昨日から今日にかけての花です!
<昨日9:30ごろから>
カメラを持って速歩、花の美術館の前庭を抜けて
稲毛の浜に出た。
この日は快!!
稲毛海浜公園外周を走友が走ってきたので、急いでデジカメパチリ!
後ろ姿になりました。
砂浜に出ると、水平線の向こうに富士山が見えました。
稲毛記念館横の日本庭園で寒椿をパチリ!!
再度前庭に回り、花の美術館入り口のスイセンをパチリ!!
約5kmの速歩でした。
<今日の昼過ぎ>
昨日は、良い背景が見つけられなかったので再チャレンジ!
再び花の美術館入り口斜面のスイセンのところで粘る!!
網のフェンス際で、バックが青空になるように位置、アングルを選ぶ。
同じくバックは大地、
緑の茎葉、
館の入り口の黄色いスイセンが少し花開き始めました。
館内に入り、花壇のチューリップ、
スイセンを光を意識してデジカメパチリ!
カメラを持った「花の会」の女性に会いました。
写真撮影をして帰宅後、ヨットハーバー折り返しのスロージョギング5km。
片道約25分、計50分のジョギングを終えると、TVはちょうど大相撲初場所の見ごろの時刻でした。
横綱2人が休場になりましたが、白鵬含め稀勢の里、特に今場所は御嶽海の相撲が見逃せない!
同県人とあって、場所が始まってから全ての取り組みを見て応援していました。
速い動き、叩かれても、突かれても、押されても、後に引かず前に出る。
相手の動きを冷静に見て、すばやく、柔軟に体をかわし勝ちにつなげる。
1敗の稀勢の里、2敗の白鵬他を追っていますが、ぜひ優勝戦線にからんでほしい。
※ ‥長野県は元幕内の大鷲が1978年1月場所限りで引退して以来全都道府県で関取不在の期間(37年間)が最も長かったが[20]、長野県出身力士として47年ぶりの新十両誕生で平成以降、関取を出していない都道府県は皆無となった[21][22]。
‥‥2015年7月場所において、11勝4敗の成績を収め、十両優勝を果たした。長野県出身力士の十両優勝は、1949年5月場所の大昇以来66年ぶりである。10日目の常幸龍から激しい張り手を受け口内から激しく流血し、翌日の取り組み後に左上唇を15針縫う怪我を負った。以降の取り組みでは本来の突き押しが出来ず、いつも以上に立ち合いの変化を多用した。[23] 2015年7月17日、写真家の篠山紀信が、松本市美術館にて展覧会の打ち合わせの際に優勝したら御嶽海の写真を撮ると約束していた。結果、十両優勝したため2015年9月9日に出羽海部屋にて撮影が行われ、開催中であった『篠山紀信展 写真力』の展示を変更し御嶽海のモノクロ写真が白鵬や朝青龍に並んで掲げられた。[24]
2015年9月場所14日目は初めて幕内で相撲を取り勝利した。また、若手のために中入り後最初の取組に懸賞金を掛け続けていたもち吉により、初めて懸賞金を受け取った。この場所は西十両5枚目で12勝3敗という好成績だったことから、続く11月場所では新入幕となり、この場所は千秋楽に勝ち越した。1月場所は途中休場により入門丸1年にして初めて勝ち越しを逃したが、3月場所は10勝とした。同年4月24日から食あたりで嘔吐を繰り返し、体重が10kgも落ち、回復したと思われた矢先に風邪を引いた[25]が、西前頭8枚目として迎えた直後の5月場所は場所前の不調とは裏腹に11勝を挙げ、敢闘賞を受賞した。東前頭筆頭まで大きく番付を上げて臨んだ七月場所は7日目までの大関戦で力の差を見せつけられ1勝6敗。最終的には5勝10敗と自身初の皆勤負け越し。初めて大銀杏を結って挑んだ9月場所[26]は11日目に勝ち越しを決めるなど好調であり、最終的に10勝5敗の2けた白星を収めた。続く11月場所では新三役で小結に昇進した。出羽海部屋からは2005年9月場所の普天王以来11年ぶりの新三役であり、東洋大卒業者としては初である[27]。福岡県新宮町の出羽海部屋宿舎で新三役昇進会見に応じた御嶽海は、新番付を手に「率直にうれしい。(新三役の県出身力士が)八十四年もでてなかったのか、とびっくりした」と率直に喜びを語った。先場所を「上位と戦って『もうちょっとできる』と思った。その経験があったからこそ、先場所は十勝できた」と振り返り「今まで通り、しっかりと自分の相撲を取れば白星につながっていくと思う。苦しい場所にはなると思うけど、勝ち越せるよう頑張りたい」と九州場所への決意を語った。また、御嶽海の新三役昇進を記念して中日新聞社は10月31日、特別号外を発行し、上松、木曽両町で配布した。‥ ‥(ウィキペディアより)
ヨットハーバー 5k
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