎し、それを我々の生存を豊かならしめるものとみなすべきだということです。
これが真の寛容のすべてに通じる本質です。
このもっとも広い意味における寛容がなければ、真の道徳性という問題もありません。』
(アインシュタイン)
■ 今日は、私の年令と同じ、65回目の終戦記念日。
戦争について、さまざまなTV・ラジオ番組が流されている。
悲惨でおぞましい戦争の悲劇を繰り返してはならない。
世の中平穏なれ!
です。
自由に走れる平和な日本に感謝!!
今日のラン&スイム
マリンスタジアム 12k
当月累計 R=147k S=0k 年間累計 R=1348k S=19.3km