中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「しっかりせよ」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。
以前にも書いた事があるが、ある小学校の倉庫から額装された古い書が出てきた。
そこには墨で、「校訓 しっかりせよ」と書かれてあったという。
たぶん戦前の額であろうが、なんと凛々しく、爽やかですてきな校訓だろう。
規則や行動制限などの、ごちゃごちゃした余計なことは一切なく、ただ「しっかりせよだ。
実は何十年も前におじさんは妻からこのことを聞いたのだが、そのときの感動はいまだに忘れない。
そして、「しっかりせよ」はおじさんの人生の指針となり、心が弱ったときや自己嫌悪で打ちのめされたときに、この言葉が胸の内からわき上がってきた。
「しっかりせよ」と己を叱咤すると、おのずと精神がしゃんとし、迷妄が晴れる。
これを校訓とした校長先生はさぞ「しっかり」した人物だったに違いない。
いろいろな訓示を並び立てても、人の心に届く言葉はごく少ない。
それに比してこの「校訓 しっかりせよ」は、子どものみならず大人たちの姿勢をも正す絶妙な言葉だったろう。
そして今、欲にまみれ、すさみきっている現代の人々に「しっかりせよ」は覚醒の金言となる、とおじさんは確信している。
以上です。
私の金言は「朝の来ない夜はない」と「人間万事塞翁が馬」です。
「朝の来ない夜はない」は、落ち込んでいた時、いつかはこの苦しみも晴れるという気持ちになります。
「人間万事塞翁が馬」は、今は不幸だと思っていても、何が幸いするか分からない。
この不幸と思えることが、将来の幸せの一歩かもしれない。
そう思うと、勇気が出ます。
この二つが、私の金言ですね。
煌めく星座 灰田勝彦