長々とした旅行記の間であるが、挟みます。
ホームチーム推しの中継とはいえ、これでバッサリと切り捨てられたのがバファローズの守備陣。
まあ、一事が万事、今シーズンを象徴する試合でしょう。
ええ加減にせえや。
長々とした旅行記の間であるが、挟みます。
ホームチーム推しの中継とはいえ、これでバッサリと切り捨てられたのがバファローズの守備陣。
まあ、一事が万事、今シーズンを象徴する試合でしょう。
ええ加減にせえや。
5月1日、新元号「令和」の時がスタートした。もっともその瞬間は既に眠っていて夢の中だったが、4時前には起床していた。この日は5時にホテルを出発して、鬼岳にて「令和最初の日の出」を見ることになっている。天気予報は前日までの曇り、雨から回復して晴れ時々曇りというものだが、ちょっと日の出は厳しいかなと思う。まあ、全国的に天気はあまり良くなく、地方によっては雨だというから致し方ないかと思う。
大晦日から元日にかけてならテレビも終夜特番のようなものをやるところ、テレビをつけてもNHKが何かやっている程度で、民放局によってはテレビショッピングを流しているのもある。渋谷のスクランブル交差点や大阪の戎橋あたりは日付が変わった瞬間はちょっとした騒ぎになったようだが、特に大きな混乱までには至らなかったそうである。改元の時は静かに迎えた人も思いのほか多かったのではないだろうか。
時間となりホテル前に停まっているバスに乗り込む。添乗員Kさんが出迎えるが、一瞬「明けましておめでとうございます」と言いそうになる。改元はしたが暦は5月である。
この日も添乗員Kさんの達筆による手書きの行程表が渡される。「昨夜『夜なべ』をして作りましたので心して取り扱ってください」と言われる。昨日も手書きの行程表をぐちゃぐちゃに折りたたんで座席に置いたままにした人がいたと、その現物を取り出す。座席で現物を見たのなら誰が置いて行ったのかはわかるはずで、あえて名指しをしなかったのは大人の対応である。いや、時間だけでなく五島のミニ知識のようなことも書いているし、旅の思い出になるはずなんだけどなあ。
「今日も『怒涛の』移動をしていただきますので」とのこと。特に福江島を離れてからの行程がとんでもないことになっているが、それはまた後の話だ。
前日と同じ最前列の席である。前日解散時、ツアーでは1日目と2日目でバスの座席割を前後入れ替えるとの案内があったのだが、オプションで前列プランを申し込んでいた私はそのままである。他にこのオプションを申し込んだ人はいないようである。ツアー全体は31名参加だが、このうち鬼岳に向かったのは27名だった。
鬼岳は「おにだけ」とも「おんだけ」とも呼ぶが、標高315メートルある。バスはホテルから10分ほど走り、中腹にある駐車場に着く。まだ暗い中、遊歩道の階段を上がる。山とはいっても全体が芝で覆われており、見た目は丸い丘で芝の上にシートでも敷いて寝転がると気持ちよさそうだ。実際、テントを張っていた人もいた。見た目は穏やかだが「鬼」とは仰々しいし、地学的に言えばこれでも活火山なのだそうだ。5月の子どもの日の期間はバラモン凧の凧あげ大会も開かれる。
展望スポットに集まって日の出を待つ。福江の市街地やその向こうの海も見渡せる。
予定時刻は5時38分とあり、少しずつ周りが明るくなるのがわかるが、そちらの方角はずっと雲が広がったままである。さすがに風が吹くと冷たく感じるので辺りをウロウロしながら日の出を待ったが、予定時刻になっても空が明るくなっただけで太陽の姿は見えなかった。
まあ、ある程度予想できたからお互い残念でしたねで済む。鬼岳という、福江島、いや五島列島のシンボルとも言える山に触れたことでよしとする。これが夜通し登山をして、しんどい目をして到達した高い山の頂上ならガッカリしたかもしれないが、所詮はホテルからバスで10分のところ。まあ、戻って朝食でもいただこうということになった。
鬼岳にいたのはご一行の人たちがほとんどだったが、その中でテレビカメラが1台来ていた。カメラにはKTN(テレビ長崎=フジ系列)のマークが入っており、カメラマン一人で取材していたが、日の出を収めることができず残念そうな様子だった。鬼岳は県内では初日の出のスポットとしても知られているそうで、県内各地にカメラを出しているのだろう。せっかくなのでどなたかインタビューを・・ということでカメラマンがご一行に声をかけると、前に進んだのはお父さん。そう、前日の朝食ではサザエを落札し、その後添乗員やガイドからの車内での振りに対して切り返していたお父さんである。一通りインタビューが終わるとカメラマンは「どなたか女性の方にも一人・・・」と声をかける。そしてマイクを向けたのは、少し離れていたところにいた方。何と先ほどのお父さんの奥さんである。カメラマンは別にご夫婦と認識してないようだが、結果としてご夫婦が別々にインタビューを受けたことに。他の参加者も笑いをこらえている。
「テレビに映るの?」「いちおうローカル放送なんですけど、ひょっとしたら全国ニュースになるかも・・」「いや~、でもお日さん出んかったらニュースにはならんやろな~」と言いながらもお父さん、ご満悦の様子である。夕日を心の中で見るだけのことはある。
6時すぎにホテルに戻り、8時40分まで自由行動となる。朝食はホテルの向かいのレストランで6時半から。米は「幾久山米」という福江島のブランド米で、国際的なコンクールでも賞を獲ったこともあるそうだ。離島のイメージで米はほとんど採れないのではと思っていた。実は島にしては耕作地の面積が結構あるのだが、後継者難で耕作放棄も進んでいた。それを何とかしようということで開発したのが幾久山米だという。朝からがっつりいただきました。
そのまま外に出て、ホテルからもほど近い武家屋敷通りに向かう。屋敷そのものは改築されたり、マンションが建ったり、荒れ地になっていたりさまざまだが、外側に独特の風情がある。
石垣の上に「こぼれ石」という小石を並べ、両側にカマボコ型の石を置いた造り。最初見た時は台風の被害を抑えるための造りかと思ったが(高知のほうで似たような石垣を見たことがあったので)、これはあくまで外敵の侵入防止のためとある。石垣を越えようとすると石がこぼれる音がして敵の侵入を知らせるとか、いざとなれば石を投げて防戦するとかの目的だそうだ。そこまでして防御線を張る必要があったのかな。まあ、おそらくこぼれ石を巡って戦いになったことはなかっただろうが、五島の歴史の一つを伝えてくれるスポットである。
そのまま進み、石田城に出る。五島藩五島氏の居城である。元々は屋敷程度のものだったが、幕末になり外国船が頻繁に日本の沖合いに姿を見せるようになると、外国船の防衛拠点の意味もあって、幕府から築城の許可を受けて竣工した。1863年のことで、外国船に備えて三方が海に面した城だったが、わずか5年で明治維新を迎えた。
現在本丸跡には五島高校がある。1900年、当時の五島氏の当主・盛光が私費を投じて五島中学を創設したのが起こりで、校内には五島盛光の胸像と顕彰碑が建てられている。
その創設は長崎県内でも古く、五島各地から下宿で進学する生徒も多いそうだ。また公立高校では全国的にも珍しい衛生看護科というのがあり、看護師になる最短コースとして、長崎県の本土からわざわざ福江島に下宿して進学する生徒もいるのだとか。島から翔いてほしいと勉学に力を入れる、まあこれはわかる。その一方で衛生看護科があるというのは、離島の医療を支えてほしいという現実的なことだけでなく、「マリア」のイメージがあるのかなと思う。何となくだけど。人々に尽くしてほしい、合わせて島にも残ってほしいというのがあるのかな。
石垣沿いに歩いて、メインストリート側の門から出てホテルに戻る。大浴場のオープン時間中で、朝風呂をいただく。
部屋でテレビをつけると、ちょうど朝のワイドショーの時間帯。ここで前日から今朝にかけての動きを各局が流すから、情報は嫌でもわかる。東京も大阪も雨だったようだ。先に書いた渋谷や道頓堀の様子もこれで知ったことで、戎橋から道頓堀にダイブした奴がいたとかいないとかいうのも流れていた。また、大宰府政庁跡では「令和」の人文字を作る様子の上空中継もあった。太宰府市、大宰府政庁跡、坂本八幡宮もより一層大変賑わうのだろうな。
そろそろチェックアウトの時間となる。福江島にいるのもあと数時間。前日に続き、添乗員Kさん、ガイドSさんで楽しむことにしよう・・・。