まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

大瀬崎灯台で平成最後の夕日を・・そして改元

2019年05月15日 | 旅行記H・九州

夕食を終えて、いよいよ大瀬崎灯台に向かう。「さあいよいよ、夕日ですよお客さん。果たして見ることはできるのでしょうか?」と、添乗員Kさんが盛り上げようとするが、雲が広がるのは相変わらずだ。Kさんもそれはわかっている。半ばやけくそというわけではないが、天候ばかりは仕方がない。客もわかっている。日中回ってきた弘法大師やキリストでも、さすがにこの天候をひっくり返すことはできないだろう。

灯台を見下ろすポイントというのがあり、坂道をずっと上って行く。遠くに見える海岸線もきれいである。

18時50分頃に到着。展望台が設けられていてそこから景色を望む。雲が広がるものの灯台とその周りの岩礁はくっきり見えるし、水平線も見渡せる。夕日が沈む時はこんな景色だというのは、昼間の移動中にガイドSさんが自分で撮影したという写真を見せてもらっていた。水平線の向こうは東シナ海である。

灯台や水平線だけでもはっきり見えるのはラッキーなのかもしれない。日によっては霧が出て視界が遮られ、灯台を見ることも叶わないそうだ。

大瀬崎灯台は遣唐使の頃から登場する。もちろん今のような灯台ではなく、岬の先端で狼煙やかがり火を上げたのを船の目印にしたのが始まりである。東シナ海から対馬海峡にかけて浮かぶ五島列島はこのエリアの要衝と言えるし、よくここにしっかりした陸地ができたなと感心する。灯台の建物ができたのは1879年のこと。またこの上にある山頂には無線所があり、日露戦争の日本海海戦を前にバルチック艦隊を発見した「敵艦見ゆ」の無線を受信した歴史もある。

以前の記事で、この旅を申し込むに当たり「本土最西端」という言葉が気になるということに触れた。太平洋戦争で奄美、沖縄がアメリカの統治下に入ったが、このエリアを除くと日本の最西端は五島列島になる。また、奄美、沖縄が元々琉球王国の土地だという見方からすれば、肥前の国だった五島列島はやはり日本の最西端となる。むしろ、そうした歴史のほうが長いのではないか。となると「本土最西端」の表現も間違いではない。

やはりそういうロケーションが絵になるようで、映画「喜びも悲しみも幾年月」や「悪人」の舞台の一つにもなっている。各地の灯台を描いた「喜びも~」は主題歌を聞いたことがあるくらいだが、「悪人」は最後のクライマックスで登場したのを覚えている。逃亡のピリオドが最果ての灯台というのが犯人の運命を表しているようで印象的だった。原作を読んだ後で映画を見たのだが、九州の西のほうにはさまざまに引き付けるものがあるのだとうなるばかりだった。

参加者の皆さんは灯台と風景の記念撮影に夢中である。確かに、平成最後の夕日を見ることができなかったのは残念である。わざわざ夜行フェリーに連泊・・というのにもいろいろあるだろうが、その分、遣唐使の疑似体験含めてはるばる最西端までたどり着いたという充実感が湧いてくる(それは私だけかもしれないが)。その上で福江島もいろいろ散策したし、名物を味わうこともできた。添乗員、ガイドも個性的でよかった。いろいろ重ねると、このツアーに参加してよかったと思う。

時刻は19時05分。日の入りの時刻を何となく迎えた形だが、私は雲の向こうにいる太陽に向かって手を合わせていた。他には「夕日は心の眼で見えましたよ」という名言?を残した人とか、一昨日のフェリー出航前に撮った夕日の写真と大瀬崎灯台の写真を合成しようかという人もいる。どこまでもいちびりな団体なのである。

日の入りの時刻を過ぎてバスに戻り、ホテルに戻る。あと数時間で令和元年。まずは鬼岳で令和最初の日の出を見るスケジュールだ。これは朝5時にホテルを出発だが、あくまで任意参加の扱いとなった。ゆっくり寝たい人、体調を整えたい人は出発の8時40分集合でも可となった。

20時過ぎにホテルに到着。部屋に戻る前に、先ほど下見したポプラで買い出しとする。

福江の中心部を歩くが、すでに閉店の店も多い中、赤ちょうちんもちらほら見かける。夕食はもう済んだし、食事のボリュームもあったので改めて店に入ることもないなと素通りした。ただ、個人で来たら店探しも楽しみの一つである。離島は店も少ない、値段も高い、一見さんは入りにくい、とさんざん言われているが、今振り返ると、20時はまだ宵の口、1杯だけ、アテ一品だけでもいいから、五島の居酒屋がどんなものなのか行けば良かったと思う。その点は旅から帰った後で心残りである。

その時はそんな想いもなく、ポプラで檸檬堂をはじめなにがしか買い求めてホテルの一室で楽しんでいた。この紀行文の下書きも進める。ただ、午前0時の改元の瞬間は・・しっかり寝ていた。寝落ちではない。

テレビをつけても何だか中途半端な盛り上がりだし、大晦日から元日に変わる前のような雰囲気でもない。まあ、「その瞬間」の様子の報道は翌朝から嫌でも目にするだろう。それよりも、日の出を見るために5時出発だからというのもあるし、フェリー連泊の後でこのツアーで唯一宿やで寝るというのもあるし、単純に檸檬堂が回ってきたというのもあり、ここは素直に寝るということに。

「ありがとう平成、ようこそ令和」は夢の中で・・・。

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