さて前回の「サイコロしりとり」の第4日は8月の淀川花火大会の日に少し行ったところで中断。この駅巡りも第5日を迎える。宮城の被災地めぐりをした後である。いったい、いつまで続くんだろうか・・・。
この日は天候の悪さが気がかりであるが、「スルッとKANSAI 3day」の有効期限も迫っている。まずは前回の最後に出した貝塚に向かう。
貝塚といえば水間鉄道がある。「3day」の範囲外であるが、貝塚では番外編でこちらに行こうか。・・・いやいや、ここでルールを曲げてはならないだろう。水間鉄道は改札口から見るだけにして、貝塚の駅前に立ち、商店街を歩く。日曜の朝ということで閉まっている店も多い。
ところどころに古い町家を見つける。後で調べたところでは貝塚というのは富田林と同じような「寺内町」として中世から栄えたところという。その名残が今でも所々に残っているが、富田林のように観光地として売り出しているかと聞かれればどうだろうか。
この町家の一角で次のサイコロである。「かいづか」だから、また次も「か」で始まるラインアップで、「かいづか」は訪問済みとなったから選択肢は順次繰り上がる。
1.学園前(近鉄奈良線)・・・今度は南海と近鉄のラリーか。
2.笠縫(近鉄橿原線)・・・また同じような駅か。
3.橿原神宮西口(近鉄南大阪線)・・・再びの橿原神宮参拝か。
4.樫山(神戸電鉄)・・・また長距離の移動となる。
5.春日野道(阪急神戸線)・・・神戸の中心部というのもいいかな。
6.春日野道(阪神本線)・・・名前が同じでいわゆる「乗り換え」として案内されていない場合は、別の駅としてカウントする。
今度は奈良県勢対神戸エリアということになった。さて、どちらか。出た目は・・・・「6」。阪神のほうの春日野道である。
今回の「サイコロしりとり」で何度となく乗っている阪神電車。今度もなんばまで出て、阪神なんば線から本線に出る。ちょうどこの時間は外は大雨。後で、高架駅の構内も一部浸水したり、一時的に列車の運転を見合わせたという。酷暑、ゲリラ豪雨・・・今や日本の夏の表情といってもいいだろう。
三宮の手前で地下に入る形で春日野道に到着。現在は対向式ホームであるが、線路の間にホームがもう一本ある。これがかつて「日本一幅の狭いホーム」としてテレビでも紹介されたことのある、2004年まで使っていたホームである。ホームの幅はわずか2.6mと、電車の車幅(2.8m)よりも短いもので、そこを特急が高速で通過していくのは見ていて怖いものがあった。
こんなホームにも関わらず阪神が安全対策を取っていたために、駅での事故は発生しなかったという。現在は当時の様子の写真パネルが改札を出たところにある。
こちらは阪神大震災からの復興と再開発を目指したHAT神戸が近い。春日野道での駅前散歩は、10分ほど先にある「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」に行く。ちょうどこの数日前に宮城の東日本大震災被災地めぐりをしたこともあり、同じく大震災を経験した神戸のことを振り返ってみるのもいいだろう。
現在、阪神・淡路の復興も進んでおり(経済活動が震災での大打撃の以前の水準に戻っていないとか、被災した人たちの心のケアを考えれば完全な復興はまだまだであるが)、震災遺構のようなものはほとんど残されていない。ただ震災を総括し、今後の防災に対する意識を高めようという役割の施設で、実は訪問は初めてなのだがこの「サイコロしりとり」がいいきっかけだと思う。
東日本大震災や、あるいはこれから発生するであろう南海トラフ地震への関心もあるのだろうか、観光バスで乗りつける団体客もおり賑わっている。まずは最上階で「1.17シアター」というのを見る。これは阪神・淡路大震災が発生した「1995年1月17日 5時45分」のその瞬間を映像で再現したもので、三宮、長田、淡路島、伊丹などの街や、電車、阪神高速が地震で次々に破壊される様子を流している。映像もかなりリアルで、一瞬「その瞬間を実際に撮影した人がいるのか」と思ったほどである。巨大スクリーンで大迫力の音量で、地震の凄さを出すにはこのくらいの演出は必要なのだろうが、実際に被災した人からすれば当時の恐怖を思い出させてしまうだろう。「ご気分が悪くなられた方はお申し出ください」という案内もあったが、そのくらいやらないと伝わらない、伝えたいという関係者の思いだろうか。
その映像が終わると今度は別のホールにて、「家屋の破壊で姉をなくした一人の少女」を語り手として、街の復興、そして自分も成長して看護師になるという物語形式で、当時の映像を紹介する。状況が異なるので単純に比べられないが、神戸と東日本を比べた時の復興の速さの差というのを改めて感じる。
映像の後は当時の写真、作文、語り部の声など豊富な資料の展示。入館前は結構はしゃいでいた感じもあった団体客も、最初の地震映像でショックを受け、復興の映像で涙し、この資料エリアに来る頃には話声もほとんど出なくなっていた。
この前に回った宮城の被災地エリアは、地域によってはいまだに「明日の生活をどうしようか」という感じで、町の復興などまだまだ遠いと思った。そんな中、南三陸町の防災庁舎や気仙沼の第18共徳丸などの震災遺構も解体しようという動きも出てきている。
震災遺構としてそのモノの維持が難しければ、いずれはこの「人と防災未来センター」のような、東日本大震災を総括する、新たな街づくりに向けたさまざまな取り組みを実施する機関というのが三陸にでもできればいいのではないだろうか。
企画展示として東日本大震災の被災と復興の状況、そして南海トラフの被害予想などがあり、広域災害についてのさまざまな知識を得ることができる。港風情、中華街、北野異人館といったところが神戸観光の定番であるが、他地域の方も少し足を伸ばして、「阪神・淡路大震災というのがあった」ということでこの施設もコースに組み入れることをお勧めしたい。
さて、この日は多くの駅を回ろうと思っていたがすでに12時近い。でもここではなかなか充実した1時間半を過ごしたので(その間、阪神間で上記の大雨になっていたのだが)、気持ちを新たに次のサイコロである。「かすがのみち」の「ち」であるが、この文字もよく出ている。
1.千鳥橋(阪神なんば線)・・・同じ阪神線ということで効率よい。
2.千早口(南海高野線)・・・和歌山県を目前にした山間の駅。
3.千船(阪神本線)・・・ここは仕事の関係で駅に来ることも。
4.千代田(南海高野線)・・・車庫の最寄駅だったかな。
5、6・・・もう一度振り直し。
「ち」で始まる駅としてはもうこの4つしか残っていない。今度は阪神対南海という、東京五輪が開催された1969年の日本シリーズを彷彿とさせる組み合わせ。ただ今は神戸にいるため、できれば阪神側の駅が出てほしいのだが・・・・出たのは2、千早口。
貝塚から神戸、そして河内長野・・・相変わらずの行ったり来たり旅である・・・・。