中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「夢で会いましょう」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。
本人には大変な出来事のようだが、たいていの場合、他人のみた夢の話は面白くない。
「きのう、こんな夢をみちゃってさあ」とその奇妙さや突拍子もなさを語られても、聞かされる方は退屈だ。
恋人同士の場合は「へえー、それからどうなったの?」などと相手への関心を示すために無理するが、夫婦や友人の話す夢の話はほとんどつまらない。
また、いわゆる「夢落ち(〜という夢でした、で終わる物語)」も、あまり喜ばれない。
と言いながらおじさんは夢の話を書くのだ。
めったにはないが、朝、「ああ、懐かしい人に久しぶりに会ったなあ」ととても幸せな気分で目覚めることがある。
もうとっくの昔に亡くなった人が夢の中に登場したときだ。
母親が出てきたときは特にうれしい。
なのに生前と同じように、おじさんは母親に文句を並べている。
亡友たちが出てきたときも、おじさんは怒ってばかりいる。
「せっかく夢に出てきてくれたのに、申し訳なかった」と反省するが、それ以上に、夢で会って話をした喜びは大きい。
もっとみんな毎日のように出てきてくれるといいのになあ、と心から思う。
以上です。
ろくな夢を見たことがないです。
現役をやめてから16年も経っているのに、会社の仕事が出来てなくて冷や汗が出た夢をよく見ます。
こんな夢は、かみさんにも言います。
「昨日は夢でうなされた」と。
ほんのたまにですが、好きだった人の夢を見ます。
夢に出てくる私も当時のままです。
失恋ばかりの人生でしたので仲が良かったシーンは少ないですが、それでもうれしいです。
こんな夢を見たことは、かみさんには言いません。笑い
夢であいましょう ~ To the Memory of My Mother