5月4日、北東北紀行2日目の宿泊は五所川原である。駅から15分ほど歩いた「サンルートホテルパティオ」が今日の宿。
駅前の商店街を歩く。昔は一帯の中心として栄えたであろう五所川原の駅前であるが、連休中というためかシャッターをおろしている店が多い。もう一つ賑やかさの感じられないところで、夜の時間をどう過ごそうかと思う。
ところが、ホテルにチェックインして、これまで歩いた道をもう少し進むと国道にあたり、その沿道というのが実に賑やかなのである。東京はじめ全国で見られるチェーン店の看板、銀行、消費者金融、レンタカーなど、いろんなものが集まっている。
さらに歩を進めると巨大なイトーヨーカドーの看板。ここが「エルムの街」というところで、ヨーカドーのほかに多くの専門店を集め、この辺りの購買客を一手に引き受けているのである。ローカル線の沿線によくあることで、駅前の古びた商店街がそのまま寂れるのに対して、少し離れたところに建つ大型ショッピングセンターが近隣のクルマ生活者を呼び込む。そんな図式が五所川原でもはっきりと見てとれた。
そのエルムの街に入る。都会的なカフェやブティックなども中にあり、津軽にいることを忘れさせる。おまけにこのエルムの街には「津軽ラーメン街道」という名のフードテーマパークまであるのだ。私もそこに釣られるように入り、津軽にいるのにこってりした札幌ラーメンなど食べるのである。そして帰りにイトーヨーカドーで酒と惣菜を買い求める(さすがに酒だけは地元の「じょっぱり」という銘柄が手に入るが)。ほとんど東京の普段の週末と変わらないやね・・・。(まあ、旅先で今ひとつ店に入りそびれるようなときにはヨーカドーは重宝しますが)
さて翌5日。再び五所川原の駅前に立つ。といってもJRの駅舎に隣接する津軽鉄道の駅。これから津軽鉄道に乗ってみる。今日のプランに津軽鉄道を組み入れるかもしれないという思惑もあって、五所川原泊にしたという面もある。昨日までとは変わって今にも雨が降ろうかというどんよりした空模様。
施設やサービスの近代化が進められる中でこの津軽鉄道は、あえてレトロ風というのを売り物にしている。その代表が冬季のストーブ列車であるが、それ以外にも駅の風情などは昔ながらである。五所川原駅の時刻表は、いまだに漢数字の縦書きである。絶対、ワザとやってるよ。
連休中なので観光客も多いようだ。窓口で「金木」「芦野公園」と言って切符を買い求める人がほとんど。そんなこともあってか、1両の気動車「走れメロス」号は立ち客も出るほどの賑わい。津軽鉄道には少し前にストーブ客車に乗ったことがあるが、普通の気動車は初めて。
田おこしの始まった津軽平野を駆け抜ける。20分ほどで金木着。ここで大勢の客が下車し、一駅先の芦野公園でガラガラになる。私もこの公園で降りる。
芦野公園は津軽の桜の名所として知られ、よく桜並木と駅のホームと気動車の3点セットで写真の撮られる観光駅である。例年時期的には今頃が見ごろとかで、「金木さくらまつり」というのも金木町挙げて盛り上げているそうだが・・・。
ホームに降りたが残念、まだまだ桜はこれからといったところ。遠目に見ればピンクがかっているのだが、近くではまだつぼみが目立つ。冬の寒さのせいで開花が遅れているのだろうか。芦野公園での花見もオツかなと思ったがこれでは残念。
ならばと、先ほど通過した金木に向かう。もっとも、町の観光スポットの一帯は芦野公園からの徒歩圏内。まつりのイベントとしてグランドゴルフや剣道やらの大会が行われるようでちょうど開会式が行われていたが、そこを後にして斜陽館まで歩く。芦野公園からでも15分あれば着く。
沿線随一の観光スポットである斜陽館ではあるが直接そこには入らずに、隣接する「津軽三味線会館」に入る。日本の音楽として絶対に外せないのが三味線。その中でも風土とよくマッチした津軽三味線の発祥の地とされるのが金木。その三味線の歴史やら、世界の各地に伝わる弦楽器の比較展示(ボタンを押せばスピーカーから音も流れる)などが興味深く展示されている。吉幾三やら、三橋美智也(津軽三味線の語り部だったのですね)の名前や写真も見られる。
そしてこの会館の目玉が津軽三味線の「生演奏」。私が斜陽館ではなくこちらに先に来たのが、この生演奏の時間を見てのことであった。この時間に合わせるかのように観光客やら団体客がホールに詰め掛ける。やはりナマはいいもんだ。
この回の弾き手は「津軽三味線まんじ流」のまんじ愛華さん(写真右)。パートナーに現在三味線の修行中という女性が加わるという二重奏。「津軽じょんから」はじめ、女性ながら力強い弦の音を響かせ、聴く者をうならせる。ナマの三味線は落語の寄席では聴くが、ああいうところで使われているのとは棹が違う、やはり骨太の演奏は津軽三味線ということになる、らしい。芸事の一つというよりは、食うために弾く、そんな音色。とはいうものの、北島三郎の「風雪ながれ旅」の一節「破れ単衣に三味線だけば よされよされと雪が降る」という、一昔前の風雪厳しい世界からも一皮抜けているのも、昨今若い人も多くてがける津軽三味線である。
弾き手のまんじ愛華さんは津軽出身ということで、演奏の合間には津軽弁まるだしでトークもしてくれ、聴衆から温かい声援ももらう。500円の入場料が実に安く感じる、貴重な時間であった。
三味線の余韻抜けやらぬままに、向かいの斜陽館に入る。言わずと知れた太宰治の生家。若い人に多い太宰ファンも、私のようにそうでない人も、津軽観光となれば必ず立ち寄るところである。一時は旅館として人の手に渡っていたのが、金木町の所有となり、今では純粋な観光名所として多くの客を集めている。入口から随時ガイドによる説明があり、見学客はそのガイドの説明に従って邸内を回ることになっている。
さすがに金木の大地主・富豪の津島家である。和洋折衷の建物の細部にもさまざまな趣向を凝らしている。欄間、襖、屏風など。今は観光史跡として保全されているからよいが、現役の旅館だったときには手入れが行き届かず朽ちてしまった工芸品や、客が旅館の備品のつもりで無遠慮に触ったり使ったりしたために昔のよさが半減したものもある。旅館として開放したのはちょっともったいなかったかな?
これら邸宅部分に、太宰家の資料館でもある蔵の部分を含めるとやはり広大だ。身分格差の大きかった津軽ならではのことである。また、邸宅部分の柱の一本一本、蔵に納められた資料の一言一句をも見逃すまいと血眼になっている太宰ファンと、そんなん別にどーでもえーやんか、という観光客の姿がこれだけ対照的になるスポットも珍しい。
斜陽館を一回りして、金木駅から五所川原に出る。すると、先頭には旧国鉄でいうところのキハ22タイプの車両がつながっているではないか。おそらく金木、芦野公園への乗客が増えることを見越しての増結なのだろうが、これは楽しい。ストーブ列車の客車とはまた一味違う、旧タイプの気動車。旧の気動車に乗ることもこれからは一つ一つ貴重な体験となるのであろう。
五所川原着。ここまで来れば東北の桜の名所・弘前に行ってみよう。とはいうものの五能線の列車はしばらく来ない。というわけで、弘前のバスターミナルまでバスで向かう。朝方パラッと来た雨もどうやらやみそうである・・・(続く)。