団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

誰かを可哀想な存在にすることで、自分の優位を確信したい人が世の中にはいる。

2020-08-04 03:25:40 | 日記
 「中日新聞を読んで」という欄に作家で大学教授の堀田あけみさんが「だいたい大丈夫」というタイトルで感想を書かれていました。



 先日、ネット上でポテトサラダが炎上した。
総菜売り場でポテトサラダを買おうとした子連れの女性を、年配の男性が「母親ならポテトサラダくらい自分で作ったらどうだ」と
怒鳴りつけたという話だ。

 炎上の理由は、怒鳴ったという事実より、「作り方も知らない癖に」という怒りだ。
知っていたら、とても「くらい」なんて言えない。

 最近、「キレる中高年男性」がよく話題に上る。
怒鳴られるのも嫌だが、若い母親は、もっと恐ろしい攻撃を受けることがあるのだ。

 子どもに顔を近づけて「ポテトサラダも作ってもらえないなんて、可哀想でしゅねえ」。
子育て中に、いろいろと気に入らないところをあげつらい、「こんな親で可哀想」と言われた経験、あるんじゃないだろうか。

 誰かを可哀想な存在にすることで、自分の優位を確信したい人が世の中にはいる。
私も障害のある子がいるので、可哀想扱いされる人だ。

  愉快ではないが聞き流すことにしている。
反論したら、もっと上から「強がらなくてもいいのに」とか言われるから。


 七月十七日のくらし面では、「かわいそう」をキーワードに夫婦別姓問題に触れていた。

 そこで紹介された彼らも可哀想な人を見つけたい、
上から物を言いたい人たちのターゲットになってしまったんだと思う。

 地域的な問題なのか私の周囲には、時々家族の中で一人だけ別姓を名乗る子がいた。
後継のいない親類と養子縁組をしていたためだ。

 姓が違うだけで、普通の家族だったから、いじめられることも、
腫れ物に触るような扱いをされることもなかった。

 それが子どもの感覚だったし大人からも
「家族なのに姓が違うなんて変だよね」と言われなかった。

 「親のエゴで子どもに辛い思いをさせるなんて可哀想」と言うのは
自分の狭量さを示すだけだ。

 よその子を自分の優越感のための道具にしてはいけない。
彼らは「自分を可哀想だとは思わない」と発信できる時点で、全然可哀想じゃないから。

 多様性の時代、大体のイレギュラーは大丈夫だ。


 以上です。


>総菜売り場でポテトサラダを買おうとした子連れの女性を、年配の男性が「母親ならポテトサラダくらい自分で作ったらどうだ」と
怒鳴りつけたという話だ。

 そんな話があったんだ!
炎上の理由は、怒鳴ったという事実より、「作り方も知らない癖に」という怒りだ。
知っていたら、とても「くらい」なんて言えない。

 てっきり見も知らない年配の男性が怒鳴ったと言うことが、問題になったかと思いました。
「ポテトサラダの作り方も知らない癖に」が怒りを呼んだんですね。

>子どもに顔を近づけて「ポテトサラダも作ってもらえないなんて、可哀想でしゅねえ」。
子育て中に、いろいろと気に入らないところをあげつらい、「こんな親で可哀想」と言われた経験、あるんじゃないだろうか。

 こんな人いるんだ!
それが信じられない!(苦笑)

>姓が違うだけで、普通の家族だったから、いじめられることも、
腫れ物に触るような扱いをされることもなかった。
 それが子どもの感覚だったし大人からも
「家族なのに姓が違うなんて変だよね」と言われなかった。

 うちの田舎だったら噂の種になったでしょうね。(苦笑)
それを子どもたちが聞きつけていじめの対象になったりして。

>多様性の時代、大体のイレギュラーは大丈夫だ。

 私はだいたいのイレギュラーは大丈夫だと思えません。
日本人はまだまだイレギュラーを受け入れないように思います。







ビギン・ザ・ビギン【訳詞付】- ペリー・コモ
コメント (5)
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