まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

水ノ浦教会

2019年05月12日 | 旅行記H・九州

明星院、魚津ヶ崎公園と、遣唐使や弘法大師の足跡をたどった後は、いよいよキリスト教関連のスポットとなる。魚津ヶ崎公園にほど近い水ノ浦教会に到着する。

江戸時代、五島でも潜伏キリシタン、隠れキリシタンと呼ばれる人たちが表向きは仏教ととしてひそかにキリスト信仰を続けていた。江戸時代も末期になり、欧米諸国の来航による開国や幕府の大政奉還など、世情がざわついている最中に、長崎の大浦に天主堂ができた。またそれを機会にキリスト信仰を告白する者も出てきた。これを聞いた水ノ浦の信者たちは長崎に渡り、十字架やマリアのメダルなどを持ち帰って祈るようになった。

しかしながら、明治政府は幕府のキリスト教禁教を引き継いでおり、1868年、水ノ浦でも役人に踏み込まれて急ごしらえの牢屋に押し込められるという事件が起こった。水ノ浦だけではなく五島の各島で同様のことがあり、中には殉教した者もいるという。これを「五島崩れ」という。

キリスト教の信仰が認められたのはその数年後で、水ノ浦の人たちは湾を見下ろす高台に教会を建てた。その後老朽化し、1938年に鉄川与助という名工の手で建てられたのが現在の教会である。ひとまず外観を見た後、中に入る。撮影は不可のため画像はないが、こうもり天井と呼ばれるアーチ状の天井が広がるのを見る。大浦天主堂もこの構造だという。

ステンドグラスには五島名産の椿の花と実が描かれている。椿が五島の名産だからということもあるが、椿の花の赤は殉教者の血の色を表している、また椿は塩害に強いことから弾圧、迫害にも耐えるということにもつながっているのだという。

教会の裏にはシスターたちの修道院がある。現在も12人、最高齢103歳の方がお勤めをしているそうだ。

高台にかけて白い十字架が見える。墓地なのかと思うが、これはキリストの十字架の道行をオブジェにしたものだという。キリスト教については全く不勉強なのだが、教会の中には、キリストが死刑の宣告を受け、十字架を背負わされ、十字架の上で息を引き取り、そして葬られるまでを14の場面で表現した「留(りゅう)」というのがある。その一つ一つの前でキリストの受難を思い黙想する行なのだという。西国三十三所や四国八十八所のお砂踏みとはまた違うようで。

水ノ浦では屋外に14の留を設け、これを進むと高台に上がる。ちょうど教会と白石湾を見下ろす素晴らしい景色が広がる。

14の留とキリストの復活を遊歩道で通り終えたところに、ヨハネ五島という人物の像が立つ。豊臣秀吉が長崎の26人の宣教師や教徒を処刑するという事件があったが、その殉教者の一人で五島出身の人物だという。像の説明に、ちょうどここが、明治の初めに捕えられた牢屋の跡だとある。

そのヨハネ像の周りは墓地になっている。キリスト教らしく十字架が目立つのだが、中には仏教式の墓と変わらない形のものもある。十字架があったり、葬られている故人に「パウロ◯◯」などの洗礼名が見えるのがわかる。また、墓石の文字が金色である。もっともこれはキリスト教だからというよりは、九州では割と一般的なのだそうだ。

再びバスに戻り、昼食会場に移動する・・・。

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