尻屋崎で牧草を食む寒立馬たちを見た後、下北半島の東側を南下する。日本最果の地を有する東通村のエリアが広々と続く。人口密度はいかばかりとか思うが、それにしても広い。
その東通村を後にして、いよいよ六ヶ所村に入る。この旅の最後に訪れるのがこの六ヶ所村である。
「六ヶ所」という言葉を聞いただけで寒気がしたり虫酸が走ったり、あるいは感情が昂ったりする人も多いことだろう。そう、言わずと知れた日本原燃による「原子燃料サイクル施設」(人によっては核燃料施設という言い方もするようだが)のそびえる村である。
かねてからエネルギー問題というのには個人的にも関心があり、どちらかといえば「原発も必要なのではないか」という視線でこれまで松江や四国・伊方の原発を観に行ったり、あるいは人形峠でウランについて紹介した建物をのぞいたりしたことがある。六ヶ所と聞いただけで完全に拒絶反応を示すような著作に出会ったこともあるが、それはもの書きの姿勢としていかがなものかという疑問を感じたこともある。
東北へ来ることがあればぜひ六ヶ所村に来たいという気持ちがあった。いろんなものの本を読んだり、あるいはいろんなブログをのぞいたりして、賛否両論いろんな考えがある中で、とにもかくにも一度のぞくだけはすべきかなという気がしたので。
東通村と同様原野が広がる六ヶ所村。あるところまで来ると急に道幅が広くなり、「ハコモノ」が目立つようになる。これらの施設が六ヶ所村での原子燃料サイクルに関連したものということになる。ナントカ研究所とか、ナントカ開発センターとか。連休中のこととて人の気配は感じないが、それでも高くめぐらせたフェンスに警備員の常駐するゲートが続くと、やはり緊張感を覚える。のんびり牛が草を食むのとは対照的な光景かな。
やってきたのが「六ヶ所村原燃PRセンター」。私のような一般人がそうナマの現場に立ち入ることができるわけでなく、こういうPRセンターで「今この村でされていること、またされようとしていること」について触れることになる。
こういう原子力関係の施設、あとは自衛隊もそうかな、こういう広報的部門を受け持つ人たちというのは非常に愛想がよい。このPRセンターではコンパニオンの女性が施設についていろいろ説明してくれるというサービス。原子力関係にせよ自衛隊にせよ、賛否両論いろいろある中で存在する立場ゆえ、少しでもイメージアップしようという気持ちが前面に出るのもわかる。
まずは最上階から周辺の景色を展望することにする。そこではこの村で行われていること、あるいはこれから推進しようとしていることが見てとれる。右手には石油の国家備蓄基地があり、その横には原子燃料の再処理工場(これがこの3月に試運転が始まり、従事者に被曝者が出たとかどうとかいうところ)、以下、尾駮沼をはさんで廃棄物埋没センターにウラン濃縮工場というのが原野の中のハコモノとして見て取れる。まさに科学的要塞。そして、これらの総仕上げが「MOX燃料工場」ということになる。
まずはそれらの施設を遠望した後、原子力発電のメカニズムや、原子の特性、そしてなぜ原子燃料の再処理が必要なのかということをパネルやコンピューターやゲームなどで解き明かすというのがこのPRセンターの役割である。どういうメカニズムかの説明はここでは省くとして、この建物にずっといる限りは「ああ原発とか再処理工場は絶対必要なんだ!日本が生き残るにはこういう方法が最適なんだ!」という考えにうなずかされることは、間違いない。(「六ヶ所」という言葉を聞いただけで虫酸が走る方は、そうは思わないでしょうが)
ただ、原子力関係の施設の立地からみても「地域経済の繁栄」というものと引き換えに、都会の人たちが地方に「こういう役割」を押し付けているような気もする。現在のエネルギー事情、またこれからますます増大するであろう電力事情から見ても、「どこかにつくらなければならないもの」と思うのだが、その条件が地方にとって割りの合わないものだったり、都会人のワガママのような気もするし・・・。かといって地方にしてみても人やモノ、金が集まるのは地域の活性化につながるということもあるし・・・。考えれば考えるほど難しい。
だからこそもっとエネルギー問題については国民的な議論を広げるべきだろうし、反原発の連中も示威行為やミュージシャンの反戦歌だけではなくもっと科学的・現実的な観点からの議論を展開してほしい。推進派だろうが反対派だろうが、今や原子燃料でできたエネルギーを幾分ずつでも消費しているのだから。
PRセンターを見学後、研究所エリア一帯や、むつ小川原港などを走り回る。特にこの地域の人たちと話をしたわけではないので私とて地元の実感というのはわからないが、おそらくこれらの施設で働く人のものであろう真新しい集合住宅(社宅?)やレストラン、ショッピングモール、はたまたゴルフ場など、原子力関連施設がこの村の表情を「都会的」に変えたのは事実であろう。どういう気持ちで生活しているのだろうか。
長かったこの旅もそろそろ終わりである。この六ヶ所村でUターンとし、大湊に戻る。
思えば、男鹿半島から始まって津軽・下北と回ってきた旅。特に津軽と下北では、同じ県ではあるが実に対照的な表情を見せてくれた。農耕文化、古くからの歴史文化を有する津軽に対して、厳しい自然とその中から生まれた自然信仰(畏怖)、漁業、牧畜文化という下北の姿。そして古くからの自然に対して、原子力という新しい波が押し寄せている下北。さまざまな表情というものを見せてくれたように思う。
帰りは大湊線~特急白鳥~はやて号。新幹線ではあっという間に東京に連れ戻された感じである。精神がスピードについて行けないのか、それともまだ名残惜しいのか。心の中ではまだ北東北の自然の清々しさが私を捕えているように思えるのである・・・・。(北東北紀行・終)