若柳から東へ走り、やってきたのは「みやぎの明治村」として名高い登米。ここを訪れたのは、明治に建てられた「旧登米高等尋常小学校校舎」の見物が目的である。
その前に、隣接する観光物産センターのレストランで昼食。「はっと汁」というものをいただく。「はっと」というのは登米の郷土料理とかで、小麦粉に水を加えて練り、その生地を薄く延ばしたものを醤油仕立ての汁に入れるというもの。宮城といえばササニシキをはじめとした米どころというイメージがあるが、昔の農民にとっては米は年貢であり売り物であり、毎日食べられるというものではなかったのだろう。こうした小麦を代用した郷土料理というのが生まれることになったのかな(今なら逆ですな)。
隣接する校舎へ。今も登米小学校の敷地の中にあり、「教育資料館」として、登米観光のシンボルとなっている。中央に白いバルコニーを配し、左右に広がる校舎。建造物としても目を見張るものがある。
中には明治以降の教育に関する資料が展示されている。昔からの教科書とか、国境線や国名が現在とは大きく異なる世界地図などをうなりながら眺める。この手の展示、好きな教科でもあるためか社会科の教科書に目が行く。時代によって教えられていることがこれだけ異なる教科もなく、それだけに歴史を感じることができる。
その教室もノスタルジックな感じだ(イスに座ることもできるが、私のような図体がデカイのが座ったら壊れそうなのでやめておく)。
登米にはこの教育資料館をはじめとして、明治時代の建物やら武家屋敷が点在する。かつては宮城県北部と岩手県南部が「水沢県」と呼ばれていたとき、一時的に県庁が置かれた建物やら、400年以上前の武家屋敷「春蘭亭」などを観て回る。秋空の下の散策である。
少し行くと「警察資料館」というのがある。ここも明治に建てられた警察署の建物であるが、警察のことを扱った資料館は全国でもここだけという触れ込みである。本当、岐阜の明治村にあってもおかしくない建物が存在するとは、さすが「みやぎの明治村」である。中は歴代の警察の制服とか、本物のパトカー(乗車してサイレンを鳴らすことができるのだが、どうやって部屋の中に入れたんだろう)もある。
また「警察資料館」らしいのは、「牢屋」の展示まであって・・・。何かを間違えて牢屋に入れられる時に備えて?一度入っておくのもよいだろう。ちなみに、ここの説明文では、牢屋の食事を「臭いメシ」というのは、食材が臭いというのではなく、狭いところに大の男たちが押し込められ、風呂もなくトイレも部屋の隅に穴があるだけで、臭いところで取る食事だからというのが語源だと書いてある。
見物していると時間が過ぎるのが早い。そろそろ出発することにする。この登米、岩手から来る北上川に面している(川べりにあったとは現地に来て初めて知った)。この水運があったからこそ洋風建築が入り込む要素があったのだろう。
仙台へはこの北上川に沿って石巻を経由するのが近いようで、ゆったりと流れる川に沿って走る。日の短い時期、石巻あたりでは日が西に傾き、渋滞していた松島では島の影もぼんやりとしていた。とっぷりと暗くなり、この日の宿泊地・仙台駅前にようやく到着。
レンタカーを返してホテルにチェックインし、ようやくアルコール解禁となる。仙台の名物はということで、牛たん料理とする。
市内に名店はいろいろとあるが、私が訪れたのは「利久」。定番の牛たん焼きも他店より分厚いのが特徴。カウンターの前で、炭火で焼かれているのを見ると食欲がそそられる。
「利久」の牛たん料理はこのほかにもいろいろなアレンジがあり、ハンバーグ、プロバンス風ソース料理、テリーヌ、角煮にピロシキなんてのもある。その中で「新商品」として張り紙があったのが「牛たん包(パオ)」。とんこつ風テールスープの鍋の中に牛たんのひき肉を詰めたパオが入ったおり、もちっとしたパオと牛たんがよく合っている。仕上げにラーメンが入れば「仙台と中国と博多」のコラボレーションである。
長い一日だったこともあるし、翌日は時刻表検定。この日はそのままホテルに戻りゆっくりと休んだ・・・・。